森の生活

2009年6月28日 (日)

書き忘れたこと〜八ヶ岳

 金曜の晩に安曇野に来たFERMATAと土曜の昼から今日の昼まで八ヶ岳の家に行ってきた。すると、玄関側の数m離れたところに生えていた松の木が1本家に向かって倒れ、屋根にもたれかかっていた。根本から腐っており、間伐されない森の不健康さをよく示している。…などと分析しつつ、このままじゃ放置もできないのでどかしてみようと試みたが、10cmほどの幹の細い木なのに容易に下ろせそうにない。仕方なく管理会社に電話をしたらすぐ来てくれた。とりあえず見に来てくれただけだが。「脚立で屋根に上がってそうっと下ろしておきます。幸い屋根には影響ないでしょう」とのこと。本当に幸いなことに角度が屋根とぴったり合っていて、衝撃は分散されたのがわかる。さらに1mほど横にそれていたら天窓を直撃したところだったが、それも避けられていた。というのが今回の書き忘れの一つ目。

Toboku

 ついでに家の外回りを見てもらって、塗装をし直してもらうように頼んだ。7年間も経つとずいぶんと古びてくるから、この際、きれいにしてもらおうと思う。ああ、今年こそ買おうと思っていたマレンコのソファーがまた遠のくか。でも、退職後の永住の地ととりあえず決めているから、建物は大事にしないと。というのが今回の書き忘れの二つ目。

 これは先週東京に帰ったときくらいからそう思い出したのだが、今回改めて見て触って再確認したのがFERMATAの頭。今、甲子園児のよう。白い、ちょっと泥のついたランニングシャツを着て、カーキ色の長めの半ズボンをはいて、あぐらをかいて、縁側でスイカを食べている昭和中期の子、というとイメージがわきやすいか。でも7月から次の段階の治療に入るとまた一休さんになる。それが三つ目。

 さて最後の書き忘れが、表のページの更新について。一応半年過ぎたところでMonologueを書庫にまとめてしまうのだが、今年はちょっと早くに片づけた。何もなくなったページに「師匠の酒」をアップした。こんなあつかいをして大丈夫だろうか。お師匠からお叱りの声が聞こえたらすぐに画像を小さくします。山ではこんな風です。

Sn_en03


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2009年6月 7日 (日)

FERMATA写真館(2)八ヶ岳編

 表のHPに書いておいたが、新しいNikonのレンズがすっかり気に入ったFERMATAは八ヶ岳での2日間、暇さえあれば写真を撮っていた。AF-S DX NIKKOR 35mm f/1.8Gというレンズは小さくて軽くてD40にぴったりだ。ゾウの鼻のような(それでも純正は小さいのだが)200mmまでのズームレンズをつけると首に提げたカメラがおじぎをしてしまう。その点、このレンズはいい。軽さと明るさを武器に接写、スナップなんでもこれ1本で間に合わせてしまうかもしれない。
Fermata


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2009年1月 2日 (金)

YATSUGATAKE EXPRESSバルブ交換

元旦の半分を八ヶ岳の家で過ごす。あれほど気持ちを傾けて馴染もうとしている安曇野よりも山の家のほうが心落ちつくのは、慣れ親しんだ調度や部屋の配置や薪ストーヴの暖かさの違いだけなのだろうか。どんなに思い入れを深めようとしても、やっぱり安曇野は「仮りの棲家」にすぎないのだろうか。だとしても始まったばかりの2009年は安曇野でその大半が過ごされるのだから、スイッチを入れ替えながら上手に暮らしていかないとストレスがたまるばかりだろう。春からFERMATAが安曇野にくれば安曇野の暮しも変わってくるだろうし、一方で東京から渋滞や天候を気にしながら八ヶ岳通いをしていた頃よりは気軽にここにやって来れるだろう。1時間半もあればここの空気に触れることができるのだから。

11月の末に山に来たときに、車載コンピュータがリアのスモールランプの切れを警告してきた。VOLVOは昔からオーナーマニュアル(取説)が詳細でバルブ交換なんかご自分で、と言わんばかりに交換用のバルブの型番から交換の仕方まで書かれている。850のときも山道を走るようになってから何度かリアランプが切れた。だから予備の球をいつも持って走っていた。XC70になってからは1回フロントの車幅灯が切れ、自分で交換した。マニュアルを見ると簡単そうなのだが、手の入れにくい場所にあったりして容易には外せなかったり、容易に外せても元通り取り付けられなかったりした。今回のリアスモールランプも外しやすく取り付けにくい位置にあって、あきらめてディーラーに持ち込もうかと思いながら走行上支障がないのと東京に置きっ放しだったのでそのままになっていた。それでもライトを点灯すると小さなインジケーターに表示が出るのがうるさかったので、さっき何回か挑戦してダメだった取り付けをしてみた。娘の化粧用の手鏡で見えにくい場所をまずじっくり観察した。あとは手探りでバルブをつけたキットを穴に差し込み、回したら、簡単についた。当然インジケーターの警告も消えた。球2個で287円、ディーラーで交換したらいくら取られるんだろう。とにかくお金の問題以上に車のランプぐらい自分で換えられるという行き方の流儀を通せたことがうれしい。

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2008年12月24日 (水)

YATSUGATAKE EXPRESS タイヤ交換

 去年1年間ウィンタータイヤのままで通して履き潰したYATSUGATAKE EXPRESSことXC70のウィンタータイヤの交換に行った。これまでピレリのウィンタータイヤだったのだが、もともと高速走行用の硬いゴムが使われていて雪道ではからきし意気地のないタイヤだった。今度は時間もなかったのだが、Bridgestoneがやっているタイヤ館へ行って、あれこれ説明を受けるのも面倒で、一番いいのにして、と頼んだ。安曇野暮らしになってからというもの、YATSUGATAKE EXPRESSの出番はめっきり減って走行距離は全然増えなくなった。それでもいつ山へ乗ってくるかわからないので、保険のつもりで交換した。今日は用事の合間を見て出かけたので、ウィンタータイヤがついている4本を店に置いてきて、明日、車に脱着してもらうことにしている。

 ジムニーのほうは買ったときからウィンタータイヤを履きっぱなしなので、来年の冬までずっと履き続けて、次の冬に履き替えようと思っている。

 しかし、今年の年末年始はどうやって過ごそうか、容易に身動きのとれない単身赴任をしたのは覚悟の上のことだがどうにもホントに動きがとれない。人生の軸をねじ曲げて選んだ道はやっぱり素直にまっすぐ進んでいかないものだな、と思っている。でもいまさらなにをいってもはじまらないので、とにかくは静かに正月を迎えたい。

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2008年12月14日 (日)

真冬の桜?

Photo 枯れ枝に桜の花が咲いたように見える。
 朝から降った雪は日差しが差し出した午後になっても気温が低いために木の枝にきれいについたままで、まるで枯れ木に花が咲いたようだった。

 土曜の朝、FERMATAが高速バスで長坂まで来た。それに合わせて私が安曇野から車を飛ばした。長野側から見る八ヶ岳はくっきりと全景を現し美しかったが、小淵沢から長坂に向かう途中から山梨側に回り込むと雲がかかり、赤岳は頭を隠していた。遅れた私を待つ間、インター前のショッピングセンターで買い物をしていたFERMATAを乗せて、山の家に行く前に甲斐大泉駅前の温泉に行った。光は横溢しているのに遠くの山々は姿を見せず、富士は厚い雲の向こう側だった。FERMATAが風呂から上がってくるのを30分以上待って、ホカホカする体で山の家に上っていく。

 土曜日の夜から日曜の朝にかけて双子座流星群が見えるはずだったが、気温が高く、夜になっても雲は晴れず、満月ということもあってぼんやりと明るい夜の森が浮かんでいるだけだった。昼からずっと飲んでいたので飲み過ぎ、いったん寝たら、20時過ぎに目が覚めてしまい、薪ストーブの前でずっと火を見つめてぼうっとしていた。

 今朝目が覚めたのが8時。家の中はストーブの余熱で暖かく、今日も良い天気か、とカーテンを開けると外は一面の雪景色だった。雪は午後も降ったりやんだりで5cmくらい積もった。ちょっと心配になり安曇野の同僚に電話すると、雪は舞う程度で畑がうっすら白く見える、という話だった。そして帰り支度を始めないとね、と話し出したころから日が差しだし、木の枝から落ちる細かい雪の結晶がキラキラと光り、木の枝に桜の花が咲いたように見えたのだった。短いけれど、ほっとする週末だった。

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2008年9月12日 (金)

東京での仕事を終える

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 …やっと、という感じ。同じ職場に15年もいるとうんざりしてくるのが正直なところで、今は寂しい反面ほっとしてもいる。どうしても昔の方が活気があってよかったと思うのは自分が歳をとったせいばかりではない気がする。転勤先の支社は小さいけれど、もっとみんなが親密に仕事に専念できる環境だろうと期待を込めて思っている。私にとっての第二の森の生活が連休明けから始まる。とりあえずもう一日だけ、東京の職場へ顔を出し、辞令を受けとって第一の森を経由して第二の森へと向かう。

 今日iPhoneに設定しておいた東京と八ヶ岳と安曇野の天候をチェックする。八ヶ岳の気温は私の家のある場所よりもかなり低い土地で計測しているので、山の家のあるあたりは、表示からマイナス5〜10℃低く見積もらないとならない。おそらく安曇野も表示よりほんの少し差し引いたくらいだろう。そういう修正をした上で安曇野の今日の気温は22〜23℃くらいだった。

 これから、FERMATAと二人で山の家へ向かう。3週間ぶりだ。今夜はフィトンチッドにつつまれて眠ろう。そして明日朝、来春FERMATAが仕事を辞めてやってくるまで一人で暮らす第二の森へ向かう予定。生活用品のうちでかいものを買って、赴任直後に届くように手配する。さらに近隣の生活環境を調査してくる。マーケットはどこか、コンビニにATMはあるか(そもそもコンビニまでどのくらい距離があるか)、点在する美術館の位置、うまい蕎麦を喰わせる店はどこか、病院までどのくらいで行けるか等々、実際にこの目で確認してこようと思っている。ついでに八ヶ岳から安曇野間の所要時間、コースなども車で走ってきておきたい。

 おそらく年度途中の仕事を他の人から引き継ぐのは大変だと思う。すべき仕事内容はこれまでと全く違うわけではないけれど、立場が変わるのでわからないことばかりだろう。まあ、これはなるようにしかならないわけで今から気にしても始まらないから、行き当たりばったりで行くしかない。マンネリ化した東京での仕事に嫌気がさしたから、ある意味志願して別の仕事に移ることにしたのだ。仕事先まで自分で選んだわけではないけれど、転勤を希望したのも同然の意思表示をしたのは自分自身なのだ。だから、嬉々として新しい土地へ出発しようと思っている。
Hotaka

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2008年8月20日 (水)

ジムニー修理工場に入る

購入後1カ月、約2000km走ったジムニーが職場から帰宅する途中、劇しい叫び声をあげだした。実は山から一人東京へ戻る日にも一度鳴いていた。しかし、今日の声は鳴き声というより、あきらかに絶叫だった。中古車、それも年代物に手を出すのがためらわれるのはこれが怖いのである。乗り出してからずっといつか何かあると覚悟してはいたのだが、それがこういうふうに突如やってくると実際えらく狼狽するものである。車の行き交うバス通りであろうと、閑静な住宅街であろうと辺り構わずキューキュルキュルキューンと断末魔のような声をあげ、道行く人をも恐怖に陥れたのであった。が、一番生きた心地がしなかったのは、ガス欠以外で車が走らなくなることなどほとんど経験したことのない柔な車乗りの私であった。

とはいってもボルボと比べるとガラガラで隙間だらけのエンジンルームは目に浮かび、恐らくは老朽化したゴムベルトのどれかが滑っているのだろうと原因は予測できた。それが走行中に切れたらどうなるのか想像がつかなかったのである。慌てるとあちこちで見かけるSUZUKIの看板を掲げる街の小さな自動車修理工場が見つからない。そこで気がついたのはiPhoneのマップで検索することだった。車を脇に止めてiPhoneのマップで現在地をGPSを使って捕捉する。そして検索ウィンドウを開き「SUZUKI自動車」で検索すると数本の赤いピンが空から降ってきて候補地を示す。一番近い工場の位置に刺さったピンが押えているラベルの右端の>印を押すと、工場の電話番号、住所などが表示されるので、電話番号の上を押すとiPhoneが電話をかけてくれるのである。

前置きが長くなった。エアコンを回すベルトが弛んでいた。山暮らしが長いわりに全然距離を走っていないこのジムニーはエアコンの使用頻度も低かったはずで、ベルトと接する金属製のローター自体に結構錆が出ており、ユーザーが私になって急に酷使されて、錆が取れてそれがヤスリがわりにゴムを削り、ベルトが痩せたらしい。簡単に締め増しして完了。家の近くに便利で親切な工場を見つけることができた。山にも東京にもかかりつけの工場を持っているのは実に心強い。

ちなみに走行距離の少ない私のジムニーを見て、処置をしてくれた私より少し若そうな整備士さんが「これ高かったでしょ。珍しいよね、これだけの上物は」と言った。「でもあちこち傷やエクボだらけで」と私が言うと「ジムニーだもん。これなんかきれいなほうだよ。大事に乗れば高く売れるよ」と車の周囲を見ながら言った。売る気はないけれど、そう言われて悪い気はしなかった。

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2008年8月19日 (火)

暑い!

東京の夏は暑い!
暑いだけじゃなく蒸している。昔もこんなだったろうか、と思い起こしてみるのだが、たぶんこんなじゃなかった、気がする。加えて今年の夏はでかい台風も来ないかわりに、かんかん照りの夏空も少ない、気がする。ニュースを見ていないから、これが東京だけのことなのか、日本中でそうなのか、あるいは地球規模の現象なのか、それもわからない。

ただ山が涼しいのは確かで、山のくらしをメインにすえたこの夏休みの1週間の真ん中に東京のこの暑さを味わってみると、いかに東京が異常かがわかる。「休」という字は人が木に寄り添っている。森の木々たちのかたわらで憩うことが「休」ということなのだ、という気が、東京に軟禁されていると、するのである。

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2008年8月17日 (日)

寒い!

Hyoumon08 やけに寒いと思っていたら、東京も寒いらしい。山は日中晴れたり曇ったりだったが、今は分厚い雲の覆われ、雷雨や激しい雨風の予報がでている。

 今、A乃が東京から着いて迎えに出たついでに、管理事務所のFREESPOTを借りて表のHPの更新(長くなって重たくなったので、Monologueの08年前半を切り分けただけ)をして、このブログを書いている。今回の私の夏休みは変則で、明後日仕事があるので、私だけいったん帰宅、出勤する。そして、水曜日に仕事を終えるY乃と実家の両親を連れてまた山へ戻る。後半は天気に恵まれるといいのだが…
 

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2008年8月 8日 (金)

熱い東京から逃げる

 まもなく北京オリンピックの開会式。でも全然見たいと思わない。それより早くこの蒸し返る東京から逃げ出して、ひんやりとした空気のなかで眠りこけたい。

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2008年7月28日 (月)

鈍行列車の旅

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 日曜日、朝起きて取るものもとりあえず家を出た。中央線高尾駅まで行き、そこから中央本線の小淵沢行きの鈍行列車に乗った。子どもたちやお客さんにこの方法で来てもらうことはあるのだが、私自身が列車で山へ向かうのは初めて。想像したほど長く感じなかった。高速道路とは笹子トンネルを抜けた辺りから甲府まで大きく離れてしまうが、おおむね高速を走りながら見ている地名とその間の感覚は車も列車も同じだった。

 この日は朝からものすごい暑さだったようで、駅までクルマ屋さんに迎えに来てもらった。古いクルマだから、乗る前の点検だけはしっかりやるようにあれこれ説明を受けてから、Jimnyを受取り、韮崎の町まで戻り、オートバックスでETCを取り付ける。再度山へ向かう。途中で給油。この2週間ガソリンスタンドへ行っていないので、山のGSが高いのか、相場自体が上がったのかわからないが2週間前のハイオク並みの値段だった。

 エンジンが非力なのに、無理をして山道を登るから当然燃費は非常に悪い。2.5LのVOLVOよりも悪いかもしれない。背が高いせいか、足回りのセッティングのせいか、古いからか、FRだからか、ハンドルがヨレヨレして感じる。装備は何もついていない。窓は手でハンドルを回す。シートもオートで動かない。ロックはドアごとに開けたり閉めたりしないとならない。ものすごいレトロな感じで楽しい! なんでもかんでも電動式の今のクルマは便利だけれど、なければないで済むものばかりが電動化されているんだなと感じる。クルマの走行状態を伝えるコンピュータなどついていないので瞬間燃費もあと何キロ走れるかもわからない。エンジンがそこにあって、小さなターボチャージャがヒュンヒュン言って頑張ってるのが運転席に伝わってくる。何だかとっても楽しい。

 
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2008年7月18日 (金)

何とかこのまま行けそうです

 長年の夢だった禁煙が今度はうまくいきそうです。ニコチネルパッチもニコレットもなあんも使わず、クロレッツ(ガム)だけはかなりたくさん噛んだけれど、それにまだ胃の中の空虚感は続いているけれど、大丈夫です。吸っている人たちの中に入っても平気になってもきました。

 今夜これから、研修で一緒になった九州の友人たちを山へ案内します。お天気がいいといいんだけど、あまり良くはなさそう。

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2008年7月13日 (日)

森の新しい足〜Jimny

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 村の自動車工場に頼んでおいた古い型のジムニー(上の写真)が入庫したという知らせがあって乗りにいってきた。当初探してもらうように頼んでおいたH7年式よりも前のジムニーはやはりなかなか見つからないようで、今回乗ってみたのはH9年式。H7年式との違いはサスペンションがコイルスプリングになったこと、DOHCエンジンになったこと、など、つまりは単純なエンジンじゃなくなったということだ。第2世代のジムニーのスタイルは同じ。第1世代のジムニー(下の写真)のスタイルと比べたらガッカリするほど格好悪いけれど、現行ジムニーの普通の軽自動車ぽさから比べたらまだマシ。

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 11年も経っているのにマーケットがあるからまだ立派な値段がついている。こういうのはいくら待てばいいということはないので、絶対にやだ、と感じるところがなく、値段もフトコロと折り合いがついたら買うしかない。というわけで、冬場の強力な足ができた。来週納車OKなのだが、こっちの都合で再来週受けとりに行く約束をしてきた。

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2008年6月26日 (木)

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はじめまして。ぽんずママY乃でございます。
日に日に成長するぽんずチャンはママの癒しになっています。

ぽんずちゃんのカワイイ姿を皆様におすそわけです♪♪

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2008年6月21日 (土)

ブラームス弦楽六重奏曲と鳥の声

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 2曲しかないブラームスの弦楽六重奏曲が好きで昔から聴き続けている。ベートーヴェンを乗り越えることができずに苦悩の生涯を送ったブラームスの若き日々の青々とした音の中に低音楽器の厚みが加わっていて、ブラームス好きにはたまらない曲だと思うのだけれどあまり一般的ではない。

 やっと部屋の窓を開けていられる季節になって(虫たちの活動も活発になってきているから網戸はかかせないが)、外の鳥の声が、今日のように曇り空が重たくのしかかるような日でも森に響き渡る。ステレオのボリュームを絞って鳥の声にブラームスを重ねて、あるいはブラームスに鳥の声を重ねて聴く。

至福のひととき。

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2008年6月 1日 (日)

山から戻る

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 昨日丸一日降り続けた雨が日差しを浴びて、蒸気になってデッキから立ち上っている山の家を後にして、通勤時間帯ぎりぎりに長坂ICに乗った。

 ホームページのアップロードを双葉SAのFREESPOTでしてみた。
 MacBook Airを開くとすぐにFREESPOTに接続した。用意してあったHTMLファイルをFTPソフトでアップロードを始めるが、これが実に遅い。昔、ダイヤルアップ接続でつないでいたころのようだった。それでも、時間がかかるのを我慢すればFREESPOTを使えることはわかった。

 帰り道、ふだんは調布ICで下りるところ、いつも入れているガソリンスタンドに寄るために高井戸まで行き、環八を走る。夜中よりずっと空いていて調布から下道を帰るよりずっと早くスタンドに着いた。そこで驚いたのがガソリンの値段だ。たった1週間の間にリッター15円高くなっている。知らなかった。これじゃあ、商売をしている人はたまらないだろう。投資家のゲームで物の価格が操作されている。真の社会主義はとうの昔に絶滅したが、資本主義も絶滅危惧種になりつつあるような気がする。

 そうこうしているうちに、A乃のMacBookで取り込んでいたThe BeatlesのAnthology2枚組3巻、6枚のCDのACCファイルが出来上がった。あとはTime Capsuleの中から、私のMacBook Airにコピーすればお終い。まだ、iPod touchの容量には余裕があるからこれを全部iPod touchに入れてしまうことができる。研修所の一人部屋の中で次の1週間はBeatlesを聴いていよう。

 Free As A Bird 鳥のように自由になりたい、と思いながら…

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2008年5月30日 (金)

山に帰る

Dsc_0561 先週、山に行ってからまだ1週間しかたっていないのに、もう何年も行っていない気がする。環境の全く違う場所で生活し、これも仕事とはいえ、これまでのルーティンワークとは全く違うことをしていたからだ。ストレスでもうくたくただ。山でのんびりしたい。…といっても実は課題を山ほど抱えている。実際、自分の意志で選んだここふた月ほどの生活なのだが、この歳になって生活を変えるというのは無謀だったと後悔さえしている。

 山はこの土日雨だろう。東京はワイシャツだけだと震えるほど寒い。山はストーブを焚くような気候だろう。疲れきった体で山に向かうのは体より心の方が疲れているからだ。


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2008年5月 6日 (火)

GW終わる

Mac_c_cla 結局4日間フルに山にいたのは私とFerとM乃とトラの三人と一匹。A乃とY乃は八王子辺りですれ違ってきた。でも私にとってはほんのちょっとの切れ目があっただけで、家族四人がいつもそばにいてくれた。山に持っていったMacBook Airは私がいつも占領していたから、子どもらは彼らが生まれる前からあったCollarClassicで遊んでいた。

 4日間一緒にいてくれたM乃もさっき食事をしていた店から直接水戸へ向かって帰って行った。食事中の1、2時間だけが家族全員揃った時間だった。古い店で、子らが小学生のときからときどき食べに行っていた店。そういう因縁のある店でGWの最後を家族一緒に過ごせたのは楽しかった。

 M乃の水戸への「帰宅」時間に合わせて山を昼過ぎには下りてきた。すでに小仏渋滞12Kだったが表示ほどのことはなく、スムースに家に着いた。短い、それもみんな時間をやりくりして過ごした「バースデーofパプ」(とうさんの誕生日)ウィークだったが、HPに掲げたバースデーカードとともにありがたく受けとった。この4日間でリョウブの木の葉も大きく開き、一番遅かった山栗の若葉もちらほらと開きだしていた。またしばらく行けそうにないが、次は完璧な新緑に包まれた生活が待っているだろう。当分頑張らないと…

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2008年5月 4日 (日)

ダッジオーブンでパエリアを作る

Photo GW中の他府県ナンバーの車でごった返す町へ買い物に下りたら、ロングTシャツに、長袖のワークシャツ姿が場違いな暑さで、車の車外温度計は33℃を示している。山の上ではちょうどいい格好なのに。

Photo_4 今回はA乃とY乃が今日入れ替わる。A乃は明日保育園の出番で、Y乃は仕事を始めたばかりの音楽教室のレッスンが土日もあって今夜のレッスンを終えてから、「あずさ」で小淵沢までやってくる。その時間にはもう小海線は終わっているので小淵沢まで迎えにいく。この家を建ててから家族全員が揃うことは滅多になくなった。夕べは山の上もさほど寒くはなかったが、ストーヴに火を入れ、ダッジオーブンでパエリアを作った。圧力鍋のように余熱を利用して調理をするのでエネルギー消費は効率的だが、さすがに台所のガス代には大きすぎて乗らない。本当は庭で火を起こすといいのだが、庭でバーベキューをするには寒すぎる。

 4人分のパエリヤはでかいダッジオーブンの底にはりつくくらいの量だが、それでもすぐに美味しそうに炊きあがる。具材がもうちょっと凝れたらよかったのだが、とりあえずは雰囲気だけ。

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2008年3月28日 (金)

M乃が帰ってきた

 家族の誕生日、記念日には必ず帰ってくるM乃が今日帰ってきた。前回は2月のFERMATAの誕生日。たった2日東京にいてすぐに水戸に帰っていった。今回は明後日が私たちの28回目の結婚記念日。A乃は新しい保育園の研修が始まっており、Y乃も先輩から引き継いだ音楽教室の講師の研修。M乃は一人っ子気分で山についてくる。今日は仕事が遅くなって帰宅したときは私の実家に家族が全員が集まり、夕食をしていた。私は車だったので飲まずに食事だけを食べて帰ってきた。

 今A乃と同居の部屋でA乃のMacBookで遊んでいる。どうも持って帰りたいみたい。A乃はiPodとiTunesしか使っていないからM乃のほうが使いこなすだろう。去年どうしてもデジタルテレビの見ることができるコンピュータがいいと言って、Vista搭載のWindowsPCを買った。でもやっぱり子どものころから使いつづけてきたMacに戻ると楽しいらしい。MacOS X Leopardも新鮮で面白いみたいだ。私は手元からMacBookがなくなると困るから、ダメ、というとお金を貯めて買うという。Vistaが腐ってきたらその頃はMacBookのほうももっとスペックアップしているだろう。今のAppleの攻勢を見る限り、いつ買ってもすぐ後に後悔しそうな勢いだ。まあ、気長にお金を貯めてから買うといい。ちなみに阿漕な商売をする塾を辞めたらしい。最後は全くシカト状態で、嫌みだらけの教室長だったらしいが、生徒の中にこのまま家庭教師をして欲しいという希望をこっそり伝えてきている子もいるらしい。塾のほうはそれを一番おそれているのだろう。商売しか考えていない学習塾というのは半年も勤めると嫌になる。私も学生結婚をしてしばらくしてから8ヶ月だけ塾の講師をしたことがあるが、嫌でたまらなかった。こうして彼女も世の中の仕組みを知っていく。うちの子たちが塾に行かなかったのはそういう体質がどんな塾にも多少なりともあるからだ。講師もそういうところはろくなのがいないから、そんなところでつまらない授業を受けるより、家でのびのび姉妹でふざけていたほうがいいというのがうちの教育方針だった。

 たぶん、Y乃も音楽教室のシステムがわかってきたらやめたくなるだろう。とりあえず留学資金を作ったらやめる気ではいるみたいだが。

 それはともかく明日仕事を終えたら3人で山へ行く。庭に散らばった枯れ枝集めをしたり、家の回りの整理をしよう。この冬は大雪もあったが嵐もあり、庭には古木のかなり大きな枝がごろごろと折れて転がっている。まとめたら、春先のストーヴの薪になるだろう。2週間ぶりの山。本当は休日返上で仕事をした方がいいのだけれどストレスをためて心を壊すより、寸時仕事を忘れて山でのんびりしたい。

