親父ゆずりの鞄好きで、若いころから鞄をよく買った。親父と違うのは親父は安物の鞄ばかり買っていたけれど私はどちらかというと安物は嫌い。一時期、機能的な鞄とかデイパックに凝ったことがあるが今はあれこれポケットがついているような一見機能的な鞄は好きでなくなった。
先日、万年筆画家古山浩一さんの『鞄が欲しい』という小さな本を買った。彼のようにたくさんは持っていない。昔買った機能的な鞄はみんな数年で擦り切れたり、古くさくなったりして捨ててしまったから残っているのは丈夫な良い鞄ばかりだ。この本に出ている鞄の中で私も持っているのは2つ。それも2つとも彼が好きだという棒吊り式の鞄だった。一つはHUNTING WORLDのダブルサドルバッグ(バッグの上に棒があって、棒の前後に2つの鞄が振分荷物のようにぶら下がっている)、もう一つはCOACHのWillisという名前の女性用のようなショルダー。どちらももうお店では買えない古いものだ。HUNTING WORLDはその機能性と軽快さが好きで2つ持っているがどちらも緑のバチュークロスでボロボロになっている。表面の修理が効かないHUNTING WORLDのバチュークロスは今の私が鞄に求める要件を満たしておらず失格だ。高いだけのことが、ない。
その点、昔の革製のCOACHは良い革を使っていて丈夫でよい。キズはつくし、角は擦れてくるが破れて使えない、というところまで生きている間に使い潰すことは困難だと思う。そしていつまでもグローブ・タンの柔らかさを失わない。本を読んだのが起爆剤になって前から欲しかったブリーフケースが欲しくなった。COACHは今やシグネチャーというモノグラムがついた女性物の布製バッグが全盛で、お店でも昔風の革の鞄を置いていない。ネットで探すとアメリカから個人輸入するしか方法がないようで、個人輸入を商売にしている店があった。でも本国での定価を知っているといかにも高い。革の鞄は新品を使い込むのも楽しいが熟成するのに時間がかかるから中古でいい。と、Auctionを毎日目を皿のようにして見た。あった! 欲しかったWillsの男物ブリーフケースであるBeekmanという鞄。画像を見る限りすごくきれいで、型くずれもほとんどしていなかった。途中で他の入札者と競い合って、ようやく手に入れた。ところが、確かにきれいな鞄で古さをあまり感じさせないものだったのだが、喜んで蓋(フラップ)をあげると棒を通した革の部分の糸がほつれており、いじっているとどんどん開いていってしまい、使い物にならなかった。出品者はそんなことコメントに一言も触れていなかった! COACHに行ってたずねると修理費は安かったがひと月ほどかかると言われた。まずはこういうAuctionに手を出してしまった自分に(出品者に対する怒りは問題外で文句を言う気にもなれなかった)、次にCOACHの製品の品質が落ちたことに落胆した。1941年にマンハッタンのロフトで家族6人で作り始めた革製品は丁寧な仕上げと巧みなデザインで一時代を築いた。どこかの掲示板で読んだのだが、その後、規模が大きくなり、東南アジアの工場で作るようになったという。そういえばあちこちの空港の免税ショップにCOACHがある。大量生産が成り立つためには壊れたり、陳腐化したりして使えなくなることが必須の条件だ。それが大量消費文化を成り立たせている。
老舗のデパートに入っているCOACHの店員は私が落札したBeekmanという鞄の存在さえ知らなかった。私が今、鞄にこだわるのは私一代では使い潰せない丈夫さだ。これからしばらく「鞄」というカテゴリで続けるつもりの品々に共通するのは全て修理可能な、使い込めば使い込むほど味わいの出てくるものたちだ。鞄というより「革の入れ物」が好きなのだ。自分の物だけではなく、我が家で使われている家族の鞄類も取り上げていこうと思う。
さて再びBeekmanに戻ろう。糸のほつれがひどくなる一方のこの鞄は決して悪い鞄ではない。だから直して使おうと決めた。ひと月もCOACHに預けて待つ気がなかったので、革細工のホームページを読んで必要な道具を調べ、知識も仕入れた。針と糸、接着剤、目打ち、ペンチを用意した。山で一針一針自分で縫って直してやろう。何だかそう考えると荒れ模様の気象予報の出ている週末が待ち遠しかった。糸は同じ色を探したが、COACHが使っている糸よりはワンサイズ太い物にした。単調な、気の遠くなるような作業をしながら、革職人たちが前世紀前半にしていた仕事を思い描いていた。若い時分には大嫌いだった同じことのくりかえしが歳を経るにしたがって嫌じゃなくなっている。老眼鏡をして、薪ストーブの前できれいなBritish tanの明るい茶色の鞄を愛おしみながら縫っていった。見ていたFERMATAが「ゼペット爺さんのよう」と私をからかった。半日かけて縫い上げた約40cmの縫い目は本来の縫い目より糸の太い分しっかりとしており、上出来だった。薄くオイルを塗ってブラシをかけて私だけの鞄が出来上がった。
親父ゆずりの鞄好き。そういえば、親父ゆずりの胃潰瘍。胃袋も「革の入れ物」だったな… 
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