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2008年3月 9日 (日)

森の先住者たち〜鹿

  ピンぼけのキツネの表のHPにも書いたが昨日今日と鹿の親子が我が家の庭を散歩していた。初めてその姿の撮影に成功した。とりあえず画像のみをアップする(今回は少し大きな画像にしたため、サムネイルをクリックすると重いです)。Rawファイルを色を少し濃いめに出し、コントラストをつけたが、トリミングはしていない。300mm(35mm換算)望遠、当然手持ちで撮影した。

*アップロードは管理会社のFREESPOTを利用させていただいた。

Ojika08_2 土曜日の朝、寝室のカーテンを開けると鹿の親子(母鹿と子鹿2頭)が森の中をゆっくりとこえていった。そのあと、少しして父鹿が家族を見守るように周囲に注意を向けながら進んでいった。ベッドの縁に肘をついて、窓越しに撮る。逆行で鹿は暗く表情がはっきりしなかったが、レタッチすると表情が見えてきた。でもこれ以上明るくすると撮影時の印象とあまりに違ってしまうのでこの程度にした。気に入っている写真で今壁紙にしている。

Kojika09_01_2 翌日曜日の朝、半分期待しながら寝室のカーテンを開けると目の前に子鹿が1頭だけいた。昨日の父鹿を見た方向と同じ東側だが、曇っていたので雪の明るさでちょうど良い明るさで撮れた。少しだけコントラストをつけて、色をはっきりさせた。これも気に入っている写真だ。

Mejika09_2

Kojika09_02_2

Oyako09_3

Kojika09_03_2

Hurikaeru09_3

 これらの写真は先の2枚と反対側の西側の林の中にいた母子鹿。木々の向こうにいたためピント合わせが難しかった。一点測光のAUTO撮影である。母子2頭が見つめている方向には遅れてきた子鹿が雪の解けたうちの前の道を歩いている。いつでも鹿たちは家族一緒に行動する。これらも家の中から撮った。たぶん外へ出たらすぐにも森の奥へ矢のように飛び去ってしまっただろう。

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2008年2月29日 (金)

今回は自分の意志で…

 今回は特に用事はないが山へ行くのをやめる。

 MacBook Airの注文をしてしまえばストレスから解放されるかと思っていたのに、かえって注文してしまってからのほうがストレスが大きくなった。今使っているMacBookのときは24時間以内発送だったので、ポチッとして翌日には届き、ストレスを感じる暇もなかったのだけれど。今回はCTO(BTO)でキーボードをJISじゃなくUSにしたので余計発送は遅くなったみたいだ。現在のAppleStoreの通常発送は5~7日なのに、私のは注文後10日以上たった今日ようやく発送のメールが来た。それも、シンガポールからの発送(?)のようで、3月5日到着予定。結局発表直後に注文した人たちが手にするのにかかった時間と同じくらい待つことになった。でも、キーボードはUSじゃないといやだったから仕方ない。そうこうしているうちに、TimeCapsuleも今日から出荷が始まったようだ。私の前にオーダーが山ほどあるだろうからこちらの発送は中旬以降になる予定。
 MacBook Airの注文後探しまくっていたインナーケース(英語ではsleeveというらしい)も、USPSに託されたのは注文直後だったが、そこで通関待ちをしていたのか足踏みが数日あって、ようやく昨日Americaを離れたようだ。これも週明けにならないと届かないだろう。

 とまあ、気の短い私にとっては苦しい日々を送ってきて、この土日あたりに届いたら設定やら移行やらして楽しもうと思っていたのだが、何もすることがなくなったので今朝は山へ行くつもりで出勤した。ところが夕方FERMATAからY乃が風邪で寝ているというMailが入った。加えて上記のストレス疲れで気力がなくなった。で、この二日間はぐうたら寝て過ごすことにした。行かないと自分の意志で決めたのは珍しく、どんなに疲れていても東京を逃げ出して行ったのだが… さて何をしてすごそうか。読みかけの本はたくさんあるから、あちこちつまみ食いしか出来なかった本を、この土日でじっくり読んでしまおうと思っている。

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2008年2月24日 (日)

何も知らぬ間に

Dsc_0329 韮崎から清里へ向かう国道141号線から八ヶ岳広域農道に入るとところどころ凍結した路面が現れた。満月を過ぎたばかりの月は薄い雲に覆われているが、天空は明るく、正面に青白い八ヶ岳が見える。高速を飛ばしている間は眠くて仕方がなかったが、路面の不安定さと景色の異様さに目が覚めてくる。甲斐大泉駅の高架橋を渡り、林道に向かうと2週間前の雪が解けずにそのまま残って凍結している。除雪した細い道筋があるから車が滑ってもスピンすることはない。凍った雪の壁に車をこすりながら登っていく。ラフに入ると雪はその量を増し、下りはローギヤのまま、上りは2ndで一気に駆け上る。懐中電灯がいらないくらい庭は明るい。人の通っていない森の中に小さな足跡が続いている。鹿以外の小動物の足跡だろうが私にはそれが何の足跡かわからない。

 土曜日は時折激しい風が吹き、小雪が舞い続けた。今朝起きると庭にカラマツの枯れ枝が大量に落ちていた。そういえば夕べは外で激しい風の音がしていたようだが、家の中にいると何も聞こえなかった。昨日は一日中ここ一月以上書かずに空白になっていたDIARYを手帳とMacのiCalとを眺めながら、埋めていった。全く無意味な日記の記載なのだがここで空白ページを残すと残り10ヶ月書かなくなりそうなのでなんとかでっち上げた。それにしても過ぎた日々の日記を書くという行為ほど馬鹿げたことはないね、とFERMATAと笑った。あなたはそういう人だから、と言われたが、どういう意味なのか。

 今日はのんびり過ごして帰宅するだけにしたかったが、水抜きをした後に排水溝に入れておく不凍液が切れていたので昼食を兼ねて午前中に山を下りた。「一休」というドライブイン風のラーメン屋で「一休ラーメン」を食べる。大してうまくもないのだが、まずくもない。道筋にあって手軽に食事を済ますにはちょうどいい。うまいものを食わせる店があるのかどうだか、もう5年以上になるのに知らないから、とりあえずまずくはないこの店に入ってしまうのだ。

 家に戻ってストーブの火が落ちかけるまでのんびりして帰宅の準備に入る。中央道は順調だったが、途中で府中BS付近からの事故渋滞の表示が出たので、はじめて八王子ジャンクションから圏央道に入ってみる。遠回りだったが渋滞でいらいらすることなく帰宅した。帰宅後すぐに床屋に行く。去年の夏前に坊主頭にしてからほぼ月一回の坊主の更新。待っている間に新聞を見ると、昨日東京は春一番だったと知る。ロス疑惑のどこから見てもあやしい例の御仁がサイパンで逮捕されたことを知る。何も知らずに過ごした2日間だった。世の中のことを知らずに、自分のことばかり考え続けられる時間がなんと素敵なことか、とあらためて思う。

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2008年2月12日 (火)

有給休暇の森の生活

D1000123_2 暦上は昨日までが三連休だったがFERMATAも私も土曜日まで仕事をしたので、有給休暇をとって今日まで休んだ。長期予報では晴れか曇りだった。しかし、森の家で朝起きると雪。この2日間で消え始めていたデッキの桟にまた10cm近い雪が積もっている。のんびりしていると土曜日の二の舞を踏みそうな予感。車はすでに雪に埋もれ始めていた。昨日も雪かきに来てくれた管理会社には火曜日までいると話していなかったから、今日はもう雪かきには来ないだろう。昨日の夜には無事に帰宅しているだろうと安心しているはず。土曜日から何度も家のためだけに(私たちの森の家はそれほど孤立した山の中にあるのだ)何度もジープを走らせて来てくれていた彼らに、今さら雪かきに来てくださいとも頼みたくなかったので、朝食もとらずにとりあえず車を動ける場所まで移しておいて、あとは歩いて車まで行こうと車の雪を払い、大きな荷物を載せて難所を越えた場所に移動した。林道の雪は昨日掻いてもらった上に再びたっぷりと積もっていたが、乾いた新雪で難なく乗り越えることができた。そこから息を切らしながら家に戻り、帰宅の準備と次に来るときのための準備をする。今回は水抜きを慎重にした。外した栓の内側にタオルをつっこんで中の水も拭いた。掃除はそこそこで、持ち帰るゴミも次回に回し、地下倉庫に投げ込んでおいた。森で暮らすということの容易でないことをつくづく感じながら、けれどもそういう難儀を早く日常のこととして暮らしてみたいと思いながら、また息を切らせて山道を下り登りして車にたどりついた。高速では笹子トンネルを越えるまで雪がフロントガラスに吹きつけられていた。

 最初と最後にとっても苦労をしたし、人様に迷惑もかけたのだが、そういう切羽詰まった状況の中で妙にうきうきしている自分も発見した。それは締め切りが迫った報告書に頭を抱え、にっちもさっちもいかなくなる状況と似ているけれど、全く違う次元のうろたえかたを自分がしている。自分で選んだ煮詰まり方かおしきせられた煮詰まり方かの違いなんだろう。仕事をしているからこそ有給休暇をもらえるわけで、仕事を辞めればお金が入らなくなるかわりに毎日が休みになる。もし私に働かなくても食べていけるだけの資産があったら絶対に働かない。有給休暇なんて現在(いま)という時間を切り売りした些細な代償として与えられるものでしかない。捨てている時間のほうがはるかに多い。定年後の再就職が同年配の者たちの間で話題になる。少なくとも私はそういう話に加わる気がない。お気楽だね、と言われる。そう、お気楽が一番だ。

 どんなに雪が降って食料も底を尽きだして身動きとれない状況になったとしても、本当は帰りたくはないんだ、と思いながら降りしきる雪の中を下ってきたのだ。

(掲載写真は携帯電話付属のデジタルカメラで撮ったもの。比べるのもかわいそうだがこの程度しかとれない。暗く、青かぶりしている部分もあり、出来は悪いが、それだけに凄みは出ているかもしれない)

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2008年2月11日 (月)

キハE200

Dsc_0300 月曜日も天気が良かった。遊びに来ていたFERMATAの後輩が東京に戻るので、駅まで送れるかどうか林道を確認。ちょっと心配だったから、チェーンを装着した。一番安い、細めの金属製チェーンで、装着も簡単。しかし、本当に雪が降って立ち往生したときにこれだけ手早く装着できるかが問題なのだが、とりあえず今日は山の上り下りは安心して出来そうだった。もしダメでもこれだけ天気がいいと歩いて山を下るのも楽しそうだ。

 なのにどうしても車で降りていかないとならない理由があった。去年の7月31日、小海線で営業運転を開始した世界で初めてのハイブリッド列車に彼女を乗せてあげたかったのだ。電話で駅に確認し、12:11がその「こうみ」の発車時間だった。

Dsc_0307 定刻より1分ほど遅れて甲斐大泉駅手前の信号機が鳴り出した。去年の夏に乗ったキハE200系が音もなく近づいてきた。車体の外見は特にかっこいいわけではないのだが、車内はかなりオシャレな作り。ハイブリッドカーにあまり大きな期待をかけていない私だが高原を走るディーゼルカーは無粋で、ハイブリッド列車はよく似合う。それだけに外観にもう少し意匠を凝らしてくれたらと思わざるをえない。
Dsc_0308 近づいてくると静かなモーター音が聞こえてくるが全然うるさくない。見かけはただのディーゼルカーと変わらないのに物静かに走る姿はやっぱりちょっと感動する。
Dsc_0309 連写したのではなく、一回ごとにシャッターを押した。スピードが遅いから安心してそれぞれのアングルをファインダー越しに見定められる。大きな容量のRawデータをメモリに書き込む時間はそれ相応にかかっているが気になるほどではない。ただ、サーボシステムのないオートフォーカスだから、近づいてくる列車に合焦してからシャッターボタンを押しきるまでの間にタイムラグがあるからピントが呆ける。やっぱり追従型のオートフォーカスシステムはこういうときに便利だろう。

 お友達は無事に新型高原列車に乗って東京へと向かった。

 で、こうなると旧型はどういう列車だったか、ご覧にいれよう。

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2008年2月10日 (日)

晴れた日曜日

Dsc_0283 土日大雪の予報が外れて、日曜日は一日晴天。屋根にこんもりと雪が積もっており、庭に出ると長靴がすっぽりと雪に沈みこむ。深い雪で覆われた駐車スペースに入れない車は家の前の行き止まりの道においたまま。デッキは雪に覆われ、鳥小屋も雪に埋もれている。

Dsc_0278 FERMATAが鳥小屋の中の雪をどかして、えさを入れるとすぐに鳥たちがやってきた。カメラを構えると合焦したときの音に気づいて飛んでいってしまうが、まもなく戻ってくる。窓を開けて撮ることが出来ないので部屋の中からガラス戸越しにシャッターを切る。何種類もの野鳥たちがやってくるが比較的鈍感で私のモデルになってくれたのは「カワラヒワ」。シャッター速度1/500、絞りはf5.6。RawデータをそのままJPGにしただけで、手は加えていない。

Dsc_0277 木に止まった瞬間をアップで撮る。1/640。どちらも標準ズームレンズを使った。鳥を追いかけてカメラを構えるのも楽しいがおちおち朝食もとっていられないから、適当なところでやめた。庭にはリスの足跡(というか尻尾を引き摺った跡)が長く続いているが、姿を見せるのを待って撮るほど心のゆとりもない。

 ひと月以上家を空けると水抜きをしているから配管は破裂していないが、水道のコックが下がらない、トイレの貯水槽に直に水が流れ込む、洗濯機の温水バルブの栓が閉まらないなどの小事件が起こる。通水をしようとして家の周りのコックを開けたり閉めたりして歩いていると、雪に埋もれた水道栓の位置がわからなくなったり、通水コックの位置がわからなくなったりした。でもこれは単なる物忘れかもしれない。

Dsc_0282 もう何度も遊びに来てくれているFERMATAの後輩と雪道を散歩する。家の長女とあまり年が変わらない。単身赴任中のお父さんのところへ遊びに行ったときにお父さんが買ってくれたという毛糸の帽子が可愛い。1/800、雪目になりそうな明るさなのでカメラは特に何の設定もせず、AUTOでバシャバシャと撮る。300mm望遠。

Dsc_0296 散歩していると、昨日から心配し続けていてくれた管理会社の社長と専務が特製の除雪ジープで雪かきに来てくれた。古い三菱製のジープに中古の車より高い(?)特製のショベルをつけている。二人とも私たちとほぼ同年配。私たちが老人になってこの山に住むようになったとき、まだ二人はこうしてジープを駆ってきてくれることができるだろうか?

Dsc_0277 〔上に載せたカワラヒワの画像(Raw→そのままJPG)をiPhoto でレタッチしてみた。露出・コントラスト・色温度・シャープネスなどいろいろと細かい編集が可能で、私くらいの腕ならこれでも結構いい絵に変えることができる。今回は露出と彩度を少し+側に変えてみた。あまりいじると本物と違ってくるが、これで、汚れた窓ガラス越しに撮った写真が直に撮った写真くらいには変わった(2/16追記)〕

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無茶なこと

 土曜日の午後、東京の町にもちらほらと雪が降り出したころ、私たちは山へ向かった。中央道はすでに小淵沢までチェーン規制がかかっており、時間が経つにつれてチェーン規制のICはこちらへ向かってくることは簡単に想像がついた。大月の手前まではしったところで、須玉までチェーン規制が伸びた。勝沼をこえると甲府昭和からチェーン規制という表示。大月付近でFERMATAが山の管理会社に電話を入れると、家を出ていないなら来ないほうがいいと言うところですが大月まで来ているのなら帰ったほうがいいとも言えないし…と困った様子だったらしい。韮崎手前で渋滞が始まり、車線規制が始まっている。車の走っている走行車線も雪で白くなっているが、走行させていない追い越し車線は雪が積もりだしている。

 焦っても始まらないし、行けるところまでいくしかない、と走り続ける。雪の舞う長坂IC出口のスーパーマーケットでとりあえず3日分の食料とビールを買い込んで、山道に入っていく。さすがに車の通りが時々でもある道はスタッドレスで十分に走れる。しかし林道に向かうペンションや別荘地帯に入ると雪の量が増えてくる。それでも少し前まで管理会社が除雪したことがわかる雪の壁が細い道の両側に出来ていて、道を上っていくことは出来た。ここらまでは予想できた状態で、だんだん暮れてくる森の中に入ってからが問題だということもわかっていた。アスファルトの林道からダートの林道に入るところで一度スタックしかけたがこれは何度か切り返していると抜けられた。そこから一気に下り、下り終えたところから家まではあと100mもない。

Dsc_0289 けれどここからが登り切れないのだ(写真は翌朝上れずに参った地点へ行って撮ったもの。土曜の夕方は写真どころじゃなかった)。とりあえず、FERMATAと今回いっしょに行ったFERMATAの後輩の女の子を歩いて家に向かわせ、私は、坂をずるずると後戻りしたり、一気にアクセルを踏み込んで登り切ろうとしたりを繰り返していた。除雪車が掻いてくれた雪の壁は私の車の横幅より少し広いだけで、車はちょっと横を向くと動けなくなる。ハンドルがくるくると回り、タイヤがどっちを向いているのかわからなくなる。ゴムの焼ける臭いが新雪の舞う森に漂う。買ってきたチェーンを付けようにもタイヤが雪に隠れていて付けられない。もうあとちょっとなのにそのちょっとの坂がきつい。何度か管理会社に救助を頼もうかと携帯を手にするが、大月で来るべきじゃなかったというニュアンスの話を聞いていたからここは何とか自力で脱出しようと思案した。車から降りようとしても壁にドアが当たって降りられない。でもこうなると、車なんてどうでもよくなり、ドアを雪の壁にぶつけて這い出す。車の位置やタイヤの食い込みようを観察してスコップで周りの雪を掻く。何度も登り切れずにつまずいたポイントの雪はタイヤに押されて手前がえぐれ、先が壁になっている。それもスコップで取り除き、あたりの雪を蹴散らして再び運転席に戻る。

 オートマチックのウィンターモードは最初セカンド発進しようとするが途中でギアが変わるようなので、マニュアルモードにしてセカンドにホールドする。しかし、タイヤはその場で空回りするだけ。ギアをRに入れて、少し長めにバックしながらハンドルを回してタイヤの方向を整える。サイドミラーを左右とも下向きにして後部のタイヤと壁との間隔をとるように車体の向きも整える。そして再びセカンドにホールドして勢いをつけて登り始める。何度もダメだったあたりにさしかかると気持ちがくじけてくるのがわかり、その気持ちのくじけがタイヤに伝わるような気がし始めた。そんなことを30分以上続けていくうちに、祈るような気持ちともうどうだっていいという気持ちが交差して、タイヤが擦り切れるまでアクセルを踏んでやろうという気持ちになった。車は止まったところで激しくタイヤをスピンさせ、エンジン回転はレッドゾーンに入る。と、少し車が駆動力を取りもどした気がした。よし、もう一度だ。と再びバックに入れて振り出しに戻る。左側は谷、右側は林。道幅は2mちょっと。命がけというほどじゃなかったがかなり無茶をしていることは確か。だめだったらここに車を乗り捨てて家に行けばいい、こんな雪の中を登ってくる酔狂な奴は私くらいだろう、と開き直ってセカンド全開走行を始める。レーシングカーのような甲高いエンジン音をさせて、2t以上の車が坂の最後のところでもがいた。ハンドルの向きも車の姿勢も問題ない。あとはエンジンが力をこめてこの雪道を乗り越えるだけだ、と思ったとたん、スィっと坂を登り切った。

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2008年2月 7日 (木)

FERMATAの誕生日

 今日はFERMATAの53回目の誕生日。この日のためにバイトを外したM乃が水戸から帰宅している。卒業直前でレッスンや自分たちの弦楽四重奏団の練習で毎晩遅いY乃も早く帰宅して夕食を作っていた。私は、火曜日に休みを取って、土曜の午前中まで仕事があって午後から出かける山暮らしを3連休にするために、今週中にやっておかなければならないことを済ませてから帰宅した。

 先日家族で夕食をしているとき、「誕生日のプレゼントはいらないな?」とFERMATAに私がきいているのを娘らに「何それ?!」と非難された。「普通誕生日何がほしい?って聞くんじゃない?!」というのだ。確かに… でも、おっとりとしたFERMATAは「何もいらない」と答えた。本心からそう思う人だと信じているから何も特別にはプレゼントしないことにした。それでも今夜はY乃の手料理に合わせてワインでも買って帰ろうと行きつけの酒屋に寄ろうとしたら休みだった。まあ、いっか、早く帰ろうとそのまま帰宅した。

 今日来たばかりのM乃は天気予報を見て、明日また水戸へ帰ると言っている。土日大雪がまた降る、という天気予報。ということは、山へ行けないかもしれない。ちょっと気が重い。とりあえずいつもは真夜中に行く山へ昼過ぎには出発するつもりなので、渋滞しても行こうと思う。最後の山道の除雪は管理会社に頼んでおこうと思う。一ヶ月以上間があいたのは山に家を持ってからそう何度もないことなので、何度も書いているけれどもう限界だ。FERMATAへのプレゼントは山へ連れて行ってやること。駅前の村営温泉にでも連れていってやれたら一番いいのだが、雪だとそう容易には山を下れないから約束はしないでおこう。

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2008年2月 3日 (日)

Licam0203 予報どおり東京も雪になっている。窓の外の夏蜜柑の木が雪の重さでたわんでいる。甲斐大泉駅前のライブカメラを見ると昨日の夕方までは残雪程度だったのが、すっかり雪景色になっている。たぶん、山の家の辺りは雪で埋まっているだろう。夕べ寝る前にYouTubeで私の車の雪上走行ビデオをまた見ていて、その情けない登坂力に気を重くさせていたのだが、出かけていたらきっとビデオの車と同じような状況に陥っていたのだろうとちょっとぞっとする。
 結局冬の足としてフルタイム四駆を買うか、今の車と買い替えるか去年の秋頃から考えていたのだが想定していた車会社に頼んだカタログは送ってこないし、ディーラーも何も言ってこないから、SUZUKIという会社は国内では売る気がないんだなと思って、そのままになった。それとも今乗っている車を書いたから、ただの冷やかしかと思ったのか、いずれにせよ格好はともかくもエンジンは何世代か前の、今時の地球環境を配慮したエンジンではない車を東南アジアをはじめ、海外に大量に売りさばいているようだから、日本で見かけることは滅多になく、だから当然乗ったことも、触ったこともなく、写真でしか知らない車への思いは急激に冷めてしまった。
 そんなわけで今週は出かけて行かないでよかったかもしれないと思いつつ、それでも山の空気が吸えなかったことに落胆も感じつつ、ぱっとしない東京の雪景色を見ている。写真で大事なのはフットワークだと、「写真の学校」に書いてあった。ちゃんと赤鉛筆でマークしたのだが、まだ降り続ける雪の中へカメラを抱えて出ていく元気がない。
 
 〔追記〕道路交通情報を見ると、中央道はチェーン規制がかかっており、八王子〜相模湖間は雪のため通行止めになっている。車の能力もさることながら、道路が断ち切られているから、出かけていなくてよかったのだろう。(9:30am)

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2008年1月 4日 (金)

森の生活〜2008

080102_01  2007年の暮れから6日間、本当にぼうっとして過ごした。唯一活動らしい活動をしたのは2日に山の家の管理をしてくれている会社が催した餅つきに出かけ、つきたてのお餅を食べ、しこたま飲んできたことくらいだった。行きはアスファルトの林道に薄く積もった雪が凍っていて滑りそうだったので、一升瓶を抱えてそろりそろりと下っていった。2Kmほどの山道を30分近くかけて下りた。
 餅つきは盛会で、家族づきあいのできる会社の人たちの心づくしに感謝。この村の小さな駅の近くに多目的音楽堂を作りたい、と酔った勢いで、かねてから練っていた計画を話していたあたりまでは覚えているのだが、その後のことはほとんど記憶に残っていない。翌日になって写真をMacBookに取り込んでいて、身に覚えのない駅舎の前での記念撮影やら、林道で大の字になって寝ていてFERMATAに木の枝で突かれているところなどを見て、どうやって帰山したのか記憶をよみがえらせようとしたのだが全然思い出せないのだ。次の写真は去年の正月に雪で車が立ち往生した最後の急坂を娘らに支えられて登っているところだ。帰宅後、風呂に入ったらしいがそれも覚えておらず、バスタブの中で体や頭を洗ってもらったらしい。頭の中には何も残っていないのだが、体は覚えていて、翌日は足が妙に疲れていた。

080102_02 雲の多い晴れの天気が続き、毎日なんどか小雪がぱらついたが、悪天候だったのは暮れの28日着いた晩だけだった。今月は仕事で行けそうにない。それでも何だかいい年になりそうな気がする新しい年の初めだった。 

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2007年12月28日 (金)

山ごもり

やっとハードだった仕事を終え、これから年末年始を過ごしに山に帰ります。三女M乃だけが今夜今年最後のアルバイトがあり、明日水戸から直接山に来るので、家族が揃うのは明日から。今年は3日まで仕事に煩わされることもなく、TVもない世界にこもります。去年は義父を実家に一時帰宅させて私たちが年末年始を一緒に過ごしたのですが、今年もそうしてやろうと言ったのですが、本人にもうその気がないようで(去年の年末年始を自宅で過ごしたことはかろうじて覚えているようですが、それはかなりこちらがいろいろなsuggestionをして、記憶を引き出してやってのことでした)正直ちょっとホッとしています。

天候は今夜から崩れるようで、大晦日は雪になるだろうと予想しています。世の中から隔絶された山の上でのんびりできることの幸せを感じています。年末年始のない仕事柄、数は少ないけれど、働いている同僚に感謝し、仕事のことはすっかり忘れて自然の中に埋没してきます。

みなさんも、良いお年をお迎えください。

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2007年12月17日 (月)

双子座流星群と雪

D1000058 3週間ぶりに山に帰った。金曜日の夜は双子座流星群の特異日だった。明るいうちから上っていた月は新月から数日しか経っておらず、夜中には沈んでいるはず、そう思いながら高速を飛ばしていくと、勝沼辺りで曇り空になってくる。ちょっと心配。山に着いて、車を降りたFERMATAが「今星が流れた!」といった。うっすらとした雲が天空の大部分を覆っているのに、なぜか、オリオン座を囲む形で切れており、のぞき窓のような黒い空の一部に星たちがたくさんかたまっているように見える。その中をかなり明るい流星が流れたらしい。私も氷点下の庭に立ってしばらく眺めていたが、細い尾を曳いたいくつかの流星が見えた。夏のペルセウスのときよりはるかにたくさん流星が飛んでいるようだった。

 土曜日は一日曇り。といっても一日の半分以上寝ていたので正確にいえば私が目を覚ましていた数時間は曇りだった。

 日曜日、朝、FERMATAが起きてカーテンを開けると富士山のシルエットが見えたそうだが、私がその1時間ほどあとに起きたときは写真の状態。2cmくらいつもり、このまま降り続いて下りられなくなったらどうしようかとどきどき、でもちょっとわくわくもした。2,3時間降り続くとやみ、それから日が出てきたので、日の当たる場所はすぐに消えるくらいの積雪だった。それでも夕方近くに林道を下っていくと道は真っ白のままで、ぞくぞくしながらエンジンブレーキを効かせながらおりた。

 やっぱり山の空気はいい。来週の3連休は、Y乃がエキストラで参加するオーケストラの第九演奏会があり、プレゼントをもらいにだけ帰ってくるM乃が山についてこれないので、私たちもやめることにした。第九の合唱団は「飯能市民」とプログラムにあった。期待しないで聴きに行こうと思うが、チケットはもう売り切れ寸前で、ようやく手に入れた。

 そうこうするうちにもう今年もあとわずか。ダイアリーの残りページが寂しくなった。

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2007年12月10日 (月)

師走

 12月に入り、予定していた帰山が仕事でつぶれた。ウィークデイの強行軍で体も憔悴しきっていたから夜中の高速を飛ばす元気もなかったが… 長かった先週のハードさの中で唯一癒されたのはヴェルディのレクイエムを聴けたこと。今週末こそは山へ帰ろう、と思う。次の三連休は仕事とY乃の第九があるから行けない。

 去年の暮れはクリスマスに初雪が降った。冬の足を準備しなくてはと思う。今年の正月の三連休にYATSUGATAKE EXPRESSの足の弱さを知ってから、もっと本格的な4WDがほしいと思い続けてきた。もう高級車はいらない。とにかく多少の雪山でもぐんぐんと上っていってくれる足がほしい、と国産のフルタイム四駆のカタログを国内でもかなりマイナーなメーカーで選び出し、カタログを請求したが、売る気がないのか、ひと月待っても送ってこない。こちらからディーラーへ出かけていく気も時間もない。だからといってセールスマンにつきまとわれるのもかなわない。ガキが乗るような恥ずかしい車だが、四駆としての性能は高いという評判だ。2.7リッター、V6縦置き、レギュラーガソリン車。家族全員が乗ったら荷物は載りきらないだろう。まだ未練があるが、今のYATSUGATAKE EXPRESSのスタッドレスタイヤを新しいのに換え、チェーンも買って(なんで四駆でチェーンなんか買わなきゃならないんだ!)最後まで乗り切るか、とも思っている。8万キロを走ったYATSUGATAKE EXPRESSの今後のメンテナンスにかかる費用を考えたら、新しい国産車にした方がずっと安上がりになりそうなのだけれど… まあ、いい気な悩みだ。

 まだ、山から雪の頼りは来ていないが、風花くらいは飛んでいるだろうな。

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2007年11月12日 (月)

カマドウマの襲来

 週末の夜、森にたどりついたのは0時を回っていた。霧のような雨が降る真っ暗な森の道を照らす車のライトがカラマツの枯れ葉でできた黄色い帯を映しだした。いつものように懐中電灯を照らしながら車を置いた低い土地から玄関の方へ重たい荷物を抱えて上っていった。先に家に入ったFERMATAが大きな声を上げた。

D1000044 写真は事件のあった翌日の夕方の風呂場。実はこの写真は最初の夜の半分以下の状態だった。画面に映っている黒い点がFERMATAに大声を上げさせた張本人たち。
 最初の夜に話は戻る。玄関の扉を開けると家の中じゅう、飛び跳ねる虫がいた。やせて足が長い茶色のコオロギ=カマドウマだった。その数、掃除機の集塵スペースにして4つ分くらい。どこから入り込んだのか、おそらくは排水溝や通気口からなのだろうが、床という床、壁という壁、うじゃうじゃと飛び跳ねまくっていたのだった。飛んで逃げようとするカマドウマを掃除機でキャッチするのはそう難しくなかったが数が数だから一応安心して缶ビールの栓をあけられたのは1時間半くらい経ってからだった。

 実はこれまでも風呂場にはよく出没していたのだが、家の中まで進入されたのは初めてだった。外に出て、掃除機の集塵容器から飛び跳ねるカマドウマを逃がしてやる。ふと雨音が聞こえる。しかし雨は霧のようで音がするはずはない。すると庭に堆積した枯れ葉の上を飛び跳ねるカマドウマの群れ、外壁のコンクリート部分には家の中の壁に張りついていたのと同じようにたくさんのカマドウマ。もうどこへも逃げられない。これからの2日間カマドウマと一緒に生活するのだと思った。

 日曜日の午後、帰宅の準備をする間もカマドウマを見つけては手を空洞にして捕まえては、家の外に放り投げ続けた。特に悪さをするわけでもないし、気持ちの悪い虫でもない。ただ、数が多いだけだった。

 この話を聞いた娘らは完全にいないことが確認されるまではもう山へは行かないと言い出した。たぶん、うちに来る人もこの話を聞いたら二の足を踏むだろう。今週末またいたらと思うとちょっと… でも、カマドウマごときとの戦いで私たちが山行きを断念するわけがない…

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2007年10月28日 (日)

紅葉

紅葉
 一昨日の夜から昨日1日雨が降り続けた。冷たい雨ではなかったが、家から外に出る気力をそぐような振り方だった。黄色のほうが勝っているが赤い色も増えた木々は雨に濡れて色濃く見えた。

 今日は一転して快晴。穏やかな秋の陽気だ。風もないのにカラマツの針葉が雨のように降り続けている。くすんで見えていたドウダンやモミジの赤が日差しを透かして真っ赤に見える。

 今夜はジージ、バーバのところでM乃のはたちの誕生日会をする。だから渋滞しないうちに東京へ向かう。来週はFERMATAが仕事で来れない。私だけで帰ってこようかな。

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2007年10月23日 (火)

ワイヤレス環境

 やっとのことでAirMac Expressが動き出した。MacBook初起動時のsetup同様、何をするのでもなかったがなぜかベースステーションが確立されずにオレンジのランプが点滅し続けた。いったん途中まで緑のランプがついて設定に名前をつけて、ベースステーションを再起動しようとすると確立に失敗し、またオレンジが点滅し始めた。
 すべてリセットして再び挑戦、最初のうちはやっぱりオレンジ点滅。それでもSafariを立ち上げてみるとしばらくして私のHPが表示され、同時にAirMac Expressのランプが緑になって止まった。そこからは一気にうまくいった。
 
 とりあえず東京での環境はマウスもワイヤレスだし、ネットもプリンタもワイヤレスになった。子らがほかのコンピュータを買ったら、それぞれの部屋からインターネットができる。山に帰ったら、AirMac Expressとステレオをつないで、部屋の隅からMacBookに入れたMP4に変換したCDを聴くことができる。もう、場所をとるCDなんて要らなくなる。

 残るはHPの更新ができるようになればいうことなしになる。一方、OSX Leopardは通常の発売日と同時に発送される。元に戻すことを覚悟のうえ、入れてみたい気もする。

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2007年10月21日 (日)

秋晴れ

秋晴れ
 昨日も今日も気持ちのいいお天気。私の家の辺りは日当たりが良くないのか、赤い紅葉はウルシや蔦にしか見られず、庭のドウダンやモミジなどは色づいた程度。少し上のほうにあるお宅の日の当たる斜面のドウダンは真っ赤になっている。2週間前にはまだ緑だったシラカバの葉は黄色く色づいた。葉が落ちる前の秋らしい森は来週戻ってくるころには冬めいた裸木が増えているだろう。

 明日からまた仕事だから午後には山を下りていく。東京の仮寓には新しいMacbookがきている。あんなに悩んだのに購入ボタンをクリックしてから36時間後には届いてしまった! でも山に帰るほうが先だから、一応梱包は解いて頼んだものが入っているか確認して、そのままにしてきた。Macbook本体も実にシンプルで気が抜けてしまうほどだが、マニュアルがないのにびっくりする。確かに薄べったい10cm四方位の冊子は入っていたが、マニュアルというような代物ではない。そういえばiMacのときもマニュアルなんて大したのは入ってなかったし、電源を入れたらTVコマーシャルで使われていたカラフルMacの踊りが始まって、その後は指示通り進んでいったら使い出していた。たぶん今度も同じだろう。久しぶりのノートだし、今のiMacも瀕死状態だけど動くので無線LANを敷くつもり。いずれは娘らも自分専用のPCを買うだろうし。その前に今度のMacbookが持っていかれるかもしれない!

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2007年10月20日 (土)

レインツリーと満天の星

 日付が変わってすぐ森に帰ってきた。車から降りると、ポツポツと小さな雨粒が音を立てて頭に降りかかってくる。ところが空を見上げると、黒いそらで無数の星が光っている。少し前まで降っていたと思われる雨が梢にたっぷりたまっていてそれが落ちてきているのだ。身を切るような寒さではなく、東京で働いていた時のままの恰好でも寒くは感じなかった。

 家の中に入ってしまうのがもったいなく、体を濡らしながら星空を見ていた。木々の透き間からのぞく星空を写真に撮れたら…と思ったが、私たちの頭の中に焼き付けてあればいいと思って家に入り、着替えてビールを片手にベッドに潜り込んだ。一杯目を飲んだとたんにくしゃみが出始め止まらなくなった。

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2007年10月18日 (木)

明日山へ戻ります

 長い長い2週間だった。やっと明日の夜山へ帰ることができる。車は明日の夕方、職場へディーラーから届けてもらう。たかが12か月点検なのに、とんでもない見積り額が知らされた。8万キロも走ってしまえば仕方ないと想定内のことではあったが…

 あいにく明日は雨らしい。それでも雨の森もいいものだ。とにかくぼうっとして2日間生活して、日曜の夜にまた東京に出かけてくる。車だのMacだの今月の出費が多いから出稼ぎはやめるわけにはいかない。ああ木こりでもして食べていけたら、ずっと森で暮らせるのに…

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2007年10月 8日 (月)

ストーヴに火を入れる

07first_fire 寒さは2週間前と大きな変化はなかったが、前回は4人だったのが今回は2人だったし、運動会明けのFERも仕事漬けだった私も疲れていて体中がこりこりしていたので、部屋の中をぬくぬくしようと今シーズン初のストーヴを焚いた。やっぱり炎を見ながら暖まるというのは幸せな気分になれる。ついこの間まで猛暑で苦しんでいたのが嘘のようだ。家の外へ出ると煙突から上がった煙が緩やかに弧を描いて「新しい庭」の木立にぶつかり、白樺の梢にまとわりついている。懐かしいかまどの匂いがする。

Kemuri07 この3連休、天気予報どおりで今朝は夜明けから雨が降り続けた。したことといえば昼寝とCD聴き。外へは一度ミミズを見に出たくらい。ショルティとジュリーニの2種類のヴェルディ「レクイエム」を、オイレンブルクのミニスコアを手に聞き続けた。ショルティの鉄のハンマーで頭を殴りつけるような激しい演奏はどうしても拒否したいのだが、なぜかこの曲に限っては威圧的な演奏に心が揺さぶられる。ジュリーニの演奏は荘厳で、雄大なのだが、怒りの日の大太鼓といい、ラッパの高鳴りといい、なぜか物足りなさを感じた。そう思って、ジュリーニを山においてきて、帰宅の車の中でもう一度ショルティを聴いたのだが、あざといまでのコントラストの付け方にちょっと辟易する。もう一つ若い日のジュリーニ盤があるのだがまだ入手していない。ここではシュワルツコップがソプラノを歌っている。アナログ録音をデジタル化したもので(ショルティ盤もADD)デジタル録音の89年のジュリーニとは違う音を期待している。

 帰路は事故渋滞で4時間かかった。来週は仕事で行けない。今回はまだ緑が多かったが、次は枯れ葉が庭を覆い始めているだろう。

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2007年9月24日 (月)

時間の早さ

Sanrenkyu 手帳を見ると今月は10/30日間山で過ごしたことになる。さすがにこれだけ行くと季節の変化も少しずつ進んでいくのがわかる。先週低灌木が色づきだし小さな小さな秋の野花が地面にはりつくように咲いていたのが、今週は喬木類も少しずつ色づきだしている。写真の木は何という木か知らないが、写真で見るとはっきりしないが緑と黄色が3:1くらいの割合になっている。喬木の類で一番に色づき出すのは山桜の葉だと今年初めて気がついた。

 残念ながら曇ったり雨が降ったりが続く中、時折日が差す程度で、好天とは言えなかったが、まだ冷たいとまでは感じられない秋の雨を静かに吸い込んでいく腐葉土でおおわれた林の中を歩いていると、吸い込まれていく水が地中深く濾過されながら染みこんでいくように時間がゆっくりと流れていくのを感じる。時事的な小文がたくさん並んだ文庫本の各文について要約してコメントをするというM乃の夏休みのレポートを手伝いながら、今の日本が抱える問題を改めて眺めてみて「どうにもならんな!」とゴドーを待つベケットの主人公のようなため息が出てくる。そういうときだけ妙に時間が足早に目の前を通り過ぎていくような気がする。それらの小文自体が学術的な論文ではないから論者は結構いい加減なことを書いており、二十歳になっていない大学生が絶対に付けそうにないコメントを文庫本の余白に書き込んでしまう。正式なレポートにするのはM乃の仕事だけれど、たぶんあと1週間で夏休みが終わるM乃が十数本のレポートに仕上げるためには私の書いたコメントを、これまたいい加減にでっち上げていくしかないだろう。M乃に言わせると、やなゼミをとってしまったと悔いているけれど、手取り足取りの文章作法のようなことを大学生にさせる授業よりはまだましだろう。「説明もろくにしないで出させたレポートの欠点ばかりいう先生だからマジ嫌。他のゼミなんてみんなでボーリング行ったりしてすっごいいいんだから…」…というのが今の大学の実情なのだろうか。たぶんボーリングに行った学生たちよりも欠点ばかりを指摘されるレポートを何本も書かされた学生たちのほうが将来伸びると思うのだが今のM乃にはそれが伝わらない。遊び場の少ない地方都市の大学生には渋谷も新宿もないから、安いマーケットで、何曜日は何が特に安い、とか、燃えないゴミで出すのは電池(!)とガラスだけであとは全部燃えるゴミで出せる、ということに関心をもつことができる。それらの経験が社会や地球に対する彼女自身の態度として良く意識化されることを望む。

 おやじが何で森の中でミミズにゴミ処理をさせているのか、いつかわかる子になるだろうと期待している。そのミミズたちは徐々に寒さを増し始めている森の地中でどんどん増え、活発に活動している。

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2007年9月15日 (土)

セーターの季節

 今シーズン初めてのセーターを着ている。なぜか15年くらい前の毛玉だらけの古いセーターばかり山では着たくなる。

 枯れ葉が舞いだしている。一本だけ色づきだした灌木が窓の外に見える。ストーヴを焚きたいが来週の三連休に来る「四女」の誕生日パーティーまでとっておこう。

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2007年9月 2日 (日)

秋のはじまり

秋のはじまり

 気温15℃。長袖シャツを二枚重ね着してちょうどいい。さっき東京のY乃から電話があって、こっちも涼しいと言っていた。もう秋なんだなと感じる。
 朝一番に薪屋さんが薪を運んできてくれた。二回目で注文した分の2/3が届いたことになる。薪小屋がないからいつものごとくデッキ下に積み上げる。私と歳の変わらない薪屋さんは息も切らせず二束、三束抱えてくるのに、私は一束ずつ抱えてデッキ下にもぐるだけですぐに息が上がってしまう。
 写真の左側は去年の余り。今年も同じだけ頼んだので、安心して冬が迎えられる。

 草花は真夏から夏秋同時にあったが、ここにきて秋の花が目立ってきた。今一番目立つのは月見草と名前のよくわからない小さな菊。萩はもう盛りが過ぎた。庭のワレモコウは周辺の道端のものより大分遅れていて来週くらいにきれいに色づきそうだ。

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2007年8月23日 (木)

作庭術を学ぶ〜八ヶ岳倶楽部から

作庭術を学ぶ〜八ヶ岳倶楽部から

 観光客でにぎわう柳生博の「八ヶ岳倶楽部」で食事をし、彼がいくつもの本で自慢している原生林に連なる店の下の庭を見てきた。自力のガーデニングだったり、造園屋の手によるガーデニングだったり、見る気がなくても目に入ってきてしまう庭がいたるところにあって、それはそれできれいだと思うものもなくはないのだが、心のどこかに「作りもの」への反発があり、加えて庭の手入れという作業自体がめんどくさくてたまらない性分のため、草茫々でどうにもならなくなるまで放置するのがいつものことだった。ところが八ヶ岳倶楽部の裏庭は私が勝手に思い込んでいたガーデニングとは別物だった。土地の傾斜に合わせた枕木の遊歩道はちょっとだけあざといけれど、しかし嫌みさはない。それよりいちばん感心したのは木々の間の小さな草木の自然な、しかしかなり手の込んだ手入れのあとだ。木々も草木もこの林の中で生まれ育ったもので、色とりどりの花が咲いたりはしていない。ホームセンターに売られている外来種の木や花は一つもなく、どれも私のうちにも生えている雑草ばかりだった。気をつけて見ないと見過ごしてしまう白や薄紫の小さな小さな花がわずかにあるばかりなのだ。私のうちの庭先と違うのは熊笹や萩といった比較的勢力の勝った草木と一緒くたに放置されているのではなく、力の強い熊笹などは丁寧に生えるべき場所が選別され、いずれもが穏やかに自己主張しながら共存しているのだ。それはガーデニングなどという舶来の名が似合わない「作庭」だ。
 ふと林達夫の作庭術に関するエッセイを思い出す。八ヶ岳倶楽部で食事をした日の朝早くに、この店の前を通ると、デニムの作業服姿の小柄な、一九分けの白髪をした柳生さんが農機具の前にいた。あのように自然に方向性を与える作業をしながら時間をかけてあの庭は育っているのだろう。

 私たちが赤い境界を示す棒で区切られた小さな土地の下草刈りを始めたのはいうまでもない。

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2007年7月28日 (土)

乾いた風彡彡

久しぶりに家中の窓を全開にした。朝から木々の間をぬって吹く風が心地よく、野鳥の声が聞こえる。室内の気温22℃、湿度70%だったのが、気温は変わらず、湿度だけが60%を切る。夕立でもこないかぎり、夕方には50%になるだろう。

このひと月の東京の湿度は息苦しいほどで、皮膚呼吸ができないくらいだった。温暖化防止のために職場の冷房は28℃に設定され、それだけで気持ちが悪くなりそうな環境なのに昼休みは冷房のスイッチが切られた。家もパウがいた去年までは留守中もエアコンをかけていたのに今年は寒がりのトラしかいないからエアコンなしで、帰宅後冷房を入れる。そんな環境は人間の体だけでなく、ギターにも最悪で、ハードケースの中に入れた除湿剤はすぐゼリー状になる。木は湿気を吸って膨張し、ネックが反ったり、表面板が膨らみ、弦高がコンマ単位だが高くなってしまう。弾きにくいだけでなく、音もこもってくる。マーチンのメンテナンスページでは50%に湿気を保つようにと書かれている。Y乃のバイオリンも同じで年中行きつけの弦楽器屋さんで微調整してもらっているらしい。楽器保管ようの専用室でもあればいいのだが今さら無理な話。

楽器にしても人間の体にしても都会は居心地が悪い。微風の吹き抜ける高原でギターも私もしばし生き返る。

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2007年7月16日 (月)

甲州地鶏の親子丼

甲州地鶏の親子丼
連休最後の朝、携帯電話のFOMAカードが壊れ、電話もメールも使えなくなった。FERMATAの携帯電話で最寄りのDoCoMoショップを探し、修理に行った。3日間で初めて山をおりた。山をおりる直前、地震があった。新潟、長野で震度6強を観測したとカーラジオで知った。携帯電話はカードの交換でぐに直った。それにしても下界は暑い。

ちょうど昼時になったので、これまで何度も卵や地鶏を買いにきてはいたのに、食事する機会にめぐまれなかった中村農場の親子丼を食べた。ここの肉と卵を使ってFERMATAが作る親子丼より美味しかった!

今山の家に帰ろうとしているところだが、食事を待つ人の行列ができている。

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2007年7月15日 (日)

台風の切れ目

台風の切れ目
金曜から土曜に日付がかわるころ山に着いた。小海線の跨線橋を渡り、山道に向かいだすと霧が立ちこめはじめた。車のライトは白い水蒸気の幕しか照らさないが、そこは慣れた道だから難なく家にたどりつく。車のエンジンを切ると外は真っ暗で、懐中電灯の明かりだけをたよりに荷物を家に運び上げ、一息つくとポツポツと雨が降り出した。

昨日から今日の午前中まで風も雨も特に強まりもせず、同じ強さで続いた。非常用のラジオ付懐中電灯のラジオで台風情報を聞く。各地に大雨を降らしているらしいことを知るが、家の中は多少湿気を感じ、薄手の長袖シャツでは寒いだけで嵐の前触れすら感じない。

三連休の中日の今日は雨がやみ、近くを少し散歩した。野イチゴの実が美味しそうな色をつけている。FERMATAが摘んで食べている。

今、ベートーヴェンの第五を聴いていると三楽章から四楽章に移っていくのに合わせるように、雲の切れ目から日が射した。重たい曇天から一瞬のうちに初夏の青葉の輝く色に変わった。何分ももたなかったけれど、ベートーヴェンの生の賛歌と重なり合って森を満たした。

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2007年6月24日 (日)

徳島生まれの快適さ

Nychair01 2脚揃ったニーチェアXとオットマンである。けっして高級なものではないし、美的に際だったものでもない。前世紀、田舎の町工場で試行錯誤を重ねて生まれた椅子であるが、届く前に想像していたような、当時どこの駅前にもできていたスーパーマーケット(今のような食料品中心のマーケットではなくて、小規模な百貨店である)の家庭用品売場に並んだ東南アジア製の安物とは格が違う。今でこそ立派な老人になっているがこの椅子を作ったのは徳島の新居猛という一人の職人である。椅子マニアだった宮脇壇が愛したような椅子たちがA級グルメならぬA級ファニチャならこの椅子はA′級ファニチャだろう。

Nychair02_2 梱包された箱のロゴといい、組み立て説明書に描かれた絵といい、実に今風ではない昭和の名残りを感じさせる。しかし、椅子自体はしっかりとしている。部品もキャンバス地もすべて不具合が出てくれば交換が可能だ。座り心地はしっとりと体を包み込み、実に心地よい。NYのMOMAが目をつけただけのことはある。一応私用はオリーブと名づけられたキャンバス色だが、なんというかもう少しくすんだ色で、落ち着いている。生地はオットマンの組み立てを間違えて座ったときに少し破いてしまったが、ちゃんと組み立てればちょっとやそっとで破れるような柔な生地ではなく、厚手で少し毛羽立った感じがとてもいい。

Nychair03 これはFERMATA用のレンガ色。これもレンガというよりはくすんだ微妙な色合いで落ち着いている。よく考えたものだと感心するようなパイプの形に合わせてキャンバス地に穴が開けてあり、それを木製の肘掛けと組み合わせる。木製の肘掛けには2色あり、白木と茶色く染められたものがあるが、2脚とも白木にした。この木製部が組み合わされたX型の脚部と巧く組み合わされており、回転しながら縦にぴったりと畳めるから邪魔なときはどこかの隙間に押し込んでおける(たぶん私は運搬時以外は畳まないと思うが)。座面が低く落ちており座るとキャンバス地がたわむから床からのお尻のあたりの高さは10cmちょっとと低い。この低さが妙に新鮮で、座って部屋を見渡すと視線がこれまでにない位置になる。今は立ったり座ったり困ることはないが、歳をとったらちょっと辛くなるかもしれない。オットマンは別売りでなくてもいいが、だらしなく座って本を読んだりうたた寝をしたりするには絶対にあった方がいい。ただ、オットマンも含めて一脚が占める面積は結構大きいから広い部屋向きではある。

いずれにせよ、ぐでっとしたい時にぐでっとできる快適な椅子だ。秋口になったらデッキに出して木陰でビールなどを飲んだら最高だろう。

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2007年6月13日 (水)

PAU15回目の誕生日

Pau15th_bd 6月9日はPAUの15回目の誕生日。金曜日の晩に水戸からM乃が帰ってきて、トラも連れて、FERMATAと3人1匹で森へ出かけた。金曜の晩は大月を越えたあたりから雨が降り出し、森はすっかり雨に包まれていた。

 土曜日の午前中、山を下り、インター近くのホームセンターで花の苗をケース一つまとめて買って、山に戻ってPAUの眠る土地の上に植え、残った花を小さな花壇に植えた。もう、ケーキをペロッと食べることは出来ないから、花を植えたのだがこれも彼にはもう見たり囓ったりできない。

Amenomori07 翌日曜曜日、PAUの命日も午前中は雨。一人暮らしですっかり痩せたかと心配していたM乃は相変わらずだったが、好き嫌いは少しなくなって、FERMATAに鳥の照り焼きの作り方を習ったりして、ここ2か月食べたこともないようなごちそうを全部食べた。太るのを気にしてか、雨の中を散歩に行くと言って、私のでかいベンチコートを着、傘をさして家を出ていった。あんまり帰ってこないので、家ではできない電話でもしに携帯片手にその辺をふらついているのだろうと、いかにも娘に嫌われそうなことしか考えない親父は案の定、帰ってきたM乃にそう言って嫌われた。確かに携帯は家に置いて行っていたのだから嫌われてもしかたない。

とはいっても近年あまり口をきかなかったM乃との会話が、PAUの生き死にを契機に出来た。ギターを教えてください、というM乃の言葉に親父が舞い上がったのは言うまでもない…

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2007年6月 2日 (土)

季節が変わった〜3週間ぶりの山

季節が変わった〜3週間ぶりの山
FERMATAが疲れ切って移動教室から帰ってきた。私のほうもいろいろあってくたくただった。山までの150Km2時間の運転分の体力しか残っていない。おぼろな満月を運転席から眺めながら、夜中の中央道を走り、山の家の駐車スペースに車を止めエンジンを切るとぐったりした。家の周りはガスが立ち込め、蒸気のような細かい雨が降っている。真っ暗な夜目にも明らかな草蒸した庭の気配。3週間来ないうちに季節が変わったんだなと思う。

今朝は普通に起きられず、昼近くにようやくベッドからでた。若葉だったリョウブの葉はたくましく茂り、まだ葉の芽吹いていなかった栗の木の葉が青空に透けて黄緑色に風にそよいでいる。去年植えたレンゲツツジが淡い朱の花を咲かせた。

クロアゲハや蛾がひらひらと舞い、森の奥でカッコウやキジか鳴いている。窓を開け放って風呂に入る気持ちよい初夏の午後。

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2007年5月23日 (水)

グリーンベンチ

 毎日どんどん勢いを増して色濃くなっているに違いない緑が見れないからよけいなのかもしれないが、今、はまっているのがエビス<ザ・ホップ>のCMサイトだ。テレビをほとんど見ないから全部見たことはないが、こうして15秒間の緑と音楽の競演を視聴するのは楽しい。実は15秒間ずつのCMでは物足りないのだが、このサイトではミュージシャンのインタビューが見れ、その中でそれぞれのセッションが見聴きできる。こっちのほうが楽しい。

 実際にテレビで見て記憶に残っているのはウクレレ編なのだが、ゴンチチのギター編も、ヴァイオリンとオーボエ編もみんないい。

 で、ビールの方はというと… きんきんに冷やして飲むより、常温に近づいてきた時のほうが香りたかくなるような気がする。最近は本当に大した量を飲まなくなったが、楽しい季節がやってきた。

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2007年5月13日 (日)

季節のうつろい

Uguisukazura 1週間の間に森は緑を一気に増した。日本列島が Over Heat し、各地で真夏日が記録されたから、1249mの森の中も暑かったに違いない。芽吹く寸前だったリョウブもミズキもきれいなきみどりの葉を開いた。透き通るような緑の小さな金平糖のようだった唐松の葉は松葉らしい形になってきた。日曜カメラマンのFERMATAが今回とらえてきたのはウグイスノキと呼ばれる質素な花。こういう花ばかり選んでいるのではなく、1249mの土地で自然に見られるのはこの程度の花たちばかりなのだ。タンポポでさえ、200mほど下ったあたりに咲いている花とうちの近くの花は大きさが500円玉と100円玉ほどにちがうのだ。

Yamazakura07_1 さて山桜も場所によって咲く時期も花の数も違う。駅前近くではとおに終わってしまっているが、うちあたりは先週ちらほらしはじめた。どの花の写真をみても、映し甲斐のないぱっとしない花ばかりだ。そうやって外見にださない内実の豊富さを出すところがFERMATAによく似ている。
 外見もお化けみたいだが表から感じられる精神構造の貧困さもお化け並の幹部の女性がいる。頭が悪いことは、人の立場をまず認めないところからすべてを出発させるからよくわかる。旦那を知っているが似合いの夫婦だろう。この二人、安いからかどうか知らないが、東南アジアのリゾート地へよく行っているらしい。二人ともご当地の花や昆虫とよく似た夫婦なんだろう。すくなくとも、八ヶ岳南麓の小さな村でひっそり生息するには不向きな毒を持った人々だ。

 

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2007年5月 6日 (日)

GW最終日〜心地良い雨

GW最終日〜心地良い雨
昨日までの真夏日のお天気が持ち上げた気分をそっと冷ますように柔らかな雨が降っている。この4日間で森の気配が少し変わった。木々の若芽が萌え始め、見る見るうちに薄黄緑色の葉が大きくなっていく。こんなにのんびり自然を眺めたことはなかったなと思う。

二度買い物で山を下りたが、ふだんは絶対にこのあたりでは見かけないフェラーリの軍団やらずいぶん遠出して来たなとわかるナンバーの車が長い下り坂でずっとフットブレーキを踏み続けてかつての村道で列をなしている。これまで閑古鳥が鳴いていた店はどこも満杯で、有名なスポットは近づけない。さほど名は知られていない地鶏や卵の販売店も昼時はもう売り物はなく、簡単な食事も並ばないとできない盛況ぶり。店のお兄さんと話すと、卵はその日の雌鶏の仕事次第で何個店にだせるかわからないのだが、今朝は開店前に並んでいた人たちが買ってしまっておしまいだったという。

家の周辺もふだん見かけない人や車が少しは行き来するが、といっても数回のこと。訪れる鳥たちの数のほうがはるかに多い。

これからの季節は人出もおおくなるが、夏休みまではここまでひどくはないだろう。

誕生日を終えて、リタイアまでの年数を指折り数える。できたら片手で済ませて森に籠もりたい。

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2007年4月30日 (月)

連休の谷間

Yane 朝5時に山を下り、仕事のために帰宅した。快晴で南アルプスが赤く輝いていた。この連休前半にしたこと。屋根の落ち葉下ろし、万年筆画。屋根の落ち葉下ろしは時間が前後してしまったが,土曜日の昼間,雨の合間にやった。

Nez_eu_pic

 日曜日にきれいに落とした後の画像は下の写真。その後,やることもないので,万年筆で新しい鞄の絵を描いていた。3枚描いたうちの一番最初の絵。だんだんうまくなっていくのだが,ペンの勢いがあったのは1枚目のこの絵。ベルトを一本書き忘れていて後から書いたのがわかる。この絵が一番ボリューム感が出ている。色は1本で8色の芯が入ったぺんてるのmulti8を使ったので本当の色が出せなかった。5,6年使ったあとのような味のある革になっている。

 脳が部分的な欠損が始まるとこれまで使わなかった部分が使われだす,と聞いたことがあるが,絵心などまったくなかった私にしてはうますぎる,と思っている。アルツハイマーの兆しが未知の世界を開いているのかしら。

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2007年4月29日 (日)

屋根の枯れ葉下ろし

屋根の枯れ葉下ろし
管理会社の月一点検で北側の屋根に積もった唐松の葉の掃除をしたほうがよいと報告があった。いつもの年だと降った雪の重みで一緒に落ちてしまうのだが今シーズンは寒い日暖かい日が交互にやってきて、落ち葉ごと雪が凍りついて、雪が消えた後も枯れ葉が大量の水分を含んだまま屋根にへばりついていた。

昨日は雷雨が来たり晴れたり変わりやすい天気だったが、晴れのすきまをみて、天窓から屋根の上に這い出て手の届く限りの重い落ち葉をこそぎ落とした。急勾配の屋根の上を歩くにはザイルでもないととっても無理で、方形(ほうぎょう)の三角形の底辺に山になって濡れた落ち葉が残ったままだった。

今朝は快晴で南アルプスの白い峰々が輝いている。地下の物置から脚立を出してきて今日は下から掻き下ろすこと挑戦した。東西に大きく傾斜している土地の上に建つ私の家は東側の屋根は一階分の高さだが西側屋根は二階分の高さがある。その上、地面は厚い腐葉土で覆われているから脚立は不安定だった。それでも二つ折りの脚立を一本に伸ばし、一番上まで昇って熊手でなんとか落ち葉の山を掻き下ろすことができた。家の本体からはみ出した庇にあたる部分は室内の温度が届いていないためまだ凍りついていた。

てっぺんまで昇っていないからわからないが、屋根にのぼれば四囲の山々が一望できるのじゃないかと想像していたのがそれは無理だということはわかってしまった。知らない方が幸せということはたくさんある。

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2007年4月28日 (土)

お天気雨@山

200704280956341 山の便りです。GW初日、天気予報に反して明け方からずっと小雨が降っている。森の緑は2週間前とほとんど変わっていなく見えるが、ミクロの世界が見えるFERMATAは前回芽を吹き出していたタラの芽は山歩きの人か専門の山菜採りの人に頭からもぎ取られ残っていないし、蕗のとうはすっかり伸びきってしまっていると言う。私の目にはデッキをくり抜い残したリョウブの芽が開きそうで開いていないのがわかるくらい。暖冬といわれながらこの冬のシーズンは寒かった。今もストーヴを焚いている。

今回は30日が仕事なので明け方山を下りて直接職場に向かう。

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2007年4月15日 (日)

春のはしり

Hukinoto07 甲府を過ぎると雨がひどくなった。予報どおりだ。通水作業がまだ済んでいなかったため、雨の中、懐中電灯を照らしながら家の周りを一周してマニュアルどおりに栓を閉めていく。霧がたちこめ、暖かい雨が降り続いている。

 一夜明けると良い天気だった。3週間前と一見して変化は感じられないが、よく見るとデッキにかかる木の枝に若芽が今にも吹き出しそうになっている。冬枯れが行きつくところまで行きつき、春の芽生え目前というこの時期はマクロで見るともっとも森が貧相な時期で、部屋の中からも林の向こうに富士が白い冠をつけて青く見える。ところがミクロの目で見ると春はもうそこかしこに訪れている。今回の画像はすべてFERMATAが散歩しながら撮ってきた。
Taranome07
 私はこの家が建ったときから気になっていた洗面所のタオル掛けのぐらぐらを直していた。すぐにクレームを付けたのだが適当にネジの締め増しをして済ました会社はその直後に倒産した。後ろに柱のない石膏ボードの上にねじ込んだだけの手抜き仕事は抜本的な解決法を考えないと駄目だった。結局、町まで下りていき、板を買ってきた。思い描いていた飾り彫りされてオイルステインが塗られた腰板風の板はちょうど良いのがなくて、浴室の中と同じ檜の板を一枚買ってきた。これを壁の上から後ろに柱のある位置に釘で打ちつけ、タオル掛けをつけ直した。4年がかりの懸案事項を解決して私の休日のお仕事は終わる。 Hosyu

 どうも小さな花を見つけながら歩く趣味はなく、FERMATAが写真で撮ってきた画像を見るだけで十分という山暮らしを指向する人間らしくない生活を続ける。それもまた私にとってリラックスできる時間の使い方なのだ。

Sumire07 スミレもタラの目も蕗のとうもボケの花も毎年見ているから見なくていい。もっと遠くに見える青い山脈の方に目がいく。 Boketsubomiボケのつぼみは可愛いが色が淡すぎて私の視野には飛び込んでこない。言われて初めて気づく程度だ。こうしてみると男と女のものの見え方は違うのだなと思う。

 帰り道はFERMATAの希望でいつもと違う道を行く。韮崎に向かう桃園が続く道。菜の花と桃の花がFERMATAの予想どおりに鮮やかに咲き、空にくっきりと富士が見える。 
Togenkyo 写真は新府城跡の近くの桃園。

 相変わらずM乃からは音沙汰なし。帰宅後、FERMATAが、一日一回くらい生活を報告しなさいとメールするとしばらくして、今日はチーズトーストを食べた、元気! とだけ返事がきた。連絡しないのも彼女が新しい土地へ順応するための必要な過程なのかな。

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2007年4月 1日 (日)

山に行けない

 春めいてきたにちがいない山の家に3週にわたって行くことができない。そのあとも連休にかけて行けるかどうかわからない。仕事と家事とでどうしようもない。

 山の管理会社から低い方の家から順に通水作業をしていってくれるとの連絡がきた。これまでは毎週のように行っていたから会社のサービスを受ける前に自分で通水してそのままで帰ってくることが多かったのだが今年は会社のお世話になりそう。そういえば車のタイヤも冬用から夏用に履き替える時期だ。めんどくさいからこのまま冬用を履きつぶして来シーズン新しいスタッドレスを買うという手もある。ちょっとうるさいのをがまんすればいい。

 今日も東京は暑い。先週も暑かった。来週はいよいよM乃の引越。暑くても寒くてもいいけれど晴れるといい。

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2007年3月18日 (日)

厳寒の山

Minamialps0318 先週体調を崩して1日半仕事を休んだのだが、金曜の夜には2週間振りの山が恋しくなってでかける。今シーズン一番寒いんじゃないかと思うくらいの冷え込みで、家の外に設置された給湯器の水抜き栓の中が凍っていて通水のために差して十分にねじ込んだつもりのバルブが十分に入らずに通水したとたんに水が噴き出した。着いた晩は−2℃で、小雪が舞っていた。
 翌朝は一面の銀世界を期待してカーテンを開けたが、快晴で夜の雪は積もるほど降らずにやんだ様子。家から青い富士と南アルプスの白い嶺々が木々の向こうに見える。2002年に建てたときと比べたらずいぶん周囲の木々も減り、冬でもこれほど南アルプスの姿を垣間見ることはできなかったが最近は周辺の木々が整理されたか倒れたかしておおよその形が見えるようになった。もしご近所のように山小屋風の二階屋にしていたらもっと高いところからの眺望がきいて山もよく見えたかもしれない。うちより少し上に建つお宅は西側の谷に面してそびえ立つような高台に大きな二階建ての山小屋を建てているのであのお宅からは甲斐駒も北岳も手に取るように見えるのだろう。でも我が家は屋根の面積ばかりが妙に大きな平屋建てで、谷からすこし離れているので周囲の木々で景観はよくない。おかげで隣接する家もなく、山中の一軒家でこれまできているのだが…

 土曜日の朝も寒かったが一日家の中に閉じこもり、いつものとおり寝たり起きたりしていた。そんな生活をしていても無為に過ごした気がしないのは眠っている間に森の精気を体が吸収しているからだと思っている。晴天で寒さは厳しくなるばかり、夜になってデッキは−8℃まで下がった。寝る前に外に出て星空を見上げると大粒の星ばかりが妙に光っていて、ニキビだらけの中高生みたいな星だらけの空ではなかった。それでも眠れずに0時近くになって外に出てみると星の数は増えていた。

 今朝は土曜日にもまして快晴でどうしても隙間からのぞく山を見ているだけでは物足りなくなり、FERMATAとMont watchingに出かける。最初は新しくできた広域農道を南アルプスの方に向かって車を走らせた。上の写真には写っていないが左から鳳凰三山が尖ったオベリスクもくっきりと姿を見せていた。そして写真の後列から頭を出しているのが日本で2番目に高い北岳、そして仙丈ヶ岳の長い山並みに続いて甲斐駒の威容がくっきりと見える。少し雪の量が2週前より増えた気がする。

Yatsu0318 同じ広域農道から目を北に転ずると八ヶ岳を仰ぎ見ることができ、南側には富士も見えるのだが、今度はまだ一度も走ったことがない八ヶ岳高原道路を走りに行く。最初は有料道路だったが、ここ2年くらい前から無料になり清里、美しの森方面へあっと言う間につける横断道ができている。この写真は高原道路に入ってすぐ、大きな谷をこえてすぐのところにある見晴らし駐車場から撮ったもの。

 とりあえず30分くらいのお出かけだったが、山に来て買い物以外で出かけるのは滅多にないことでたぶん今後も誰かが来たときに連れてくるくらいでわざわざ毎回見に来ることもないだろう。とにかく寒くて家に戻ってストーヴの火を見てホッとする。トイレに入って窓から北側の林の中を見ているとキジが枯れた林の中を歩いている。まあ、別に驚くほどのこともない何でもない出来事が私たちの山暮らしの中心にある。それで十分だという気がする。

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2007年3月 4日 (日)

啓蟄

 そろそろ啓蟄。昨日今日の山は10℃を越える暖かさだった。今年になって初めて虫が飛んでいるのを見た。富士は春霞でぼんやりとしか見えない。甲斐駒を中央にして南アルプスの山々は、後列から頭だけ出した北岳を除いて雪が消えだし、黒い筋が多くなった。八ヶ岳も同じで赤岳も地肌が見えだしている。南の北岳だけが真っ白な頭を鳳凰三山の後ろに見せている。

 さすがの林道のアイスバーンも量が減り、今日帰宅するときには轍が残った氷の部分よりも多く、滑る心配はなかった。庭は虫たちが地面から這い出てる穴ではなく、モグラの作った小山が黒くあちこちにできていた。私たちは相変わらずのんびりと寝たり起きたりの生活をしてきただけだったが、来週もまた仕事で来ることができないので、そんなぼんやりとした山の時間が貴重だった。

 M乃の受験もいよいよ終盤戦に入る。今週は山梨の大学の試験が東京の大手予備校である。Naoさんがかつて受けたという大学をM乃は実際には行かずに受験する。どこにあるかも、どういう学校かもよくわからずに受ける。そういう時代になったのだなと思う。安達太良山の見える大学の発表は山梨の公立大学の受験の前の日。とにかく、気ぜわしい一週間がまた始まる。

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2007年2月18日 (日)

暖冬の雪と鹿の残した物

Akenoyuki この前の3連休は仕事で行けず、2週間振りの山。土日と天気が崩れるという予報だったが金曜から土曜へと日付が移り変わるころ、信頼の薄くなった車を駆って山へ向かう。前回満月で蒼白く光っていた山並みは全く見えない新月の夜。想像していたほど寒くなく、車の外気温計は−4℃。林道に入るまでの道に残雪は残っていないが、林道に入ったとたん凍結した氷と薄くはりついた氷雪が路面が車のライトでテラテラと光る。アスファルトの林道は雪も氷も消えない。確かに冬以外の季節はよいのだが冬には弱い道で、これも人間が自然に逆らって作りだした便利なようでどうにも扱いきれない《反自然》に対する仕返し。あと数十メートルで本当のダートに入るというところで車は動けなくなった。タイヤが氷の上を空しく空転する悲鳴が響く。アクセルから足を離すとそのままずるずると急な坂を滑り落ちていく。右側は深い谷。深夜の山道でまた恐怖体験をする。ふらふらと蛇行して滑り落ちる車を、ハンドルを左右に当てながらフットブレーキを強く踏んで、さらにサイドブレーキを引く。ようやく車が止まる。見ると道の両脇に白い残雪が凍った状態で残っている。何度かタイヤを空回りさせながら、凍った雪の上に乗り、ハンドルを立て直して急坂に再度挑戦する。あまり強く駆動力を掛けすぎて雪を書き散らせば下に凍った路面が出てくることはわかっているから、シフトをウィンターモードにして、セカンド発進する。グリップを得た感触がアクセルに感じられるとあとはざくざくと音をたてて道の左隅を木の枝をこするように上っていく。15分くらい格闘してようやく土に上にでた。凸凹の土の林道には雪は残っておらず、ときおり深くえぐられた溝にたまった水が凍っているのが見える。それよりも、週の半ばに吹いた春一番の残骸か、林道は細い倒木にさえぎられているが、ここまで来るともう車にキズがつくとか何だとか考えている余裕はなく、バリバリと踏みつけてもう一度きつい坂を上りきった。しかし、この夜の走行はあながち車の低性能のせいではなく、無茶だったと翌日点検に回ってきた管理会社の人の話で了解する。その人は私たちが上っていった日の夕方下りで制動を失い、動けなくなり、自分の会社のジープでの応援を要請したと言っていた。

 いずれにしても山に無事着いた。車から降りると、空は真っ暗で星だらけだった。

 土曜日は疲れて昼過ぎまで寝ていた。曇り空が重く、頭も重かった。午後からちらつきだした小雪は少しずつ枯れた冬の山を見栄えよく白くしていく。雪化粧とはよく言ったもので、アカ松以外落葉樹林ばかりの森は本当に冬の間は寂しくみるべきものもない。だから、またまた同じような写真を載せているが、つまりは冬の山は厳しいだけでとりたてて楽しいことはあまりない。写真は今朝(日曜)、日の出の時間を少し過ぎたころ。

 夜間、ちらちらと少しずつ降り続いた雪は音もなく、静寂そのものだった。ところが明け方、隣で寝ているFERMATAが「なんか家を叩いている音がする」と私をゆりおこした。確かにごとっ、ごとっと音がする。家の中は36時間焚いているストーブで暖かく、家の温度が屋根の雪を溶かし、屋根に乗って凍っていた木の枝や松ぼっくりを地面に落としている音。もう一つは梢の上から一晩降り続いた雪が木の枝や松ぼっくりを落とし屋根に当たっている音。そうに違いないと思ったが、一応明るみだした家の外へ出て点検をした。当然誰もいないし、動物の姿もなかった。

Sikanohun 起きてコーヒーを飲み、東京の娘たちが起き出したころ家に電話を入れると、東京はひどい雨らしい。山も雪からみぞれに変わっている。そのみぞれも昼過ぎにはやみ、薄日が差し始めた。さすがに春間近の雪は溶けるのが早く、庭先の雪もどんどん消えていった。水分も分厚い腐葉土が吸い込んで、湿気はきれいになくなっている。荷物を車に積み込んで、庭の奥に眠っているパウにあいさつをして帰ろうとすると、黒く光る艶やかな親指大の鹿の糞が庭の真ん中にたまっていた。この土地を初めて見に来た2001年の冬、雪の中に鹿の足跡と糞があった。それがこの土地に決めたきっかけだった。その後家のすぐそばを鹿の親子が通るのを見たことはあったが庭に糞を見つけたのは初めてだった。私が家を建てたために鹿の通り道の一つを奪ってしまったとしばらくは気が重かったが、こうしてまだ新しい糞を見ると彼らは再び家の庭を横切ってくれるようになったとうれしかった。今朝方FERMATAが聞いた物音は彼らの散歩の音だったのかもしれない。

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2007年2月 5日 (月)

満月に浮かぶ山々

 心配して出かけた先週の金曜日の晩は満月で、西日本から北陸にかけて雪を降らせているのに、東海以東の太平洋側は晴天で、真夜中なのに雲一つない夜空が明るく、中央道甲府南ICを越えると、真正面に雲のような、煙のような横に細長い白い陰が見え始めた。最初は雲かと思ったが雲にしては山の形をしている。そのうち、雪のない南アルプスの表側の連峰の後ろに聳える北岳をはじめとする雪の積もった山々だとわかった。高速を下りて周囲を見回す余裕が出てきて南アルプス側を見ると、おなじみの甲斐駒が雪を頂いて夜空にくっきりと見えた。そのうち、目の前に南八ヶ岳の赤岳や三つ頭が迫ってきて夜目にも鮮やかに山陰がはっきりと見えだし、林道に入る直前にはもう目の前にまで迫った。あまりに荘厳すぎて怖い気がするほどの光景だった。マニュアルの効かないカメラでは映像に収められないのが残念だった。
 車載の外気温計はー7℃を示し、林道はカチカチに凍り、ここも真夜中ながら蒼白く凍った残雪が光っている。山の家の庭は下で持ち上がってあちこちに小山ができているが、それがあまりに固くてのってもざくざくと壊れない。室内は−1℃。ストーヴに火をつけて、燃え上がる火を確認してからすぐに風呂へ熱い湯を張り、体を温めた。こういう夜もいいなあと湯上がりの体をストーヴにくっつけるようにして冷たいビールを飲んだ。

 土曜日は快晴。夜半から風が吹き出し、日曜の昼ころまで吹きあれた。
 
 今日から受験本番がスタートするM乃のために急いで帰宅し、私が得意の(?)トンカツを揚げた。

Hinode07

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2007年1月28日 (日)

Toraの「誕生日」とキクイタダキ

Tora6thbd02 トラには誕生日がない。6年前の1月27日、東京に大雪が降った日に我が家の玄関前に捨てられていた。声を嗄らして鳴いていた子猫は鼻水を垂らし、まもなく死にそうなくらい痩せこけていた。その日以来我が家の飼い猫になった。すぐに獣医のところに連れて行かれたトラは生後ひと月ほどと言われたが、我が家では拾われた27日をもって彼(その後彼は男子ではなくなったが)の誕生日は1月27日になった。
 この土日、娘らが家を留守にするので、私とFERMATAといつもの山行きに連れて行った。暖冬といわれながら八ヶ岳南麓は例年になく雪が多く、この日も韮崎から旧大泉村に入るころからWindowsのスクリーンセーバーの星が迫ってくる画面のように雪が車のウィンドウに向かってきた。小海線の跨線橋を渡り、林道にはいると21日に降ったという雪の上に新雪が積もり、車は何度も制動力を失った。
 それでも何とか家までたどりついた。台所以外に火の気のない家の中で唯一暖をとれるのは薪ストーブの周囲だけで、トラはストーヴの後ろの煉瓦の上に自分の居場所を決めた。


Kikuitadaki01 その誕生日の日の午後、私たちが遅いブランチをとっていると(そういえば前にもこういうことがあったのはブランチの最中だった)、デッキの上のリョウブの木から窓にぶつかる物体があった。見ると非常に小さな鳥だった。目を閉じ、腰を抜かしてデッキの上に尻をついている。
 
Kikuitadaki02 近づいても動かず、丸くなっている。前のワシの仲間と違ってこいつは小さいからもう駄目かなと思って手に取ってみるが、ほの暖かくときどき細長い足を動かしている。額に黄色い筋が入っていて中央が少し赤い。体の毛は鶯色をしている。FERMATAがいつものようにポケット野鳥図鑑をめくっている。

Kikuitadaki03 時々目を開けるようになったのでデッキの上におろし、餌をデッキの上に少し置いた。が、小一時間ぼうっとしたまま、「私は誰? ここは何処?」状態が続いた。家の外に出てカメラを向けても動かない。まだ脳震盪が続いているみたいだ。私たちは飽きずにその鳥の様子を見ていた。その鳥は、図鑑によれば「キクイタダキ(菊戴)」という和名のある、日本で一番小さい鳥だということだった。私がサッシの硝子を何度叩いても動かなかったが、首を左右に動かすようになった。リョウブの木には平気で山雀の仲間が来ていた。そのうちようやく彼は(額の黄色の菊の花びらの中央に赤い部分があるのが雄と図鑑にあった)リョウブの木に移ったが、そこから飛び立つのにさらに時間がかかった。
Kikuitadaki04

 無事飛び立って冬枯れの林に帰っていった鳥を見送ると、しばらくしてまた雪が降り出した。

 さてトラの話しに戻る。以前、犬っぽくなった猫であると書き、赤ん坊のように抱っこされるのが好きだと書いたら、猫好きの人に不思議がられた。私の大げさに書く癖を知っている人が信じないのも仕方ないくらい猫らしくないのである。最後に、今日、帰宅してから娘に抱かれているトラの写真を撮った。うちの中でこういう抱かれ方を求めてこられないのは私だけである。なぜかわからない。私だってニューハーフの彼を愛しているのに…


Tora6thbd01

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2007年1月25日 (木)

東京の星空

 長い2週間だった。M乃の受験が始まり、さすがに今年は悠長に構えてもおれず気を揉み、結果(といっても自己採点だが)は想定外の出来だったようで、かといってもう浪人は嫌らしく、去年のようなこだわりのある志望校選択をあっさり放棄し(本人は一応こだわっているというが、なら去年だって受けておけば良かったじゃないかと思わせる選択をしている)、とにかくどこかへおさまってしまいたいらしい。おやじのこだわった浪人時代の話を何度も聞かされている彼女としては、それはそれでいいのだけれど… とにかく、大学4年間で世の中を渡っていける知恵をつけられるわけではないから、行きたいところより行けるところへ行くという選択のあり方もいいと思っている。これからが本番なのか、すでに行けるところは限られている今、道のりの半分は終わったのか、今のシステムがよくわからないから、私には何とも言えない。

 さっき、FERMATAの父親の入っている施設の駐車場に車を止めて、夜空を見上げた。周囲にさえぎるものがないので、天空がぐるりと見渡せる。風があったから雲はきれいに吹き飛ばされた黒っぽい空に半月にあと少しの月が出ていて、星はわずかにしかみえない。判別できたのは北のカシオペアと南のオリオンだけで、どうしてこんなに小さいんだろうと思うくらい星座を構成する星が貧弱だった。東京で星を見ようと思っても今ではこの程度にしか見えないことはわかっているのだが、あらためてその光の寂しさを実感した。だから都会の人間は狂ったように電飾を競い合うのか。クリスマスが過ぎたのにいまだに家を明かりで飾っているところが残っている。夏の花火といい、冬のライトアップといい、厚化粧のホステスのようで見ていておぞましくなる。

 暖冬というけれどなんだか私にはとても寒い冬だ。

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2007年1月14日 (日)

ベニマシコ

Benimasiko01 今日はFERMATAが仕事で8時に職場に行かねばならず、午後からはY乃が家の近くのホールで小さなオーケストラの助っ人として出演するのを見に行きたかったから、山はお休みのはずだったが、前回手帳(一冊の手帳ごときがないために精神が動揺してしまう性格は何度も書いているのでご存じのことでしょう)を山の家に忘れてきたのをとりに金曜の晩、車を飛ばしていった。そして今朝まだ夜も明けぬうちに山を下りてきたところ。

 雪はあれから降っていないようで量は増えていないが、寒さも厳しかったようで減ってもいない。真夜中の林道は大きく腰を振るようなことはなかったものの凍結していて家に着くまで怖かった。めんどくさい通水を済ませ、くだんの手帳に一週間の出来事をあとから書き足し、寝たのは午前1時を回っていた。

 翌朝はキーンと晴れて気持ちよい一日だった。朝風呂に入る。我が家は風呂場もトイレもすべての窓が素通しだから、露天風呂に入っているような感じで、眩しい日差しを浴びながら風呂に長く寝そべると、この一週間の面白くなかった仕事の憂さも融けていく。手帳をいいわけにして、生活のリセットをしに来たのかもしれない。雪で食べ物がないのか、デッキの手すりや餌箱に野鳥用の木の実のセットを入れるといろんな鳥がやってくる。体は大きくないが地元の顔を自ら任じている山雀や四十雀あたりが最初にやってきて餌場を占領する。その後も階級順にいつもの連中がやってくる。

Benimasiko02_1 夕方、5年目にして初めて目にする鳥が数羽、たぶん家族でやってきた。私たちがここに住み着けば珍しくもないのだろうが、偶然目にした野鳥だった。さっそくデジタルカメラを構えるが、何といっても古いIXY300だからすぐに電池はなくなるし、望遠は大して効かないし、あまり期待せず、充電したり、撮ったり、電池が切れてまた充電したりを繰り返しながら1時間以上鳥の撮影を行う。一方でFERMATAが野鳥図鑑を見ながら鳥の名前を探す。たぶん、ベニマシコだと思うが、オオマシコかもしれない。Mont BlancのインクBordeauxのような酒紅色をした体に黒と白の縞の入った尾羽を背負っている。最初のうちはカメラをもって窓際に近づくと波状飛行をして向かいの林に逃げていくが、日の暮れる前にたっぷり腹ごしらえをしておきたいという事情もあるのだろう、そのうちカメラに動ずることなく、デッキに覆い被さったリョウブの木にやってきて餌箱に入ったり、デッキの上に残っているヒエかアワを啄んでいる。

Benimasiko03 東京では今、椋鳥の異常繁殖で騒動が持ち上がっているが、鳥が増えたことを大騒ぎする人間の身勝手さは、山で野鳥に本来は食べられない餌を与えてしまうのと通底しているのだろうか。よくわからない。それでも夕日を浴びたマシコ一族の記憶に我が家をサンクチュアリと刷り込んでくれたらいいなと思ってしまう。

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2007年1月10日 (水)

吾輩ハ Tora デアル

Tora07 吾輩はトラである。名前はトラである。どこで生まれたかとんと見当がつかぬのは文豪の家の猫と同じである…

 吾輩は今、恥じ入っている。実は山の家に着いたその夜、パウ兄ぃの匂いを探して家の中を駆けめぐっていたのだが、そのときロフトから玄関側に落ちたのである。なんとも胸が痛い。この家の姉さんや母さんに抱かれることが大好きな犬じみた猫なのだが、今は抱かれるのが痛くて辛いのである。しかし猫のくせして高いところから落ちて胸を打ったことによる恥の痛みのほうが大きい。

 東京の家へ帰宅後、一番上の姉さんに医者へ連れて行かれた。この医者はどこかで見たことがあると思っていたら、吾輩から「玉」を抜いた医者である。『赤ひげ』などと生意気な診療所名をつけているが、吾輩にとっては悪玉の医者である。「肋骨が折れていますな。でもまあ、食欲があって、そこそこ元気なら様子をみながら自然治癒を待つのがよろしかろう」などとのたまった。まあ、痛い思いをさせなかったことで許してやろう。文豪の家の猫は酔っぱらって水瓶に落ちて死んだが、吾輩はそういうドジだけは踏まぬよう気をつけよう。

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2007年1月 8日 (月)

雪の三連休

Hubuki07 山で迎えられなかった今年の正月はこの三連休に始まる、とこころに決めていた。金曜日、ふだんは帰宅の遅い子らも早くから家で準備をして私の帰宅を待っていた。家に帰るとすぐに家族5人+猫1匹の荷物を車に積み込んで夕食もとらずに出発。去年までは荷物を座席の方にまで積み込んでpauのスペースを空けていたのに今年はそのpauがいない。

 高速を飛ばしてETCの割引時間帯も無視して山まで一直線で向かった。小海線の跨線橋を渡り、林道に入っていくと車のライトの真正面に大きな牡鹿がこちらをじっと見据えて立っていた。いったん車をとめてあいさつをする。臆病な鹿はすぐに踵を返して別荘地の奥の方へ消えた。幸先がいい。半年ぶりの娘らを含めた家族全員の森の生活はストーヴを焚くFERMATA、通水をする私とM乃、簡単な食事を創り出すY乃、荷物の整理をするA乃とみんな楽しげに動く。思ったより寒くなく、−3℃くらい。人が多いせいもあり、狭い山の家はすぐに暖かくなった。

 低気圧の到来という天気予報どおり、翌朝は一面の銀世界で一日中水気の多いぼたん雪が降った。昼過ぎに高速バスでやってくるぴょっちを迎えに町に下りて買い物をしていると、須玉ICからチェーン規制がかかり、そのための渋滞が始まったと携帯メールが入った。1時間遅れでバス到着。山道は15cmくらいの積雪だがスタッドレスを履いたAWDは何事もなく走った。土曜日の雪は午後からみぞれに変わり積もった雪にポツポツと穴が開くような感じで量が減っていったが、なくなる前に日没。

 その夜、近くの森の中で雪崩の音を私以外のみんなが聴いたという。日曜日の朝はまた新しい雪が昨日の雪の上に降り積もり、車止めにおいた車はあっという間に雪に埋まった。この日の雪はパウダースノーで風に吹き飛ばされるような雪だったが、除雪の入っていない山道は重い雪と軽い雪が重なって深くなっている。なのにFERMATAは駅前のパノラマの湯に行きたいと言い張った。気が重かった。しかし私も走れないとは思っていなかった。

 それが甘かった! 家を出てすぐに大きな下りと上りが続くV字谷をそろそろと車を走らせ、Vの字の右側の頂点まで行きつき、そこから多く曲がりながらさらに続く上りに入ったところで車は制動力を失った。ずるずると下がりだした車を何とかコントロールしながらV字の一番下までバックで戻り、何度か繰り返すうちに、新雪の下の凍った前日の雪が出てきて前にも後ろにも進めなくなった。車のお尻半分が谷側にかかったところで車は止まった。温泉どころではなくなった女性軍は家に引き返し、管理会社に連絡を入れてもらった。除雪機を前につけた小さなジープがやってきて私の車を牽引しようとしたがどちらもスリップして動かない。それでも体勢を戻すことはできた。救助に来てくれた小林さんと二人で策を練るが結局牽引はあきらめ、自力で戻るため車の向きを家の方向に変えるために少し広めの部分の除雪をしてもらう。雪の壁に何度か鼻先を突っ込みながら切り返しを繰り返してようやく車の向きを180度変え、V字の上りを除雪しながら先導してもらい何とか家に戻ることができた。約1時間以上、雪の中で格闘した。車の中も、体も雪だらけ。これだから都会の人は… とは言わなかったが、小林さんそう思ったろうな。お世話になりました! 実は前の車でも一回小林さんに来てもらったことがあり、そのときの苦い経験からAWDに変えたのだが… 自然を甘く見ちゃいけないということをまた学んだ。

Turara07 今朝は真っ白な雪の中を日が昇りきれいだった。屋根が暖まったせいで家の四方すべてに長いつららがシャンデリアの飾りのようにキラキラ輝いた。それでも午後になると雪雲がまた立ちこめ、気温がぐんぐん下がりだした。小雪も舞いだしたので昨日の今日だから心配で早めに帰宅の準備をして山を下りた。昨日登り切れなかった上り途中の曲がり角はきれいに除雪されていた。きっと昨日のうちに小林さんが雪を掻いておいてくれたのだろう。高速のインター入り口までたどりつきほっとして、管理会社にお礼の電話を入れた。

 中央道は空いていた。キズだらけだったり、鼻先やバンパーがへこんでいる車を何台も見た。同じような思いをした人がたぶんかなりいたのだろう。幸い私のYATSUGATAKE EXPRESSはキズもなく、元気に家にたどりついた。

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2006年12月29日 (金)

東京から眺める山の様子

Licam2 これまでの年末年始なら夕べ仕事を終えて帰ってきたらそそくさと山へ向かっていたはずが、今年は義父の世話で大晦日から新年の二日まで身動きがとれない。休み初日の今日はぐったりとしてしまって寝て過ごす。少し前に起きて私の部屋から見える東京の夕焼けを見ていて、ふと山の様子が知りたくなった。貼り付けておきながら自分でも滅多に見なくなっているメインページの「山の様子」をクリックし、甲斐大泉駅前のライブカメラの画像をみる。北向きのカメラは八ヶ岳を映している。前三ツはいつものようによく見えている。右奥の真っ白な赤岳には雲がかかっている。

Licam  もう一枚は南向きのカメラで泉ラインを映している。よく見ると泉ラインの入り口にあるいずみ荘の屋根が半分白くなっている。きっとこの数日、もしかしたら夕べあたり降った雪だろう。道路は黒いから雪はもう消えている。私たちが行っている間雪が降らず、この冬はまだ雪を見ていないのだが、こうやってすぐ消える雪は何度か降ったのだろう。

 私の家は駅からさらに250mほど山を登るので今頃は庭も白くなっているだろう。割合すっぱりとあきらめていたので、山での年越しができないのはそれほど残念ではないけれど、こうして便利なものができて、リアルタイムの状況を東京から眺めることができると、普段は滅多にしないのに、凍てつく寒さの中を歩いてみたいなと思ったりする。

 一時帰宅させる老人は今入っている施設に来年の春までしか入っていられない。そのあとを今の場所を決める前から探していたが、夕べ次に入ることのできる施設からOKが出た。義母の方はすでに終の棲家を見つけ、そこで安全に暮らしている。こうして2人の老人たちは別々の場所で人生の終末を、別に話をしても面白くもないような赤の他人とともに過ごしていく。周囲にいる人々ももはや普通の元気な老人じゃないのだから話しすら通じないかもしれない。たしかに暖かく設備は整い、たくさんの介護士があれこれ手伝いをしてくれている。一時帰宅するFERMATAが生まれ育った古い家よりはずっと快適な生活なはず。6人もの子宝に恵まれても、私たちも含め、一緒に暮らして面倒を見る者はいない。核家族化の一番進んだ時代の老人とその子たちの世代。それぞれが自分たちの家を持ち、家を維持し、子どもらを育てるために夫婦共働きをするのが当然になっている世代。
 複雑な思いで、人間の一生について考える。医療の進歩は延命を容易にした。動かない手足や狂いはじめた脳を抱えていてもちゃんと生理的に生存させる。子らの世代もすでに初老の域に入りだし、自分たちの体のあちこちにもう若くはない徴をちゃんと刻みだしている。定年をそろそろ実感しだした世代の職場の連中は再就職の道を具体的なあてもないまま話している。定年を指折り数えて待っている私は定年後まで働きたくないとそばで黙って聞いている。けれど夫婦して山籠もりしても山での生活がいつまでできるのだろう。今だから本物の老人になった自分たちが森の木を少しずつ集めてきてはストーブを焚き、贅沢なものは食べずに、穏やかにほっかりと過ごそうなどと考えているが、具合が悪くなったら病院はどうするか、雪が降ったら町へどうやって降りていくか、そのころ今のように車を飛ばして、畳の待合室が残っている「村」の診療所やマーケットへばんばん出かけられるとは限らない。晩年のPAUではないけれど玄関やデッキに上っていくための階段すら上れないかもしれない。

 考えても仕方のないことは考えず、年末年始、FERMATAの手料理でかつて文学について話した義父の相手をしてやろう。テレビ好きの老人だから昔のように紅白にはりつくかもしれないが、もし、テレビを見ることが嫌いになっていたら、彼も若いころ好きだったフルトヴェングラーの第九を一緒に聴こう。山は逃げないけれど、この老人はそう遠くない将来去っていくのだから。

 FERMATAの兄弟がこのブログを読んだらきっと縁起でもないことを書くと怒るだろう。みんなクリスチャンを自認している連中が「縁起を担ぐ」というのも実におかしいな、その連中が家が一番近いからとうちに老人の世話を任せて…と私は屈折した思いで書いている。まあ誰も読みはしないから書いているわけだが本当は親に対する温度差が違う私の思いを読んでみて欲しいとも思っている。何かが起こらないともはや動こうとしない私たち夫婦も含めた義兄弟姉妹にとって本当は何もないときの老人との時間のほうが大切なのだと思っている。

 書き出したころの夕焼けはとうに沈んでしまい、急に冷気が部屋に立ちこめだした…

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2006年12月24日 (日)

森から帰る

Kage 今年最後の山行きは天候に恵まれた。着いた晩も翌晩も星がきれいだった。最近目が覚めると頭痛に悩んでいたので、いつものんでいる睡眠・精神薬系の薬をのまずに寝た土曜の夜は2、3時間ごとに目が覚めた。そのおかげで普段は滅多に見ることのできない午前3時過ぎの夜空を見た。前夜9時頃に見た時は最近の女の子の眉を逆さまにしたような細い下弦の月が西の空にあり、北の空にはカシオペアが屋根の上に見えた。それが6時間後には天空が四分の一回って月はもうなく、北の空には北斗七星が見えた。いつもはぴったり南の空に見えるはずのオリオンが9時も翌朝3時も中途半端な位置にあるのか見えなかった。
 氷点下−7℃でも日差しがあるから昼間は暖かく感じる。影を映そうと思ったがこれがなかなか難しいことを写そうとしてわかった。

Konomi クリスマスイヴの今日は南アルプスも八ヶ岳も富士もよく見えた。いつもは家族の誰かがきていてそれなりににぎやかなのだが、今回は私とFERの二人。私はCDとギターとノートと本を交互に見たり聞いたりしている。FERMATAは持ってきた新聞を読み終え、することがなくなってデジタルカメラを持って散歩にでかける。赤い木の実は庭先でとったというが、どこにあるのか私は知らない。アップするとピンぼけになるのはいつものご愛敬。
 
 往復の高速が空いていて、下道に入ってからのおいしいケーキ屋の前などが違法駐車の車で混んでいる。Y乃は大手町の何とかというビルのフロアで弦楽四重奏の演奏で帰宅が遅く、家族揃ってのクリスマス・イヴが遅くなった。日曜のクリスマス・イヴ、それも大手町のオフィス街のビルで素人に毛の生えたような弦楽四重奏を聴く人出があるのかどうかわからないが、2ステージで一人1万5千円はいい稼ぎだろう。そうこうしながら今年もあと1週間になった。

 私は今、Anjiというギターの曲の練習にはまっている。人前で聴かせられるほどではないが、とうてい無理と思っていた曲がほとんど弾けるようになってきた。山のストーヴでギターを弾く左中指を火傷した。山の家の軒下の蜘蛛の巣を払おうと思っていたのが手つかずで終わった。寒い山の上でPAUがひとり年を越す。年末年始は東京で老人と過ごす。雪はとうとう降らなかった。いい年だったのか悪い年だったのかわからない。どうとも考えられる普通の一年だったのだからいい年だったと考えるのが精神衛生上良いのだろう。新年のあいさつまではまだ早い。もう一踏ん張りしないと年を越せない。

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2006年12月22日 (金)

山に向かいながら

 今週は月曜日、火曜日となぜだかとっても疲れる仕事をして、水曜日の朝、起きられなくなった。私たちが山に行っている間にノロウィルスに感染したY乃の影響でもないし、インフルエンザでもないのだが、頭が重痛く、上半身が固まったように凝っていた。休みの連絡を朝、職場に入れると、FERMATAが仕事に行くと思って作っておいてくれた弁当を食べ、そのまままた眠ってしまった。不眠に悩む(本当は熟睡できないだけで寝つくことはできる)毎日なのに、気がついたら午後4時近くになっていた。少しさっぱりしたが、翌朝も仕事にでるのがおっくうになって休んだ。

 大したポストではないし、大きな仕事を任されているわけではないのだが、いなきゃいないで他の人が困るだろうと今日は出かけた。山ほどの書類が次々と私を襲ってきた。いまだにへたくそな計算機を叩き、書類に目を通し、決裁にあげるとすぐに戻ってきて、今度は支払いをする。年末の請求書はできるだけ年内に支払いたいと契約をしている部署から次々と支払いの書類がくる。半日、オンラインのパソコンの前に座り通した。

 休んだ直後だし、本当は山へなんか行ってられないのだが、山へ行くというのは短期間の入院をするようなもので、FERMATAと二人だと病人のように私は動かなくなる。FERMATAの方は私に食事を作るだけであとは新聞や広告を片っ端から読んでいる。これもリハビリをしているのだ。

 150K以上の道のりを山に向かいながら、いつもと同じ山の時間がちかづいてくるのを感じる。深夜になっても車の量は結構多く、こっちは飛ばしていく必要もないから煽っては抜いていく車のテールランプを見ながら気づくと高速を降りている。FERMATAは走り出すとすぐに寝るから、私一人の旅のようだ。高速を降り、山に向けてぐんぐん高度を上げていく一般道になると急に飛ばしたくなる。やっとのことで一週間を終えた週末の家の窓硝子が車のライトを反射するとホッとする。私は各水道栓を閉じて外回りをしながら通水作業をする。その間、FERMATAはストーブの薪に火をくべる。私は何度も空を見上げ、なんの音もしないくらい森の中を見回す。昨日は新月。晴れていれば星が見えるはずだが、今日は雲が多そうだ…

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2006年12月17日 (日)

冬の時代

Xmas06 クリスマスを控えて、浮かれはじめている人もいるだろうし、年の瀬をどう食いつなぐか思案に暮れている人もいるはず。さまざまな人々がこの世にはおり、さまざまな冬を迎えている。生きることは浮かれている人にとっても荒みきった心にうちひしがれる人にとっても厳しいことだ。受験を前に焦っているくせに笑ってみせる娘、吐き気と下痢のウィルスに冒されたのかもしれず家族、とくに妹を気遣って部屋から出てこない娘、仕事で毎日帰宅が遅いのに休みは彼氏と遊びに元気に出かける娘。みんな自分の生を生きるしかない。学期末の仕事に追われて山にまで仕事を持ち込んでがんばる妻。やることは職場でとっとと片づけて休みのことばかり考え、音楽を聴いたり、ギターを弾いたり、ばかりしている夫。そういう家族がてんでばらばらに生きているように見えてどこかでつながっている。

 冬の森で今年初めての雪虫を見た。風が強く雲の流れが早く、急に曇ったかと思うと急に日がさしはじめる。その繰り返しの中で冬の日に照らされた白い雪の粉が南八ヶ岳の高嶺から舞い降りてくる。第九の第三楽章がフルトヴェングラーの棒でゆっくりと奏でられている最中のことだった。馬鹿げているくらい絵になるシチュエーションだ。夕べ飾ったクリスマスツリーの電力の消費量が少ない小さな明かりが様々に色を変えながら点滅している。

 国は教育基本法を変え、防衛庁を変える。恐れていた事態がむっくりと起動しはじめた。一番危惧していた男が政治を動かしだしたから。100年前のこの国の動きを繰り返しだした。こうなることは先刻承知していた。今後の動きもおおかた見えている。冬の時代はここにもちゃんとやってきた。私たちの冬はいつか春の訪れとともに循環していく。しかし私たちはもうこの国の次の春を待つことはできずに消え去るだろう。もしかしたらあり得ない「美しい国」の亡霊だけが廃墟の中を浮遊している時代がまもなくくるかもしれない。メンツで国の行く末を決めようとした過去を反省しない人々を選び出すこの国の愚民たちが望んでいるのならそれも仕方がない。「今年の人」は「You!」だから。

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2006年11月19日 (日)

子規の目

Momiji06 手入れしていない庭に生えている紅葉が鮮やかでない朱に染まった。日当たりの問題か、寒すぎるのか、栄養がいきとどいていないのか、毎年こんなものだ。手前にもう1本かたちのいい紅葉の木があるがこれは色づかない間に葉が枯れて、細い枝ばかりが恥ずかしげに赤くなっている。紅葉の向こうにパウが眠っている。

 短い週末、金曜から土曜日に日付が変わったばかりの深夜に山に到着。車をとめる空間に枯れた木の枝がのびていて車のボディがキーッと音をたてる。5万キロ以上走るといくら高価な車でも全然気にならなくなる。いつもの癖なのだが、車から降りて空を見上げる。木々の生えていない空にようやくオリオンが判別できるくらいたくさん星が出ている。最近痛くてよく動かせない首をさらに真上にあげると、葉を落とした木の枝枝の間に星が瞬き、人工の電飾ツリーをあちこちで見せられる都会から離れてようやく何万光年をかけて届けられた光の競演を見る。この夜は到着後の一杯もやらず、寒い体をさらに寒いベッドの中に押し込んで寝た。

 翌朝は7時前に目が覚め、カーテンを開けるとのぼって間もない太陽が裸の木々の間に見えている。これまでよく見えなかった秩父の山が木の隙間に青く見える。富士はもう霞んで部屋からは見えない。部屋の温度は0℃、外は−5℃。思いの外寒くないが、それでも火なしではいられず、ストーヴを焚く。1時間もしないうちにストーヴにはりつけてある温度計が350℃のDanger Zoneに入った。Naoさんのコメントどおりの三冊のうち、読み出していた「墨汁一滴」を開く。20世紀の初めからこの随筆は始まる。すでに病床から起きあがることもできない子規は枕元に寒暖計と橙と、橙と同じ大きさの地球儀をおく。そして20世紀末の地球儀を思う。その20世紀もとうに終わってしまっている。日本の領土は縮小し、紫に塗られた朝鮮半島から狙われている。敵の大将は正常な人とも思えないが、狙われる日本も自業自得という感じがする。
 病床苦痛に堪えずうめいている者の周囲に2、3の人が寄り、「人の耳ばかり見ているとよっぽど変だよ」などと言って笑っている。子規曰く、「健やかなる人は人の耳など見るものなることを始めて知りぬ。」
 漢字についていろいろと考えている。字画のあやまりや、「四」の字の違いを縷々書き付けている。「賣」という字の「四」と、「讀」という字の「四」は別の字であることを初めて知った。そういえば音が違う。前者は「ばい」だが後者は「ど(と)く」だ。試しにフォントを拡大してみるとわかるが、この二つちゃんと違う。「冒涜」は新体字になってしまっており、旧字体はコンピュータでは出てこないが「讀」のつくりと同じだろう。漢和辞典を調べてみようと思ったが山にはなかった。金田一春彦蔵書を見に行けばすぐに解決するのにと思いながら、山を下る気がせずにそのままになった。

 Naoさん、私が3冊読む前に自称活字中毒患者のNaoさんなら読み終えてしまいますよ。私はうつらうつらの合間に数頁ずつ、書き込みをしたりしながらの長旅ですから… Naoさんという名前、確かにNaoさんだからまあいいのだけれど、Nauさんだったらよかったのにね。フランス語読みすれば「のうさん」と懐かしい読み方ができる。aoはドイツ語読みだと「あう」だけど「のう」にはならない。うーん、eugeneはぜったいパスポートでも認めるべきだ。昔掛け合ったけれどだめだった。そういえばキャッシュカードもクレジットカードもeugeneを認めてくれない。私としてはもう絶対YUJIじゃないんだけれど…

Otiba06_1 今日は昼前から雨。朝ぶち込んだ薪が燃え尽きそうになり、足すのをやめて、村の露天風呂へ行く。森の中の道は黄色にのびている。これは全て針のような唐松の落ち葉。万年筆のインクを夏は緑、冬は茶(セピア)にしようと思っていたことがある。けれど、冬の木々は小学生が描く絵のように茶色ではなく、実は鼠色なんだと今日ふと思った…

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2006年11月17日 (金)

風邪気味だけれど…

 先週からFERMATAが風邪をひきだし、それが私に週のはじめにうつり、昨日は仕事を休んだ。咳が深くて苦しく、体もだるかった。薬を2日半飲んだせいか、今日は何とかかったるいなりに仕事を終えた。先週山へ行っていないので今日はどうしても行く。死んでもいく。

 東京でこれだけ寒いのだから山はもう氷点下かもしれない。水抜きは始まっただろうか。紅葉はもう峠を越えてしまって禿げ山になっているだろう。とにかく、山でのんびりと休息したい。

 今回はS&GのCDと正岡子規晩年の随筆集を3冊持って山に籠もる。ストーブの前でのんびりと子規を読みたい。

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2006年11月 5日 (日)

晩秋の森

Karamatu06 傘をさして歩きたくなるくらいに落ち葉が舞っている。唐松の針葉は黄色く色づき、さらさらと音をたてて降ってくる。私の家の庭には真っ赤に紅葉する木が少なくて、あっても紅葉などは日当たりが悪く、真っ赤になる前に枯れていってしまう。100mも下に下がるとむしろ紅葉は鮮やかで、ペンションなど手入れも行き届いているから赤や黄色やきれいに配色されている。

 木々に限らず、人生のあらゆる場面で心当たることだが、外から見たときに見えるものが内側に入ってしまうと見えなくなる。逆もしかり。きれいなタペストリーをほどいて一本一本の糸を見ても面白くないのと同じことなのだ。それでも秋の深まりは森の家を包み込んでいて、そのただ中で降りしきる落ち葉を見ているとそれが自分の人生に重なり合ってくる。たぶん人の目から見ればそれなりにいろいろあって楽しい人生だったのだろうと思われるのだろうが、内側から自分を見つめると寂寞の思いしか浮かんでこない。

Sirakaba06 遊びに来ると言っていた友人が来れなくなったと携帯電話のメールを寄越す。人気のない家の中でぼんやりとしていると我が家の目の前に車が止まり、季節外れの麦わら帽子をかぶった歳は30前くらいの男性が椅子とキャンバスを手に下りてきた。私がいつも車で上ってくる森の中の坂道の頂上に道具をしつらえると絵を描き始めた。一本道が急激に下っていく景色を描いている様子。書き物をしたり、楽譜を読んだりしていても気になり出すと気になってしかたがない。けれど悪い人じゃなさそうだし(秋ぐちから先々週くらいまでは腰に袋を下げたキノコ取りが数人早朝から人の森に入り込んでキノコを探していた。たぶん山を下りたあたりに出店を出して「山菜キノコ」の看板の下で売っている連中だったのだろうと思うがそういう連中は追い返したくなる)、気にしないようにしながら気にしていた。日が落ち始める少し前に、色づいた森の中と同じ色に描かれたキャンバスを手に車に乗って帰っていった。暖かいコーヒーの一杯もごちそうしてあげればよかったと後で思った。

 素通しガラスのトイレに座って森の中を見ていると、木に赤いリボンが巻かれている。そういえば、家の敷地の境界を示す石標のまわりの地面に青いスプレーで○が記されている。山道にも青い矢印が吹き付けられていた。これからなのか、もう終わったのかこのあたりの森がオリエンテーリングのコースになっているようで、家を建てて間もないころレース中の選手たちを見たことがある。そういう季節もまもなく終わり冬に入る。来週は後輩の結婚式で山はお休み。再来週には木はほとんどが丸裸になっており、家の水抜きも管理会社が済ませてくれているはず。夫婦二人の静かな三連休だった。


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2006年10月24日 (火)

50000キロの旅

5000knotabi 車を購入したときすでに予想はしていたのだが、最初の車検を前にちょうど「YATSUGATAKE EXPRESS」は八ヶ岳へ向かう途中中央道の府中BSを通過するときに50000キロを超えた。画像は助手席に乗っていたぴょが携帯電話のカメラで撮ってくれた直前の49999キロを示すダッシュボード。今「YATSUGATAKE EXPRESS」は車検で家を留守にしている。実にこの走行距離の半分以上は山へ行くときに踏破した距離だ。山へ行くために買った車だから当然だと思っているし、よく走ってくれていると思う。おそらく東京のマイカー族の平均値の5〜10倍は走っているはずである。モノは使うためにあるのであって本来の用途に供さず飾ったり眺めていたりするためにあるのではないと全てのモノについて思っている。特に車なんか下取りを気にして走るのは全く無意味だ。乗り潰れるまでしっかりと乗ってやるのが愛車に対する正しい態度だと思っている。前の車のとき「人生最後の車にするから」と頼んで、子供のころから好きだったVOLVOにしたのだが、その車は晩年山行きにこき使われてダウンしてしまった。今度の車もVOLVOだが「最後の車」と言うべきかどうか迷い、こころの中で半分はそうしたいと思いつつ、口にはしなかった。こういうことを言うと周囲の反感を買うのだが車なんて走ればいいと本心思っている。金があるからVOLVOにしたのでも、どうしてもこのVOLVOが欲しくて今の車にしたのでもなく、毎週ひどい凸凹道を走り、冬場は雪の降る道を走る車として当然のように目の前にあったのが今の車だった。正直言って最初は面つきもボディの基本的なフォルムも嫌いな車だったのだが今は慣れ、愛着も沸いている。ただ、山で合成洗剤を使わず、石油燃料をなるべく使わず、環境に思いを向けているくせに、毎週ガソリンを燃やして汚い空気を吐き出して山へ行く自分の生き方に割り切れない感じは持っている。

Maron そうして50000キロの旅を続けてきた車で出かけた先週の週末、わが家のすぐ裏を走るレースの応援をする。紅葉が進み出した山肌の中を走るのはかつての走り仲間、というより大先輩が折り返し点を越えて急な坂を上っているところ。彼もまた普通の人間じゃ考えられないくらいの距離をここまでの人生で踏破している。すでに走ることをやめて久しい私のodometerはもう回転しないが、まだまだ現役の旧友は走り続けている。

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2006年10月15日 (日)

命拾い

Haitaka 土曜日は曇り空で冬の始まりのような天気だった。前の深夜に着いて、ちょうど車の中で聞き続けてきたCDの音が耳から離れずにギターを弾き出してしまったので寝るのが遅くなり、この朝は二人とも遅くまで寝ていた。起きたのは私が先で、ゾクッとしたのですぐにストーヴを焚いた。後から起き出したFERMATAがコーヒーといつも焼きサンドウィッチを作って食べだしたのは昼近くなっていた。ストーヴの前に張りつくように、私が西のほうを向き、FERMATAが東のほうを向き、お互いの後ろにシンメトリックに作られている窓の外の秋の景色を見ながらサンドウィッチを食べていた。傾斜地に立っている家なので、FERMATAの見ている東側は目線がそのまま林から道路に続く高さなのだが、私の目線は森の木立の上の方になる。

 私のほうからは狭い庭の空間を飛び越えて林が見える。サンドウィッチの最後の一切れを口に入れようとしたとたん、その空間を滑空してきた物体が私に対面するはめ殺しの窓に向かってきた。あっと思う間に左側の物体は急上昇し、右側の物体が窓に激しくぶつかり、空洞のような私の家にドンと叩くような音が響いた。かなり大きな鳥が窓ガラスにぶつかった音だということはすぐにわかった。何も見ていなかったFERMATAはビクッとして振り返った。私はサンドウィッチをくわえたまま、窓のほうに走っていった。ギャーという鳥の鳴き声が林に響いた。窓から2m程下の庭に鳩を少し大きくしたくらいの灰色の鳥が落ちていた。正直なところたいていの生き物は嫌いではないが、死骸は嫌いだ。
「首の骨でも折ったのかな?」とFERMATAはすでに死んだものとしてその鳥を見ていた。確かに全く動かず、雑草の生えた庭に「倒れて」いた。私はFERMATAに片づけるのを命ずるつもりだったし、FERMATAのほうも自分がやらされるのだろうと覚悟していたようだった。

 ところが数分後その倒れた鳥が立ち上がった。キョトンとしてあたりを見回している。脳しんとうを起こして倒れていただけのようだったが、立ち上がっても足を踏ん張ったまま顔だけ左右に動かしていた。もう一度書くが、私は死骸は嫌いだがたいていの生き物は好きなので、デッキから庭へ階段をそうと下りていった。頭上の大きな栗の木の上で先ほど窓の直前で急上昇していったたぶん夫か彼氏に違いない鳥がギャーと鳴いた。「頭を狙われないようにね」とデッキの上からFERMATAの声がした。

 その鳥は体が鳩くらいで、全体的に灰色をしており尾羽に4本の明るいうす茶色の線が入っている。顔は猛禽類独特の鋭さがあり、嘴は鷲鼻のように下に曲がっている。胸は私の好きなセーターのような暖かそうなベージュと灰色の柄になっている。足は鮮やかな黄色で小さいけれどがっしりと地面をつかんでいる。白みがかった薄い灰色の頭の毛がホワホワと見えるのはまだ幼い鳥だからか、あるいは窓ガラスにぶつかって乱れているのかわからない。とにかく至近距離に近づいてそれくらいの観察をし、何枚も証拠写真を撮られても動かず、ときおり私を睨みつけるだけだった。これも倒れていたのと同じくらいの時間だったが、目眩から覚めたのか、もと来た林のほうへ一直線に飛び立っていった。上の写真は飛び立つ前のまだ、目眩の最中の姿。

 ま、私もFERMATAも葬送の儀を執り行わずに済んでホッとした、というただそれだけの話である。
ちなみに部屋に戻って鳥類図鑑を調べると、ハイタカ(灰鷹)の雌だった。木の上で私を威嚇したのはたぶん雄のほうだろう。最近、野鳥が私の作った餌台にやってこないと思ったら、こういう鳥が近くに巣でも作りだしたからだろう。ハイタカは私の見たくらいの大きさが成鳥の大きさなのだが、野鳥を餌にしていると図鑑にあった。森では厳しい淘汰が行われているのだろう。そのハイタカにとっては我が家のような異物が敵の一つなのだろうが… 命拾いした彼女に後遺症がでないといいな、と思っている。

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2006年10月10日 (火)

初秋

Fire06 台風の影響で大量の雨が降り続いた夜、まだその余韻が残っている高速を飛ばして3連休の山に向かう。山に着く少し前に雨もやみ、雲の中にぼんやりと大きな月が輝き、庭を明るくしている。雨のせいかあまり寒くもなく、風呂に入って軽くビールを飲んで寝た。
 翌朝は気温10℃とやや寒め、でも厚着をしていれば耐えられなくはない程度だった。でもストーヴの試運転がしたくて半年ぶりの火を入れる。最近届いたばかりの薪は昨日の雨で濡れており、ストーヴの横に積み上げてあった去年の薪を入れるとすぐにきれいに燃えはじめ、すぐに部屋が暖かくなった。今年は雨が多かったのか、室内の湿度は70%くらいで、ギターのケースや、竹のカゴなどの下にうっすらとカビが生えている。ただ、気温も低いから全然湿っぽいという感じはしない。
Kemuri06 土曜日は台風一過という感じはせずに雲が多く、風も強かった。まだ紅葉していない緑色の葉っぱが高い梢から吹き落とされて、窓の外を斜めに横切っていく。特に何をするでもなく、いつものように「何もしない」貴重な時間がゆっくりと流れていく。

 日曜日は晴天で、家の南側の林の向こうに富士の影が見える。富士が見え、林一つ越えた向こう側のお宅の屋根が見え出すと夏は終わったのだな、と思う。先にも書いたけれど色としてはまだ緑が主の景色だが確実に木々の葉は落ち始め、視界が広がった感じがする。昼過ぎに山を少し下って富士のよく見えるポイントにいく。何度も同じような写真を載せることになるが、見る場所がいつも同じだからだし、使っているデジタルカメラも何年も前から同じだから同じような絵しか撮れないのだ。ニュースも天気予報もあまり見聞きしないので富士に初冠雪があったことを自分の目で見て知った。
Snowcap06 

 夜になって職場の後輩から「今夜は月見酒ですか?」と携帯電話のメールをもらい、日記をみると昨日が満月だったようだ。多くのことに興味がなくなっているから、月が出たから月見だ、雪が降ったから雪見だ、というような風情とは関わりがなくなっているのだが、せっかくのメールを書いてくれた後輩の言葉にしたがってFERMATAとふたりで夜更けの森に出た。来た日と同じく蒼白い光が皓々とと輝いて明るい。木の間に上った月を見るとハロゲンライトのような色で眩しい。
Autumnmoon06_1 昼間富士を見たポイントに下りていくと眼下の夜景の上に富士の影も見えている。自分の影がくっきりと砂利道に映っている。おそらくは下の鉄道の走っている辺りまで下りて八ヶ岳側を見れば、赤岳が山肌まで見て取れるだろう。でもそこまでする気力も体力もない。むしろ月が皓々と輝く夜は星が東京並にしか見えないのであまり楽しくない。だから日記帳に印刷されている月齢を示すマークが気になるのは新月のときだけだ。本当に真っ暗になり、足下も危うい、晴れた夜空こそ山の夜の楽しみを倍加させる。そういう星空を今年はほとんど見ていない。いつもうっすらと雲のかかる夜空ばかりだった。次の新月は22日。ちょうど東京に帰る日にあたるが前の日でも晴れていれば星だらけの空を見ることができるだろう。

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2006年9月21日 (木)

穴埋め

 アカゲラが開けてしまった壁の穴はちょうどワインのコルクの太さで長さはコルクの1/3程度だった。管理会社に依頼するとコーキング剤を注入するというので、はじめから完璧な修復を目指すのをやめてボンドを塗ったワインのコルクを入れて見たらどうだろうと思った。

 最初は普通のワインのコルクを入れてみた。太さはちょうどだったが、均衡にまあるく穴が開いているわけではないので隙間を埋めなければならない。そこでスパークリングワインのコルクを穴のサイズに削って入れてみた。ちょうど栓を飛ばすための太くなった部分が壁に当たるところまで入り、長さは開けられた穴にぴったりだった。これなら、周囲の隙間を埋めずにすむ。というわけで、何本かあったスパークリングワインのコルクを選び、面白そうな焼き印があるものをわざとそのままボンドをつけて突っ込んだ。我ながらなかなかいいアイデアだと思った。

 これから先もアカゲラ他のキツツキに穴を開けられてももう大丈夫だ。私たちがワインを開ける回数よりはたぶん穴を開けられるほうが少ないだろうから。

Anaume

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2006年9月10日 (日)

蜂とアカゲラ

8 前々回行ったときから蜂が窓の桟に蜜蝋をため込みだしていたが、今回もしっかり増えていた。管理会社の方にお願いをして剥がしたが、今朝もすでにたまっていて、昼間は一生懸命運搬作業を繰り返していた。どうにもならないし、冬になってこの蜂が死んでしまえば終わることだろうと考えて、今後はこの蜂と共生することにした。そこで敵ではなく軒を貸す主として彼を「八」と名づけた。

 それとは別に今朝、横になっていた私は寝室のクローゼットの中、台所に立っていたFERMATAは台所の後ろの壁、それぞれ位置はずれているが、コンコンという物音を聞いた。FERMATAはあわててデッキから家の外側から覗き、私はベッドから窓の外を見た。と同時に二人して「アカゲラだ!」と言った。二人が感じた物音の場所とはかなりずれた家の外壁にワインのコルクがすっぽり納まるくらいの穴が開いていた。家の穴ぼこは修理すれば何とかなるだろう。それより私はしばらく腹の真っ赤な黒白の羽をしたきれいなアカゲラの姿をカメラに納められなかったのが残念だった。それは全く図鑑に載っている鳥と同じきれいな鳥だった。穴開いてもいいからまた来ないかな、などと思った。

 今回は、久しぶりに鹿にも会った。カラフルな蛇が排水溝の中をうねっているのもみた。よい週末であった。

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2006年8月22日 (火)

4年目の夏の終わり

06hagi山に家を持ち、定期的に通いだして4年が経った。7月の終わりから8月の始めに夏休みをとり、その後も行ける週末は通っており、往復通算4万キロ近くを走った。

今年の夏は快晴には恵まれず、いつも雲が多かった。多い雲の間を縫って暑い日差しが照りつけた。4年前と比べて夏の気温は確実に1,2℃上がった。それでも平地はもっと上がっているから体感温度は低く、実に過ごしよい。いまのところ我が家の周辺はまだ家もなく落ち着いているが、辺りの森の下草刈りがなされ、新しい杭などが立ちだしたから、遠くない将来この辺りにも家が建つのかもしれない。06sukashiyuri

去年の春から仕事の内容が変わり自由な休みをとりにくくなった私、具合の悪い両親を抱えたFERMATA、仕事をし始めたり、ヴァイオリンの練習に熱中したり、浪人故の勉強に追われたりする娘ら。みんなが揃う日はなかなかない。それでも山の空気に触れたくて、早朝夜間の高速の安い時間帯を利用して車を飛ばしている。

4年の月日は、家もデッキもそれなりに古くしたが、同様に私たちも古くしている。そして何より地球を古くしている。耐震強度の不足するマンションのように地球もどんどん崩壊に向けて進んでいる、と思う。私たちが生きている間に今都会と呼ばれている町はどこも人間が暮らしていけない環境になるだろうと予想している。現代の人間に後戻りする知恵はない、と確信しているから。

06waremokou

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2006年7月23日 (日)

雨の森にて

060723 梅雨が明けずにいまだに雨が降り続き、東日本は各地に被害が出ている。周囲の人から「山は土砂崩れのおそれがないのか」と尋ねられる。このところ山へ行っても雨ばかりで確かに森は大量の雨水を吸い込んで、深い腐葉土の層は巨大なダム並の貯水池になっているのだろうと、庭先を歩いても感じる。庭には巨大なキノコがにょきにょきと顔を出し、PAUの墓に植えた草木は日射量が少ないせいか、枯れてしまっている。しかし、この山が、私の山荘のような侵略者に侵されているとしても、自然のままの程度が高ければ、容易に決壊しそうにないと思っている。
 
 ここに家を持った年、FERMATAとぴょっちと3人で、地図に出ている1250.4mの三角点を探して歩き回ったことがある。今、その三角点は意外なところにあることがわかっているのだが、そのときは全く見つけることができずに、恩賜林の看板のある森の中の、道といえるかどうかぎりぎりの小径を、三角点とは全く反対の方向に向かって緩やかな斜面を登っていった。地中に埋められた水道管の位置を示す、刻まれた文字が風化して判読しがたい石標をたどっていくと、視界が急に明るくなってアスファルトで舗装された林道に出た。明らかに地図の三角点の位置とは異なっていたので私たちはアスファルトの林道を下って戻ることにした。ほとんど使われていないその林道は谷に沿って作られており、林の中を切り裂いた唯一光の射し込む、照り返しが熱く感じられる〈非=自然〉の工作物だった。その林道が大きく左にふくらみ、再び右側へ回り込むそのカーブの頂点で、谷側の視界が急に開けた。谷底へ向かって、松も白樺もその他の雑木も根こそぎえぐり取られて谷底に向けて土が露出していた。それはおそらく林道自体が大きな水路と化して水が流れ、湾曲したカーブで方向を失い、白いガードレールもろとも谷に向けて滝のようにほとばしったあとに違いなかった。自然のかたちと人工のかたちが悪い状態で合致し、鉄砲水が谷側に落ち込んだのだ。もし、林道がアスファルトでなかったら大量の雨水も道と周囲の木々が吸収してこんな被害は起きていなかったかもしれない。

 ときにぬかるみ、水の通り道になった土壌がえぐられても、自然と歩調を合わせてできてきた山の中の小径は上手に水との共生をはかっている。舗装されたことで夏場は走りやすいこの林道も雪が降ると滑りやすく、森の中の日の届かない道の雪が緩みだしても、この道の根雪は春先まで融けず、アイスバーンになっている。

 整備の手が届いていない私の山荘のあるあたりは、だから、まだ安全だと思っている。庭もあたりの林の中も地面はフカフカで、人の力が作用していないから反作用も起こっていない。無理な力を加えられていない自然は力で反抗してこない。自然の仕組みに逆らうと人は自然に勝てないのだ。

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2006年7月11日 (火)

崩壊のきざし?

Simotukeso06_1 長雨が続いているからではないのだ。FERMATAが土曜日日曜日と山でパニックを起こした。激しい発汗と震え、日曜日は狂ったように泣いた。正気に返った本人は更年期だからだという。
 私は私で毎週読み続けていた源氏を読む気がしなくなり、ベッドからほとんどでなかった。イライラが続いた。憂国のゆえではないのだが、洪水が地球を洗いざらい押し流していくような不安感は確かにあった。だから表のページのMonologueに書くことが支離滅裂になっている。承知の上で書いている。先の展望がない。

 雨の降り出す前の早朝のひととき、うるさいくらいに鳴く鳥の声を聞きながら、麦わら帽子のFERMATAがいつものように花を摘んでくる。シモツケソウと名前のわからない白い花。どちらも小さな野の花だ。弾けるような赤と慎み深すぎる白が危ないコントラストを見せてトイレの花器に飾られる。

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2006年7月 1日 (土)

やめます!

 ある言葉が短歌の掛詞のようにあちらこちらの方向へ連動していく。それぞれがまったく別の事柄なのに一つの言葉がその時の心や生き方に同じ根を張って連なる。
 思えばコンピュータネットワークが作り出すパブリックスペースに初めて私が書いた言葉を10数年を経た今、同じ内容でここに書くことになった。

 あのときは走るために。そして今は増税に反対して。世界的な規模で禁煙運動が広がっているからでも、自身の健康を考えてのためでも、家計逼迫のためでもなく、ただ単に国に税金をこれ以上もっていかれるのがいやだから。たぶん屁理屈である。自己欺瞞でもある。しかしなんであれ、確固たる理由を見つけないとやめられないのがタバコだから、私は国を敵視して戦いを挑む。

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2006年6月19日 (月)

PAUとヒューマニズム

Paumori_1 1992年6月9日、牡3頭、牝4頭の末っ子として生まれた子犬が我が家にやってきたのは8月1日、当時単身赴任中だった私のところへ夏休みを利用して家族がやってきていたときだった。パブロ・カザルスの幼名PAUをいただいた。末の娘がまだ5歳のときで、子犬といえど足と頭が大きく、はしゃぎまわると娘は簡単に吹っ飛ばされるくらいだった。夏休みの最後に東京に戻るときセダンの助手席に座るFERMATAの膝の間に押し込まれてじっとしていたが、途中で飽きたのかまだ新車だった車のドアの取っ手を囓って内張を破いた。犬のためだけに車をワゴン車に乗り換えた。どこへ行くのも一緒だった。長期間留守番させられたのは私たちが海外旅行に行くときくらいだった。
 
 2年目の夏、今、私の山の家がある八ヶ岳南麓の、今もある犬と一緒に泊まれるペンションに行った。そこで同じ母犬から生まれた実の兄犬とであった。全くの偶然だった。そこで次男の犬は中村嘉津雄のところへもらわれたと聞いた。

 シャイなところがまったくないやんちゃな犬だった。人見知りせず番犬には絶対になれない犬だった。人間が好きで常に家族のそばにいた。寝るときは私とFERMATAの布団の間にはさまれて寝た。私が仕事でいないと自分が一家の主のような顔をして私の座る椅子に座っていた。どうも彼は自分を犬とは思っていないふしがあった。10歳の夏に山の家ができ、東京ではままならくなっていた放し飼いを山では存分にできた。ひとりで近辺の山道を走り回っていた。それがだんだんきつそうになってきた。いつも私のそばにきてフウっと大きなため息をついて腹ばっていた。

200306pau 犬に人間味を感じるのはおかしいのかもしれないけれど、我が家では犬としてではなく家族として暮らした。彼の宇宙は私たち家族の宇宙と同じだった。家族が言い争えば悲しい目をしてじっと見ている。楽しそうにしていると一緒にその輪に入りたがる。平和が好きな犬だった。名前を勝手に拝借されたパブロ・カザルスのヒューマニズムは彼も受け継いだように思う。そして長寿もパブロ・カザルス同様手に入れた。

 山から東京に戻ろうと声をかけると知らん顔をした彼は今山から帰る必要もなく、鳥のさえずりが一日中続く、冷涼な山の空気の中に新しい住処を見つけた。

0618pau


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2006年6月11日 (日)

旅立ち

 月曜日の夜に山から戻ったばかりだったから今週の金曜日の来るのが早かった。当たり前のことながらあらためて5日間働いた金曜日の晩にようやく森へ戻る生活の時間の長さと4日目に出かけることのできる時間の長さの違いを感じる。

 でも今回の山行きはいつもと違った。出かけるときから違っていて、山に着いたそのときから帰るまでの2日間もいつもと違った。いまそのことをくわしく書く気持ちになれない。当分、東京での生活自体もこれまでと違う想いで過ごすことになるだろう。

 今度の週末も山へ出かける。そのときに私を含めた家族がこれまでと違う「森の生活」をみんなで実感するだろう。

  わけのわからないことを書いて
  定期的に読まれている方々に
  ご心配をおかけすることなるだろうと気に病みつつ…

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2006年6月 6日 (火)

花盗人

Rengetutuji062 働き詰めだった日々をようやく終えて2週間ぶりに山へ帰る。車のライトが照らし出すはずの家が見えない。家ごと盗まれたか、と思うと深い緑の中に小さな私の隠れ家が見えた。2週間の間に林は森になっていた。

 月曜日まで休みをとったので3泊3日、天候はレースのカーテン越しのような日差しがデッキを照らす穏やかな日々。庭は草ぼうぼうで、最後まで葉をつけなかった栗の木も黄緑の葉に覆われている。相変わらず郭公とキジとウグイスが他の野鳥の声を制圧するように鳴き続けた。キジはケーン、ケーンと鳴くと言われるが、クェー、クェーと鳴く。それも2回ずつ鳴いては休む。かなり大きな声なのでよほど大きなキジがいるのかと暗い家の中から外を眺めていると、鶏程度の、派手な衣装を身につけた雄のキジが不格好な走り方で山の中を走り抜けていった。まだ子供なのかもしれない。当然、カメラを持って追いかけたがシャッターチャンスはなかった。

 この家の建築中のGWに盛りだったレンゲツツジが今年は今週が見頃であちこちに淡い朱色の花をつけている。なのに家の中から見渡すあたりは野いちごの白い花がいっぱいで朱色は見えない。そこで、スコップを片手に林の中へ入り、群生するレンゲツツジを目立たぬように数株盗んできて、庭に移植した。うちの庭にもたくさん根を広げて、同じような色の小さな花を咲かせるボケと同じで、地上に出ている株はいくつにも分かれているのに根はつながっており、掘り返すのが骨だった。こうして誰かの所有権がある土地に根を下ろした草木をかっぱらうのは犯罪だと、不思議な快感を覚えながらささやかな窃盗をして、うちの庭に植えた。

 ミミズのうんちを底に敷き、水もたっぷりやったけれど、もともと大きな根から株分かれして生えている木が小さな根に分けられて根づくかどうかはわからない。根づけば雑草の生い茂るだけの庭を毎年この時期控えめな彩りで飾ってくれるはずなのだが… 植えた直後には葉も花もぐったりとうつむいていた。
Rengetutuji061

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2006年5月29日 (月)

老人と娘

 最悪の事態を凌いだ老父は妻が入る養護老人施設に隣接した同系列の病院にいる。左側の神経がやられているのか左瞼は垂れ下がり、夕食を食べていた。昼の間に書いたノートの、娘らは昔より余計読みにくくなったという字を見ると、本の書き込みや小さな付箋に記した昔の文字と変わらぬ読みにくいが文字の基本はしっかり身についている癖字がその日の経過を記している。それを解読しながら娘、といっても中年後期、初老に近い娘がいろいろと尋ねる。トイレはナースを呼んでから行ったのか、とか、リハビリの時、手加減してくれと言わなかったか、等々。
 「そこに書いてあるのはインチキだ」と老人は軽く言う。かつて老母が言ったのと同じ口調、同じ台詞で娘は小言を言う。食後、歯を磨かせようと娘は執拗に迫る。老父は「わかった」と言いながら、磨く気配は見せない。「おれが帰るときに着ていく服はどこだ」と老父は話を逸らす。娘は医者の許可がないと帰れない、帰っていいと許可を得ても家で面倒を見る者がいないと帰れない、仮にすぐに許可が出てもパパが倒れてから家はあのままだから掃除や庭の草取りをしなくてはならない、などと帰宅が不可能なことを遠回しに言い募る。

 急に不機嫌になった老父は声を荒げ、すぐに沈み込む。

 歯なんか磨かなくたっていいじゃないか。家には、近いうちに帰ろうね、と言ってやればいいじゃないか。インチキな生活を送っていると老人がわかっている以上、インチキな返答を待っているだけなんじゃないか。正当な答えをし続けても、インチキな余生を疎ましく思いながらのろのろと歩き続けなければならない老人の気持ちを考えないのか。

 我が家に転送依頼をかけたので、老父宛の様々な郵便物が届く。その中に、予約購読の申し込みをしていた「プラトン全集第15巻」が届いていた。本代は私が払ってその本は私が読むことにした。

 「定義集」
  12 老年。時の経過によって生ずる生命あるものの衰え。

  31 無苦。苦痛に陥らない〔心の〕状態。

  34 自由。人生を〔自ら〕指導すること。万事にわたっての自律。

 151 恐怖。禍いを予感して魂がうろたえること。

 181 救助。今ある害悪、もしくは生まれつつある害悪を防ぐこと。

 184 保護すること。被害のないようにすること。

       (向坂 寛訳・岩波書店『プラトン全集第15巻』)
  
 

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2006年5月28日 (日)

体力の限界

 かつて仕事を終えてから夜、FERMATAとジョギングし、週末は週末でどこかの大会に出たり、走り仲間と長時間ジョギングして、夜お酒を飲んだ。今はぐったりして仕事から帰ると大してお酒も飲めなくなり、そそくさと夕食を済ませ、バタッと寝てしまう。毎日同じことの繰り返しで、憔悴しきったころようやく週末を迎える。金曜日は仕事が遅いことが多く、それでも帰宅後すぐに用意してあった荷物を車に放り込み、PAUを乗せてFERMATAと深夜の山へ向かう。
 同じように一週間学校と看病のための病院通いで疲れ切っているFERMATAは隣の席で寝ている。私は鬱積した怒りとか不満が仕事にあると、FERMATAが聞いていないことを知りつつ、ハンドルを握りながらしゃべり続ける。何もしゃべらないときは疲れすぎているときだけかもしれない。ETCの深夜割引があるせいか、真夜中だというのに長距離トラック以外の自家用車も多くなった。緊張してハンドルを握ってはいるが、もう数百回往復している同じ高速道路だから、カーブや上り下りは熟知していて無意識のうちに笹子トンネルを越える。明るいときなら真正面に南アルプスが広がるんだな、とか、ここらあたりから八ヶ岳連峰の南麓がきれいなんだが、などと毎回のように思いながら長い坂を上り続け、ようやくいつものインターチェンジを下りる。ETCゲートも今では普通のスピードで通り抜ける。
 
 甲府付近で高くなった車外温度が急激に下がっている。山荘まであと10分、何度気温が下がるだろう、と時折メーターパネルの中の温度計を見る。毎回のように工事中の道ができていたり、新しく建築中の大きな山荘があったりする。初めてこの道を上っていった15年以上前とこの辺もずいぶん変わったなと思っている間に清里方面に向かう車道から脇道へそれる。ライトをビームにする。ときおり駆け抜けるイタチだかテンだかタヌキだかわからないけれどそういう小動物が見たくて。明かりのついている山荘が半分、誰もきていなさそうな山荘が半分。そういう区画を越えると道はずっと細くなり、カーブも増える。冬場は凍って四駆でも辛いアスファルトの山道。来る人はたいてい曲がり損ねる、林道の入り口をいつものことだから難なく曲がって、大きな凸凹が続く急な坂を下り、そして上る。頭の中には国土地理院の二万分の一の地図の等高線が浮かんでいる。凸凹で車高の高い私の車でも腹をこするから足下に気をつけ、加えて林の中から倒れた木の先が道をふさぐように飛び出していることも多いので頭上も気をつける。でも斜辺100m弱の三角形を逆さにしたようなダウン、アップを乗り越え、天を差していたライトが平面を照らしだすと我が山荘が目に入る。
 
 天気は甲府韮崎あたりの明かりが木々の間から見えているとまずまず。車外温度計を見るとインターチェンジのあたりより確実に5℃以上下がっている。日記帳にあらかじめついている月齢を思い出し、月夜でないと期待する。車を止めてライトを消して、あたりが真っ暗になった庭先に下りるとすぐに空を見上げる。昨日が新月だったから今度山へ行く夜は半月に近いはず。時間によっては星が見れるかもしれない。それが楽しみで今週は金曜日までまた働くのだ。山に行けない土日、それも仕事で行けない週は本当に体も心もくたくたになっている。

 懐中電灯を照らしながら家の周辺を一周してガスや水道の栓をあけ終えると玄関からそのまま冷蔵庫に向かい冷えたビールを取り出す。深夜の1時ころ。FERMATAが簡単なつまみを作っている間に、私は風呂場の窓を開け放ち、50℃近い熱い湯を張る。冷え切ったバスタブに湯がたまるころちょうどよくなるのだ。毎回、本当に、馬鹿の一つ覚えのように同じパターンの生活を山で送っている。それは条件反射的に中央道を走っていくの同じ。

 次の週末は土日に加えて月曜も休みを取ったのでいつもより1日のんびりできる。それでも、特別なことは何もしないだろう。

 

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2006年5月21日 (日)

アカゲラ

06kuri 1249mの山に春がやってきた。もとより手入れが悪いからきれいな草花が咲き乱れるというような具合にはいかない。自然のままだがちゃんと春はくる。1円玉より小さい花が多くて、私の古いデジタルカメラでは上手に写せない。とくに私がまだ寝ている間にカメラを持って散歩するFERMATAが撮ってくる写真はどれもピンぼけで使えない。昨日は午前中さわやかな好天だったが、午後から曇りだし、3時過ぎから大雨になり、夕方また晴れた。今日は下山の間際までよいお天気だった。

 昨日の朝、散歩中のFERMATAの前を鹿の大群が山道を横切ったという。あわててカメラを用意したがそれよりも早く、集団は道を越えて森深くへ走り込んでいってしまったという。私自身、何度も鹿に会いながら一度も彼らの姿をカメラでとらえていない。スイッチボタンを押してからたちあがるまでが長い。今のデジカメはどうかわからないけれど…

 私が起きだして食堂のテーブルで本を読んでいると、トイレの中からFERMATAが呼ぶ。行ってみると玄関先のアメリカミズキにアカゲラが止まってコンコンと木をつついている。山の家は風呂場もトイレも大きな素通しガラスなのだ。人から覗かれるような場所ではないからで、慣れないと落ち着かないが慣れれば実に気持ちがいい。さっそくIXCY 300を片手にトイレに戻るとアカゲラは地面に下りて、地面をほじくり返している。これが機関銃のようなスピードで頭を振るものだから、尾のほうは写っても上半身はブレて写らない。赤と黒のコントラストが美しい大きめの姿は私たちの目の中に焼き付けられただけ。

 結局、木々の中で一番遅く若葉がつきはじめた栗の大木を見上げて撮る、いつもと変わらない写真。最近 takakoさんをはじめ、いろいろな人の画像を見せていただくとこれがみな美しい。専門に写真を勉強したりカメラに凝ったりしている人もおられるがたいていは俄写真家の方が多い。画素数や望遠機能が問題なのじゃなく、やっぱりセンスの問題か… これでカメラに凝り出すと大変なことになるから、ここはぐっと押さえて今のが壊れるまで使おう。

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2006年5月14日 (日)

脳天気な郭公

Yamazakura06 土曜の一日は前回帰山したときから引き続いたような天気で、朝から雨と霧。森の緑も一週間くらいでは大して変わってはないがそれでもよく見ると、萌黄色の透明感のある色彩から柔らかな黄緑に色彩は変わり、まだ開いていなかった若葉のつぼみもあちらこちらで開いている。このあたりではまだ咲いていなかった山桜が満開の花をつけている。外は3℃、家の中も10℃と薄ら寒いので、このシーズン最後になるかもしれないとデッキ下にもうわずかになった薪をとりに外へ出ると、郭公の声がする。声のする方をじっと観察すると尾の少し長い長円型の黒っぽい鳥が木から木へと飛び移っている。部屋に戻って野鳥図鑑を見るとたぶん同じ鳥だ。託卵といって、郭公は卵を他の鳥の巣に産み落とし自分では子育てをしない、とある。子育ては雛より小さい他の種の親鳥がせっせと行う。他の鳥に育てられいずれ巣立った子供たちがどこかで自分の産みの親とすれ違うことはあるだろう。そのとき彼ら、彼女らはお互いに親子であると認識するのであろうか。するわけはない…

Ryobu06 産んだ子を乳母(めのと)に育てさせる貴族、託児所に預けて働く今の親たち… とつまらない想像を続けていると、郭公の奴らは脳天気な鳴き声を森中に響かせている。こいつらが嫌いになりそうになる。でもそれが自然の摂理なら仕方ない。ちょうど聴いていたベートーヴェン弦楽四重奏曲第16番、最後の弦楽四重奏曲の最後の楽章が、Muss es sein? と叫び続けている。答えは当然、Es muss sein.

 日曜日の今日は朝から帰宅寸前までさわやかな良い天気だった。朝食をデッキに座り込んで食べる。珍しく散歩もした。わずか小一時間の屋外だったのに紫外線焼けした。帰宅寸前になって煙突に小さな野鳥が一羽落ち込んで長い筒の中でばたつきだした。放って帰れば来週また鳥の墓を作らないとならない。ストーブの掃除をかねて灰を掻き出し、手を真っ黒にして通気口に懐中電灯の光を当てた。ようやく出口を見つけた鳥は真っ黒のまま家の中を飛び回った。大きく開いた窓から飛び出していった鳥が仲間に嫌われなければよいが…

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2006年5月11日 (木)

胃袋復活

 今日、診察に行って「もう薬もいらないですね」とお医者さんのお墨付きをもらった。去年の血便から一年以上が経ち、ようやくの全快宣言。紹介状をもらってしまった手前、行かなくてはならなかった遠い病院に通うことも当分ないだろう。「1年後にまた胃カメラを飲むように」との指示を受けたが今度は近くの病院にしよう。
 
 実はこの病院から100mと離れていないところに、私の大好きな飲み屋さんがあるのだけれど、夕方からしか開かないから、このお店もまだ健在だなと古い店の玄関を眺めてはここのおやじさんのことを思い出していた。しかし、胃潰瘍のために病院通いをしているというのに飲み屋が気になるというところがあぶないのではあるが…

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2006年4月23日 (日)

胃袋の話・本の話

 一年以上前から続いている胃の不調に関する話題。つまりは去年からかかりはじめた胃の診療がまだ続いているということ。それも、あと2回で終わる(だろう)。次の火曜日は今回2度目の内視鏡検査で、これはきれいになった胃袋の中を最終確認する作業だとのこと。そのあと2週間後に予約している診察で結果を見て、一件落着となる(だろう)。

 もう胃カメラは飲みたくないのだが(「私は上手だよ」というかつての走り仲間のお医者さんはいうけれど、それでも飲みたくない)これで終わり、と信じるから飲みにいく。仕事は相変わらず忙しいが朝から検査だから一日休もうと思っている。FERMATAと反対で私は毎年年休が使い切れずに、大量に捨てている。29,30日のGWの始まりは潰れるが、3日からのGWは暦どおりにとれる。52回目の誕生日の2日の夜から山にこもる。こんなに続けて休めるのは去年の夏休み以来のこと。年末年始も途中で1日仕事に出た。読み出している古い本(ウンベルト・エーコの「フーコーの振り子」)は1巻目をもう一月以上かかって読んでいる。これをさっさと片づけてまた、ミラン・クンデラに戻りたい。ミラン・クンデラを起点にあちこち寄り道をし、寄り道を終えると、再度、再再度クンデラに戻る。そういう読み方をこの年末まで続けていくつもり。寄り道先の計画は立っていて、それがまた、一つの幹になって来年の読書計画が生まれるのではないかと思っている。カフカはほとんど読んでしまったから次はドストエフスキーかトルストイか、ラブレーとなるとそこからさらに脱線しそうでちょっと怖い。ほとんど全部持っているから、読むのは日焼けして埃をかぶった古い本たちだ。

 それと平行して「源氏物語」を全巻読み直したい。岩波日本古典文学大系の大きい本数冊を山へ持ち込むと邪魔だから、1975年に買った箱入りの岩波文庫版6冊と橋本治の「窯変 源氏物語」14巻を山へ運んでそれに没頭してもみたいと思っている。軽やかな橋本の現代語訳は、谷崎や円地らのおどろおどろしい宮廷調の訳より楽しい。これはこれで考えただけでゾクゾクする楽しい計画。緑の濃くなっていく山の家の木陰で赤く焼けた文庫本を開く… 高校を卒業したばかりでわけもよくわからずに読んだ源氏の世界をもう一度じっくりと読み直す… 東京の日常生活の中では絶対に読まない大部の本を山に行くたびに少しずつ重複して読み直しながら制覇していく。そういう生活にあってはならないものがTVとパソコン。現代から逃げていく私。

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2006年4月22日 (土)

YATSUGATAKE EXPRESS整備中

Sando  前々回山へ行った帰り道に40000Kmをこえた YATSUGATAKE EXPRESS。シフトダウンするとカチッという異音が聞こえるという症状が前の点検から改善されぬまま、今度は、九十九折りのような急カーブを走るとき、同じ角度にステアリングを切ったままアクセルを開くとエンジンルームからブオォーという大きくはないが普通でない音がするようになった。ボルボのパワーステアリングは目一杯の据えきりに弱いと聞いていたのでなるべく据えきりはしないように心がけてはいたが、ボディが大きいのでどうしても目一杯ハンドルを切って据えきらないと動けない場所に遭遇することが多い。こちらはまだ効きもよく、ボルボ特有の鳴きはするものの異音は出ていなかったブレーキパッドの交換も含め、先週から点検整備に出している。ちょうど今週来週と2週山へ行けないのでちょうどいい機会なので、まだ履いていたウィンタータイヤもノーマルタイヤへ交換してもらう。エンジンオイルも2万キロ交換推奨(昔は5千キロとか3千キロとか言われたのに… でも私は当時から1万キロ以上換えたことがなかったが)までずいぶんあるが高速走行が多いから交換を頼んだ。
 最初の車検まであと半年。都会で暮らす普通のドライバーの数倍以上の距離を走っている。営業車並の走行距離だから点検は欠かさずにしておきたい。洗車は自分では1度もしたことがなく、過去2年半で2,3回ガソリンスタンドで洗車してもらっただけ。ボディは当然、室内も汚いまま。外車に乗っていながら、車なんて走ればいい、という本音を吐くとたいていの人から顰蹙を買う。安全で頑丈でそこそこ快適なら、汚れていようが気にしない。毎朝職場の駐車場に止まっているピカピカの車を見て、何でこんなに磨くんだろうとかえってきれいな状態の車の方が不思議に思えてくる。

 代車で来たのは現行のスバル・レガシーのGT。前の前の私の車の後継車だがずいぶんと変わった。音が静かになったのは良いとして、夜の室内が赤と白のランプで下品になった。かつては質実剛健な車だと思っていたが、若い人らはこういう照明を好むのだろうか。シートは小さく、薄べったい感じがするのはボルボに乗っているせいだろう。アクセルもステアリングも軽い。メーターが180Km/hまでしか切っていないから(ボルボは260Km/h)動きが早く、針の動きが早く、ものすごい加速をするように見える。実際、加速もいい。軽快というか、軽薄というか、職場の日産TEANAの頼りない弱々しさはないが、とにかく軽いやつという感じがするのも、加速が鈍くさいボルボに乗っているせいだろう。燃費の悪さは昔のレガシーと同じ。ハイプレッシャーターボが常に効いているいるのだろう。

 車なんか走ればいい、と言った口が渇かないうちに、早く私の YATSUGATAKE EXPRESS が戻って来ないかなと思う。格好は悪く、重く、鈍くさい車だけれど、ガツガツ乗る気を起こさせないフォードの血が薄い最後のボルボ。GWの後半は休み。室内外の洗車をしてもらってきれいにして中央道を走ろう。

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2006年4月16日 (日)

外れた天気予報

 水曜日あたりから週末が気になりだし、天気予報を見始める。この土日は寒が戻り、天候は下りで、日曜(今日)は関東の1000m級の山でも雪が降るので行楽に出かける方は十分な注意が必要です、とNHKでは言っていた。仕事やY乃のコンサートで、GWが始まるまで2週間行けなくなるのため今週は何としても行く気だったから天候など無視。とはいえちょっと気が重かった。と同時に今シーズン最後の雪景色を見れるかと楽しみでもあった。ところが長野県との県境の山梨は関東地方ではないのか(確かに山梨県は関東地方ではない)、東京より暖かく、天気も良かった。雲は多かったが、周辺の山々はすべてはっきり見えた。気温も薄いワークシャツで庭を歩けた。水抜きも今日からしてこなかった。

 06hukinoto ふきのとうが若々しい芽をふいた。観たこともない野鳥が撒いた餌をついばみにきた。蛾も飛び始めた。

 色の乏しかった林の中に黄色い花が一斉に花をつけた。FERMATAが小さな図鑑で名前を調べたところ、おそらく壇香梅(タンコウバイ)らしい。アブラチャン(油瀝青)かもしれないがどちらかは定かでない。毎年同じ木を眺め続けているFERMATAは葉の形が図鑑ではタンコウバイと同じだという。まだ葉はついていない。壇の香りの梅と書くが、壇の香りが漂ってくるわけでもなく、クスノキ科クロモジ属の雑木で黄色いタンポポを分厚くして木の枝につけたような感じである。Tankoubai

 昔の本を読み、久しぶりにマーラーの9番を聴きながら、穏やかな春の訪れを感じていると天気予報が外れるのもなかなかいいなと思う。帰りの道路も渋滞しなかったし…

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愛しのMarenco

 欲しいと思った物はこれまでたいていの物を手に入れてきた。なのにどうしてもいまだに手に入れられない物がある。

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 イタリア製と称されているが実は日本製だという話。FERMATAと広尾のArflexまで行って座ってきたけれど思いの外固くて私らの軽量級だと跳ね返される感じでゆったり感はない。加えて座面の奥行きが長くて、足の短い私が背筋を背もたれにしっかりつけて座ると足が上がってしまう。カバーの色に気に入ったものがない。値段が高すぎてちょっと衝動買いの対象にならない。等々、それなら買うな、と我ながら思うのだが、どうしても欲しいのだ。

 画像はArflexから無断借用してきた麻のカバーリングをしたヌードすれすれのベーシックな状態のMarenco。本当は革のカバーリングをしたいが2人掛けで80万以上する。山の家を建てようと思ってからつけ始めた山日記のはじめの方にへたくそなMarencoの絵が描かれている。実に単純な座布団を肘掛け、座面、背もたれにつないでいっただけのデザインなのだが、その絵が描けない。立体感が出てこないのだ。その絵の下に、Arflexのバーゲンで買うための資金繰りのメモがノートに残っている。

 一年がかりでお金を貯めてよし買うぞ、とバーゲンの通知とにらめっこを始めると、きっと何か急な出費があってあきらめる。そういう年が続き、ならば中古でもいい、とAuctionで探し出し、これもほんの寸前まで行きながら、負けたり、他の事情が生じたりで買えないでいる。先週、いったんは最高入札者になり、これで終わるわけはなかろうとまだ戦う意欲十分で臨んでいたら、終了間際に他の用件に邪魔されて気がつくと私が最終的に思っていた金額よりも安く落札されてしまった。

 ここまで振られると縁がないのかなとも思うが、まだあきらめていない。ゆったり座って…という利用法は考えていない。座りやすいソファならいくらでもある。Marencoで私がしたいのは寝転がること。贅沢な夢…

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2006年3月19日 (日)

深夜の八ヶ岳

 いつもどおり金曜日の深夜、山へ戻ってきた。満月から3日が過ぎた左下が欠けてゆがみだした月の蒼白い光が行く手に聳える八ヶ岳連峰を照らし出している。雪を冠むった山襞の陰影が異様でもあり、威容でもあった。関東地方に吹き荒れた春の嵐は山でも吹いたようで途中の林道にも庭にもたくさんの枯れ枝が落ち、車が踏みつける音が蒼い山に響き渡った。

 先週みんなで楽しんだ薪割りの名残りが庭に残っており、寂寞とした光景に感じる。しかしその楽しかった週末も含め、東京での他者の関わりの中で感じ続けていた一週間の、一種疎外感ともいえる「自己喪失」の感覚はキセノンライトのバルブの明かりを思わせる月光の寂寥がきれいに洗い流すのも感じていた。やはり山の夜は大騒ぎして暮らすより、白熱灯の下で静かに本を読んで暮らすほうが似合う。
「カフカのリアリズム…」などと考えているうちにコトンと本を落とし寝ついてしまった。
haruyuki
 土曜日は朝のうち晴れ、一日曇り空だったが、なぜか南アルプスと富士は見えていた。そして夜から雨になった。今朝も朝日がまぶしく射し込んだがすぐに曇り始め、下山の用意を始めるころから雪になった。それもインター近くまで行くと良い天気で、真正面に大きな富士が見えた。春のおとずれは間近い。

harufuji

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2006年3月 5日 (日)

春近し

060305 3日から4日へ日付が変わったばかりの深夜、ざくざくばりばりと音を立てながら車が林道を進んだ。途中、笹子トンネル付近の木々は雪で白くきれいだったが、八ヶ岳の林に雪は残っていなかった。それでも外気は氷点下12℃で、家の中も氷点下になっている。月が出ていないので凍り付くような夜空にきれいだった。

 しかし翌土曜日と今日は暖かで日差しも春めいている。周囲の山がくっきりと見えたのは午前中のうちだけで午後になると春霞がかかったようにかすんでいた。帰宅時中央道の正面にでかい富士が真っ白の雪に覆われた姿を見せていたがこれもどこか霞んでいた。

 こうやって寒い日と暖かい日が交互にやってきて春が近づいてくる。今年こそ、デッキにおくテーブルと椅子を自分で作りたいと思った。材木を買ってきて、組めば、簡単な形のテーブルなら作れそうだが、今日、ふと家を建てた時に切り倒されて放置されたままの松の丸太を見ているうちにこの木を使って製材からしてみたくなった。どうやって製材するのかさえわからないし、そういう道具を揃えるだけで木材を買うより高くつきそうなのだが、なんだかあのまま朽ちていくの待っている丸太を見殺しにできないな、と思った。製材所が近くにあれば教わりに行ってみようかと思う。

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2006年2月27日 (月)

3週間ぶりの山

0226yuki 3週間山へ行けなかったこと、毎年この時期になると陥る精神的な落ち込み等々が重なって憔悴しきっていました。金曜の夜中、車を飛ばして山へ。林道に入ると深い霧が立ちこめ、何も見えない状態でした。それでもさすがに3週前とは違って身を切るような寒さは感じなくなっていました。

 土曜は起きると午後1時でした。12時間近く寝ていたことになります。天気はよく、氷点下にはなっていませんでした。夕方からだんだん曇りはじめましたが、朝昼晩兼用の食事を済ますとまた眠くなり9時前には寝てしまいました。

 さすがによく寝たので日曜の朝は7時に目が覚めました。ごらんのとおりの雪でした。金ちゃんがチェーンを使いたがっていたのを思い出しました。雪は湿り気を帯び、木の枝をすっぽり包み「きりたんぽ」のようになっています。間断なく降り、ときおり風にあおられ、横なぐりにふります。梢の高い方から重くなった雪が落ちてきます。そんな雪も、昼過ぎから雨に変わり、帰宅する頃には真っ白で、見えなかった地面がすっかり顔を出しました。

 あまりに疲労がたまりすぎるとせっかくの休日も眠りの中であっという間に過ぎてしまいます。

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2006年2月23日 (木)

浪人生活のスタートを祝う

 M乃の最後の試験の結果が今日発表された。昼過ぎにインターネットの合格者発表を本人が見て、まだ家にいた姉のY乃が家族(祖父母も含め)に不合格の結果をメールしてきた。すぐに電話をした。
「多少は落ち込んでいる?」と本人に聞くと、「そりゃあね」とやや鼻声だった。だめだった、と試験から帰ってきて、すごくすっきりした顔で言っていたから、勉強してなかったからな、と私はうかるわけはないと思っていた。それでも本人は万が一、と期待を持っていたのかとちょっと驚いた。

 仕事を終え、FERMATAとマーケットで待ち合わせ、カートを押しながら、M乃の好きそうなものを大量にかごに投げ込んでいると、元気づけ?とFERMATAは聞いた。お祝いだよ、と私が言うとちょっと怪訝そうな顔をしたので、「いずれにしても新しい門出であることは確かなんだから今日は祝うんだ」と言うと、そうね、とうなずいた。

 別に現役で順調に進むことだけが人生でよいことなのではない、と私は思っている。勉強をする方法も楽しみもまだ十分にわかっていないはずだから、それを時間をかけて覚えるのはよいことだ。時間をかけてものごとを見ること、時間をかけてものごとを考えること、時間をかけて自分を見つめること、そして時間をかけて自分を表現すること。それがこれまで高校生活をエンジョイしてきた彼女にとって一番大切なことなのだ。体育祭だ、文化祭だと3年の秋まで燃焼し尽くしてきたときのあの必死さを見ているからあまり心配していない。中途半端な高校時代を過ごしてはいないはずだから、今度はその勢いで受験勉強に取り組めば必ずいい結果が待っていると思う。良い時間を過ごせるチャンスを得たことをポジティブに祝う。井戸の中からほんの少し外界を覗いてみた蛙は深くかがみ込んで足の筋肉に力を込めて外へ飛び出していくのだ。これから本当の受験生活の始まりだ。だから祝うのだ。

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2006年2月14日 (火)

ICHIZU

 思いこんだらなかなか後へは引かず、ひたすら前に進もうとする。そういう一途なところが娘らに共通している。これは決してFERMATAの血ではなく、私の血だ、と思っている。それは自ら自分にある方向性を課すことで、非常に苦しい生き方だ。でもそれを誰に反対されようが腐されようが、あるいは誠意を持って理知的に諭されようが、自分の道を変えることができない。融通無碍なFERMATAのような性格はむしろ賢いと思うけれど、面白くなかろうとも思う。自分を茨の道へ追い込んでいくマゾヒスティックな喜びは痛みに伴う快感がある。

 ICHIZUに生きていこうとYUDUMUGEに生きていこうとどちらでもかまわない。相田みつをのように「いちづ」がいいとも思わない。自分の人生だからどんな結末に向かおうとその道を歩いて行かなくてはならない。私が右というと右へ進み、左というと左へ進む子らでなくなり、クロスロードにさしかかり、さっと選ぶか、考え込んでしまうかの違いはあっても、自分の意志で頑固に歩いていく子らになってきていると思う。

 親としての私にも親としての一途さがあり、いくつになっても子らの選択に口出しをする。うざい親ではある。

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2006年2月 6日 (月)

厳しい冬

 今年の冬は2002年夏から八ヶ岳南麓に通いはじめて一番寒い。12月初旬の雪以来、大雪こそないが(そういっている今夜あたりは10cm以上積もっているようだけれど)、日中でも氷点下の真冬日が続いている。底をつきだした薪を買い足すのは簡単だがお金もないし、悔しいし… というわけで今回は林の中を歩き回って倒木を見つけては手入れが悪いために切れ味の良くなくなってしまっているチェーンソーで伐っては家まで運んでいる。ただ、太い木ではなく細い木が中心で、太めの枝なども集めている。お金を出して買う立派な薪とは違って細くて半分スカになっていたりする木だから干していないのに燃える。皮が剥け、白い木肌が見える動物の骨のようになった木を惜しげもなくストーヴに放り込む。木自体が冷えていたり凍っていたりするから買った乾燥薪のように即座に燃え出さないが、ゆっくりと白っぽい木が変色して焦げて茶色くなり、発火点をこえるとパッと炎が上がる。オレンジの炎が木から上がるのではなく、青や赤の炎が木から離れた宙で揺れる。何度か北極回りのジェット機から見たオーロラのように… 

 しっかりとした薪ではないから燃え出すと木自体がゆらゆらと揺れだし、赤い興(おき)になっておち、次々と積み上がる。それからが長く、熱量を発してくれる。静かな余生を楽しむ老人の最晩年のように赤い色が震えている様子は、悲哀と安らぎを同時に感じさせる。興の美しさをしばし楽しんだあと、次の枯れ枝をくべる。こうして短い人生のような、枯れ枝の燃える生涯のドラマを何度も見続ける。赤々と燃える母親の懐に抱かれた冷たい木々は赤子のように暖められ、突然自我を確立する青年期のように燃え上がる。ストーヴに貼り付けてあるバイメタル式の温度計がいったん200℃くらいに下がり、再び350℃〜に上昇していく。これまでなら、いったん暖まった室内の空気は暑くなる一方で、薄着になっていくのだが、今年はそのたびに室内の空気の温度も変化するくらいに寒い。そうやって色と熱の競演は小さな鋳物のストーヴの中で何度となく繰り返される。私たちはそのストーヴの前から離れられずに手をかざしている。

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2006年1月29日 (日)

ラストスパート

benkyouchuu06 センター試験も終わり、あとは志望校の受験3つを残すだけとなったM乃の山籠もり。前回は撮影を拒否されたので今回はそうっと梯子を上り、勉強中の後ろ姿を撮った。背中が丸まっていて姿勢が悪い。でも、寝転がらないと勉強できなかった私よりはましか… その間、父母は声を殺して酒を酌み交わしている。
 今回は着いた晩、小雪が舞い、アスファルトの林道もうっすら雪がかぶっていたが、夜景も星もくっきりと見えた。今年の冬の寒さは地元の人にとっても異常なようで、これからもっと寒くなる2月、3月に大雪が降るのではないか、と言っていた。氷点下15℃はもはや毎回のことで、去年より30%くらい多めに買っておいた薪がそろそろ底をつき始めている。前回も書いたように屋外のミミズは全滅状態で、屋内のミミズたちも活動はほとんどしていない。
bansyaku 毎日良い天気で餌を待つ野鳥たちが屋根の上でさえずり、餌をおくと即座に降りてくるようになった。周囲の山々もすべてくっきりと雪を頂いた山容を見せている。

 今朝、食事をしながら勉強の仕方について話をしていると、うざいなあという顔つきを露わにしつつ、お父さんが女装して身代わり受験してよ、とM乃が言った。いよいよというときになって弱音が出てきた。浪人してもいいからまあ気楽におやりと言ったが、いずれにしても新しい生活に向けてあと少しの辛抱になった。

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2006年1月25日 (水)

3ヶ月ぶりの病院

 93日分の薬を処方され、その薬も明日の朝で終わり、ちょうど予約を入れた診察が明日ある。あれほど痛んだ胃も今は痛くなく(胃の痛むような状況はこの時期になるとちゃんと湧き出るように周囲にあふれているけれど)、たぶん、問診でその状況を話せば内視鏡はもうしないで済むのじゃないかと希望的観測を抱いている。そしてピロリ菌除去のための薬をもらい、その次の診察でピロリ菌のいなくなったのを確認し、それで当分は様子をみましょう、ということで終わる、と自分で決めている。

 M乃の受験がこれでうまくいき、あるいはうまくいかなくても来春に向けて再起動をかけて、異動時期に入った職場のざわつきがおさまり、再び新しい年度が始まれば去年よりは多少余裕をもって仕事をし、余裕をもって山の往復ができるようになると思っている。あと数年は仕事を辞めるわけにもいかない経済的な負担があるけれど、ほかに生かす能力をもっていないから宮仕えを続けるしかない。でも体をこわしてまで仕事で悩むのはもうやめようと思う。休みの日を楽しみにしながら、適当に(いい加減にという意味ではないけれど、そこそこに)仕事をしていこうと思っている。

 明日は一日休みをとってあるので、病院よりも帰り道になくなりかけたノートを買ったり、インクをみたり、久しぶりに本屋で長居したりしてこようと思う。そういえばこの数年、たくさんの本を買ったがほとんどがAmazonからだから本屋で背表紙を眺めるということをしたことがない。たぶん余計な本は買わないと思うけれど本をみて歩くの楽しいだろう。

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2006年1月21日 (土)

センター試験と雪

060120 今日明日とM乃が大学入試センター試験なので、こういうときくらい親も気を揉んで家にいてやらなければ、と山行きをやめた。だからといってすることもないので、タルコフスキー『惑星ソラリス』のDVDでも見て、原作のスタニスワフ・レム『ソラリスの陽のもとに』を読んですごそうと思っている。
 
 実に今年もセンター試験は日本列島雪に見舞われている。私たちの世代は国立一期校、二期校という時代で、その後、入試制度は共通一次、センター試験と変わっていった。かつて3月3日に国立一期校の入試があったので大雪にたたれるということは少なかった。ところが入試の時期が早まったせいで雪になることが多くなった。そして、共通一次、センター試験通じて本当にこの日は雪が、地方によっては大雪が降る。我が家のあたりも今車の頻繁に通る道以外は真っ白でまだ大きな固まりの水分の多い雪が降り続いている。山と東京では気温が違うからか降る雪の質が全然違う。

 それにしても今年の寒波は半端ではなく、ロシアでは−50℃を越える寒さを記録している。実は完全に調べたわけではないのでこれまで書いてこなかったが、山のThe Worm Cafe、屋外ミミズの家のミミズたちはこの冬を越えられなかったみたいだ。まだ、さほど寒さの厳しくなかった11月初旬に去年までしていた断熱材を蓋の下に敷くという作業をしてこなかった。その後2週間山へ行けず、その間に大雪が降り、黒くて柔らかな、さらさらとした土(ミミズの糞)が表面2cmほど凍っていた。気になって下をほじくり返したが、ミミズの姿はなかった。春になって残っている卵から新しいミミズたちが生まれるかどうか待ち遠しい思いで待っている。どうしてもだめな時は屋内においてあるミミズバケツ「森の家」のミミズたちを移して再会するつもりでいる。

 話は行ったり来たりするがM乃の受験戦争は今日明日のセンターが終わると次は来月に入ってからまた続く。実力以上のものをだすことはできないのだからできるかぎりのことをやればいい。気になるのはそういう励ましが通じないほど暗い表情になっていること。ケラケラされてばかりいても困るのだが家族の空気まで暗くさせるような態度をとっているM乃は、性格とはいえ、まだまだできてないな、と思う。仕方ないとも思いつつ…

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2006年1月 9日 (月)

この「惑星」の美しさ

tatiirikinsi 受験直前のM乃を連れて山にこもってきました。ときおり本当に勉強しているのか、はしごを上って覗きにくる父親をブラケットで封鎖して、それなりに勉強をしておりました。彼女が勉強している屋根裏には天窓がついており、今は松の枯れ枝や、解けた雪の跡でひどく汚れていますが、そこを黒い小動物が走り去った、と大声が聞こえてきました。「今、玄関を叩いているよ」 玄関の辺りにそういう気配はなく、寝ぼけているのかと思っていましたが、今朝方、昨日の午後にM乃が気配を感じた小動物が庭の外れの木立の中で動いているのをFERMATAが目撃しました。たぶんリスか何かだったのでしょう。私がバードウォッチング用の望遠鏡を構えたときにはもういませんでした。
 デッキの桟の上やそろそろ屋根の葺き替えをしないとみすぼらしくなってきた餌台に野鳥の餌を置くとすぐにコガラやヤマゲラなどがやってきて餌を啄み始めます。この冬ははじめてカラスもやってくるようになりました。これまでは都会のギャングたちを見ないで済むのが喜びのひとつでもあったのですが、町場も過ごしにくくなったのかもしれません。

 yoinohangetu ちょうど今回の連休中は半月で、午後の明るいうちに上り、深夜には沈むので、そうするといよいよ星たちが輝きはじめます。年末年始が新月だったのでこのときも星がきれいでしたが、今回も我慢して起きていて、かつ、氷点下15℃の屋外に出る勇気さえあれば星の美しさも満喫できたでしょう(ということは星の一番綺麗な時間はちゃんと寝ていたということです)。喘ぎ続ける地球とそれを取り巻く銀河系の中で、リスも野鳥もそしてこの私たち人間も実につつましく、生きることにのみ力をそそぎきる。いつ消滅してもいいように自分の領分を守りながら生きている。欲に狂う大人たちも反抗の度をこえた暴力に踊る若者たちも遠からず消滅していくのだからそんなに気負うことなんかないのに… そんな思いを抱きながら本を読んでいると偏屈さにこりかたまった自分の体から力が抜けていくのを感じます。


nirasakikara

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2006年1月 2日 (月)

食べること

medamayaki 胃の調子が悪くなっても食欲だけは落ちない。さすがに去年一年間たびたび襲った胃痛のときはおかゆで我慢したがいつも腹がすいた。けっして食通ではないけれど、こだわりはあってコロッケはFERMATAの作るコロッケが世界一美味しいし、ヒレカツはいまだかつて(どんな有名店へ行っても)私の揚げるヒレカツよりうまいヒレカツに出会ったことがない! 左の画像はただのハムエッグ。…に見えた人は正常である。でも、これはY乃が撮ったいたずら写真。実は黄身の大きな目玉焼きに見えるが目玉焼きではない。画像でみるより実物のほうがもっとだまされやすい。ぜひ一度我が家で食べてほしい。さあ、この目玉焼きは何なんでしょう?

 USA CITYに住む若い友人が、私が胃を壊しているというのをサイトで見て、元気を付けてくださいとウナギの蒲焼きを送ってくださった。実に品の良い脂ののった立派なウナギだった。美味しくいただきました。ありがとう。

 この年末年始は家族5人に四女のぴょが来ていたので6人。下の画像は上にも書いたFERMATA特製世界一美味しいコロッケである。不格好だがうまい。レシピは以下のページにあるのでよかったら作ってみてください。

http://homepage3.nifty.com/eugene1249/dinner.htm


korokke06

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2005年12月26日 (月)

賢者の贈り物

asahi O・ヘンリーの作品のことではありません。娘たちがまだ学校へ上がる前の話。

当時から彼女たちはお互いの誕生日やクリスマスにプレゼントをしあう習慣があったな、とクリスマスイヴの晩の買い出しで賑わう大きなマーケットで小さなブッシュ・ド・ノエルを買いながら思い出していました。おこづかいをもらっていなかった彼女らはお金を出して何かを買うということはできるわけもなく、自分たちの持ち物(それらはたいていが私やそれ以外の誰かからもらった絵本や安物の人形のようなおもちゃの類でしたが)の中で気に入っている物を、これもそれまでにもらい、大事にしまってあったプレゼントの包み紙やリボンで包んで、手作りの、ということは拙いということですが、カードをつけてやりとりしていました。年下の者から年上の者へ、やっと字を覚えた子ども用の「のんたん絵本」だったり、あるいは前の年に別の者からもらい一年間大事にしたものだったり、つまりは三人が三人ともによく知っている物が交換されあう「贈り物」ごっこでした。もらった者はくれた者へ心から喜びを表し、贈った側も贈られた側もそれなりにお互いが幸せな気分に浸れるということをちゃんとわかっていたのでした。

お金で買った物を交換しあうという習慣がいつごろから彼女らに身についたのか覚えていませんが、「賢者」たちは「ただの人」になってしまいました。

2001年のクリスマスを前に私は家族を集め、何度も家族で出かけていてよくわかっていた村(当時はまだ村でした)にお家を建てようと思うと宣言しました。それがその年の我が家のプレゼントでした。寒い冬のある日、約束していた不動産業者に案内をされ、その日に今の土地を買おうと決めました。買えるかどうかの目算もなく、いきあたりばったりでスタートしたのです。年が明けてから月に何度か通い、建物について検討を重ね、春の風の強い日に長女と二人で建前の儀式に参加し、その年の夏休みのちょうど中頃にプレゼントが形をなしてわたしたちの手元にやってきたのでした。「賢者」というには無謀な、無計画な行動だったと今は思います。

しかし、賢者かどうかはともかくも「贈り物」は家や土地自体ではなく、ここでの「生活」だと私は思っています。それが「賢者」の贈り物かどうかはもっとずっとあとになって彼女らが私たちから引き継いで何年もたってわかることだと思います。2001年のクリスマスから今年で4年の歳月が過ぎ、彼女らはそれぞれのクリスマスを過ごす人たちになりました。私とFERMATAは山の番人のような気持ちでこの家を守り、そのことに幸せを感じています。いつか娘たちが、この家での「生活」をあり合わせの包み紙とリボンで包み、それぞれの記念の日に互いに繰り返しプレゼントしあう、そういう時代がやってくるといいなあ、と幼かった彼女らの面影に重ねて思うのでした。

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2005年12月18日 (日)

夜の仕事場

 大寒波があちらこちらに大雪を降らせているこの島国の、面白くもない町の、さらに面白くもない職場で、休みだというのに一日の仕事を終えました。昨日か一昨日満月だったのでふだんでも見えにくい星が今日は晴れているのにオリオン座さえやっと識別できる程度です。うちのMACでは見ることができないブログにお邪魔したりしました。

 この週末はクリスマスの三連休。月も翳るはず。クリスマス・イヴにはY乃がエキストラで出る室内楽団の演奏会があるのだが、聴くに耐えないくらいの楽団なので今回はパスさせてもらい、山へ逃避します。家族がそろわないのは残念だけれど、遊びにきてくれるという友人もおり、久しぶりに三連休を楽しんできます。退院したばかりの親父を誘いましたが、寒いところへ行く勇気がでないようで、たしかに循環器系の病気があけたばかりではつらい山の気候だと思います。

 誰もいない職場の中でぼんやりとあと何年仕事をしなくちゃならないんだろう、と考えたりしています。仕事が命、というような生き方は不幸だが、私のように仕事から逃げたくても生活のために逃げられない生き方はもっと不幸かもしれないと思います。適当なところで折り合いをつけてはいるのですが、そういう中途半端もつらいです。まあ、大金持ちで働かなくても食っていける人間じゃないから仕方ないと観念して、与えられた仕事をこなすしかありません。

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2005年12月10日 (土)

“森を渡る風”

 残念ながら今週、来週と山へは行けないので、森の生活の話ではありません。

 ヴァンフォーレ甲府が柏レイソルを破ってJ1に昇格した話です。実はサッカーには全く興味がなく、ワールドカップ予選リーグのグループがブラジルと一緒になろうがあまり感心がありません。それでも国道20号を甲府から韮崎へ走っていると目に入ってくる VENTFORET という名前の響きが快く、なおかつ資金もなく、選手も金で集められない弱小チームが大企業に後押しされたチームを叩きのめすのはなかなかの気分です。大宮をお払い箱になった何とかという外国人選手が1人で1試合6点も入れたというから、それ自体大変な出来事だとサッカー通でなくてもわかります。

emblem VENT(風)とFORET(森)を合わせたこのヴァンフォーレという名前の由来を先程オフィシャルサイトにいって調べてみると、武田信玄の「風林火山」からとったものと書かれていました。なるほどね、とちょっと拍子抜けすると同時に、そのことに気づかなかったとは迂闊だっと思いました。でも、私は信玄からではなく、やはり“森を渡る風”もしくは“風の抜けていく森”というふうに理解していこう、そして応援してやろうと思っています。

 大宮アルジャジーラだかなんだかというチームをひいきにしているM乃とは一応敵対関係に立つことになりました。昔から、大鵬とか巨人とかTOYOTAとかWindowsとか自民党とか、とにかくみんなが好きで強いものが大嫌い、というへそまがりですから、ヴァンフォーレにもずっと入れ替え戦付近をうろうろしつつ、勝つときはかっこよく決めてくれるチームになってほしいと思っています。

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2005年12月 4日 (日)

初雪

05hatuyuki●12月3日(土)
 2日の夜11時前に家を出発。日付変更線を中央道の上で越し、1時過ぎに山に着きました。上空の風が雲を吹き払い、今年一番の星空でした。木々の葉も落ちて裸ん坊になっているから見上げると梢の隙間に星が瞬き、天然のクリスマスツリーのよう。写真が撮れないのがとても残念です。外気温は−7℃。寒いというより空気が痛いくらいです。
 昼前まで寝てしまい、起きると青空と灰色の雲が微妙に入り交じっています。西側の南アルプスの稜線は黒い雲に覆われているが山肌はきちんと見え、南側の富士や秩父の山並みは雲の量は多いけれど山は全景を見せていました。今回の山でしたかった仕事(これは別項で書きます)を数時間集中して行ってから、買い物に山を下りました。夜、ワインを飲み、先日若い同僚から北海道のお土産でいただいたお酒(国稀というお酒で、「増毛」という町に蔵があります。お酒はもとより、町の名前が好きです)を、これも別の若い同僚から北海道のお土産でいただいた北一硝子のグラスで飲みました。pau_snow
●12月4日(日)
 寒気団の到来を長期予報で聞いていたとおりの天気で朝からどんよりと雪雲で覆われていました。「いつ雪が降るだろう?」と半分うっとうしく、半分楽しみに待っていました。11時半頃細かな雪が舞い始めました。この冬初めて見た雪です(もうこの程度の雪は何度も降っていると思います。氷点下の土地で低気圧が来れば雪になるのはあたりまえですから)。ああ、とうとう降り出した、とわくわくしてきたのはやっぱり雪景色が待ち遠しかったのでしょう。1時間もしないうちに雪は森も家も白く覆っていきます(上の写真は降り出して1時間くらいしたころです)。煙突だけが暖かいので黒いままです。薪を焚く煙が落ちてくる雪とぶつかりながら不規則に上っていきます。夕方までのんびりしていると山から脱け出せなくなりそうなので早めに山を下りる支度をはじめました。
05hatuyuki2

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2005年11月26日 (土)

月のもの

別に女性を揶揄したことではないのです。

内容的には大したことはないのですが、とにかく面倒くさくて時間のかかる作業が毎月月末が近づくとあって、その締切が近づくと気が重く、体調にまで影響を与えそうになるので、私はそれを「月のもの」と呼んでいるのです。今日も午後1時近くまで仕事をしてようやくまとめ上げました。月曜日に決裁を受けないと月末に間に合わなくなるからです。通常の業務の一貫というか、ひと月のしめくくりなのでもっと早くから手をつけておけばよいのですが、根が怠け者だからなかなかやる気が起きないのです。ちょうど家内のFERMATAも仕事で出勤だったので、いずれにしても山へは行けないから、ちょっとだけ踏ん張って終わりまでやっつけてきました。

本当に馬鹿馬鹿しい作業だなと500枚くらいの書類をめくりながら思います。働くことに生き甲斐を感じたことがいまだかつてない、と自信を持っていえるくらいの仕事嫌いの私にとって、働くのは食うためでしかありません。FERMATAは、結婚後もずっと学生を続けた私を養ってい、そのころは、仕事が天職だ、と思っていたようなところがありますが、最近はお上のしめつけがひどくて仕事が単なる仕事になってしまっているようです。

今、胃潰瘍の治療で通う病院のある街はいわゆる官庁街の隣で、私は網の目のように複雑な、地下通路を歩いたり、ホームを端から端まで横断したり!する乗り換えが嫌で、うちまで直通で帰ることのできる駅まで歩いています。その途中、工事中のビルディングがあり、近未来のこの街を描く看板と、過去の江戸の歴史を描く看板が工事現場の囲いにはられています。たくさんの役人やビジネスマンが急ぎ足で通りすぎ、いつでも警戒中のパトカーや機動隊の格子付きのマイクロバス大の車が止まっており、全然過去も未来も見えてこない風情のない街です。歩いていく方向に見える木々の多い巨大な一角は象徴たる「二世帯家族」が住んでいる都会のど真ん中の「空虚(くうきょ)」です。だれがこの「家」を継ぐか、とりまきが騒いでいます。巨大地震が起きたときこの「空虚」は解放されるのだろうか? いや、たぶん、逆に兵隊のように並んだ警察官がここを取り囲み、下々の侵入を絶対に阻止するのだろうな、などと思いながら濠の外からちらっと見て、地下鉄の穴に潜っていきます。

本当に大切なものを人も街もどんどん失っていく、そんな不安を感じます。森に帰りたい!

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2005年11月23日 (水)

父の胃袋

 高校か、中学か、あるいは小学生か、とにかく記憶も定かでないはるか昔、夕飯のあと、父が二階の自室で大声をあげだしました。胃の痛みが耐えられない様子で母とすぐに救急車を呼び、救急病院に搬送されました。その夜のうちに父は胃袋から十二指腸にかけて全体の三分の二を切除しました。

 ほとんどの記憶が靄の中に沈み込んでいるのに、手術直後に執刀医が大きなトレイに切り取ったばかりの父の胃袋を持ってあらわれ、血の付いたゴム手袋のまま、なま暖かい大きな胃袋をひっくり返したり、指で押したりしながら、病状の説明をしてくれたことだけを覚えています。胃袋をひっくり返すとどこもきれいで「癌などの悪性の部分はありません」とおっしゃいました。そして、十二指腸の近く、胃がだんだん狭くなっていく部分を指さし、「この部分に潰瘍があり、反対側の胃壁と癒着しています」とそこだけ「しこり」のように硬くなった部分をグイと押して見せました。弾力性のある、COACHの昔の革鞄のグローブレザーのような胃袋の10円玉くらいの大きさのこぶが胃の外側からもわかり、ひっくり返された白い胃壁はそこに壁を作って食べたものが通らないほどに狭くなっていました。そして「癒着した部分を食べた物が通りにくくなって痛んだんでしょうね」と言いながら執刀医はこぶと反対側の胃壁を開くようにしたとたん、反対側の胃壁が10円玉分ぺろりと剥けて穴が開きました。「ほらね。くっつかれた方の胃の壁がこんなに薄くなっていたんですよ。破れる前に開腹してよかったですね」と穴の開いた胃袋をぶらさげて見せてくれました。

 父は私が物心ついたころから太田胃酸をよく飲んでいました。途中からキャベジンが出るとキャベジンにかえたりもしましたが、胃痛病みでした。ここ数年、ときおり胃の痛みに襲われるたびにそのころの親父のように私も太田胃酸や武田漢方胃腸薬を飲んでしのいできました。頭の禿具合といい、顔といい、そっくりだと父を知る人全員から言われますが、内臓までそっくりなのでしょう。

 明日、もう一度、大都会の真ん中の病院に行って来ます。その病院の近く、歩いて何分もかからないところに私の好きな飲み屋さん「鈴傳」があります。病院に行くのでなければ、それも胃の調子が悪くて行くのでなければ明日は午後からの診察なので、開店してすぐ、まだ人気の酒が切れないうちに、一杯飲んでくるのに… ととても残念でなりません。

 心臓にステントを入れて心筋梗塞を何とかしのいでいる当の父はその後もときどき胸が苦しくなることがあるようですが元気です。隠していたのにM乃が電話で私の胃カメラについて伝えてしまったら、すぐに大丈夫か?と電話をしてきました。あなたの子だからすぐにストレスに負けて胃が痛くなるんだよ、と言うと、耳が遠いために何度か聞きかえしたあと、笑っていました。

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2005年11月21日 (月)

森から林へ

akaimi わずか半月で森は一気に林になりました。今月のはじめに行ったときはまだ暖かさも感じられ、そのせいか木の葉が色づいて木にへばりついていたのに、今回は山道に入った途端地面が見えないくらい茶色の松葉が敷き詰められていて、月明かりに照らされた庭は松葉はもとより栗の木やりょうぶの木の葉が堆積し、歩くとしゃくしゃくと音がします。気温はすでに氷点下になっており、先週管理会社が水抜きをしてくれていました。

 今回はA乃とM乃と犬猫もいっしょでした。昨日の朝が−6℃、今朝がー8℃まで下がりました(といってもその気温のとき起きてPAUと散歩をしたのはFERMATAだけで、私も娘らも寝ていましたが)。2日間とも同じように穏やかなよい天気で、ミミズ小屋を見に行った以外外にでることもなく、うちの中でじっとしていた私は外のキリキリする寒さをほとんど経験することなく窓の外の景色を眺めていました。夕方になると葉を落としたために見通しのよくなった木々の間から西日を浴びた富士の影が見え、西側の森の切れ目から見える南アルプスの稜線の範囲も広がりました。透しガラスの風呂に(山の我が家は周囲に家がないので、トイレも風呂場も透しガラスなので、開放的といえば実に開放的です)西日を眺めながら、内視鏡検査後初めて風呂に浸かりました(胃の中の細胞をとったため3日間入浴を控えるよう指示されたのです)。カラスの行水であるのは東京のときと同じなのですがなぜか東京では義務で風呂に入ります。食事して寝るまでの時間が限られておりあわただしいから。でも山にいると早い時間、入りたい時間に入れるので風呂に入るのが好きです。

2005winter-fuji ああ帰りたくないないなあ、と最近は特に思うようになっています。帰宅時間が遅くなるのを覚悟でぐずぐずとストーヴの残り火に当たっていて、夕刻を過ぎてから帰り支度をはじめます。もうひとつには高速道路の通勤時間帯割引の一番後ろに合わせて乗ると中央道が半額になり、午後4時から6、7時にかけてひどくなる渋滞がおさまりだすころにゆっくり走ることができます。今日も一時小仏トンネルから20km以上伸びた渋滞が高速に乗るころには17kmになり、ゆっくり近づいていくとだんだん渋滞が短くなり、電光表示やハイウェイラジオでは7kmと言われていた渋滞は実際にはゆっくり走りつづけられる程度になり、10時過ぎには帰宅できるのです。

 来週はFERMATAの仕事で行けず(私ひとりで逃避してもいいのですが、共同所有者であるFERにわるいから我慢します)、次は12月に入ってからです。すでに先週スタッドレスにタイヤは交換してあるので、多少の雪は平気です。深い雪になれば車体の大きい車だから身動きがとれなくなります。こうしてまた冬の山暮らしが始まります。ちなみにミミズくんたちは屋外のTWCの土中温度が7℃とちょっと寒めで可哀相ですが元気にしておりました。

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2005年11月16日 (水)

内視鏡検査をしよう!

 予約していた内視鏡検査、胃カメラと呼ばれている検査を受けてきました。これで3度目なのですが、苦しい検査でした。まず、胃をきれいにする薬というのを飲まされ、これはちょっと苦いだけだったけれど、そのあとの喉の麻酔薬(粘液状)が下手にバニラの香りがつけてあって、これを2度も口の中に入れておくのが大変でした。
 それでも実際のカメラを飲まされるのはもっと大変で、上手な人と下手な人がいるといいますが、今日の先生は若かったけれど大いに励ましてくれ、それだけはとてもありがたいと思いました。検査中、状況をいろいろ説明してくれましたが、眼鏡を外した私にはモニターも見えず、「たぶん良性ですが、過去の潰瘍のあとのすぐ近くで進行していますね。」という声が聞こえる。開口器を噛んでいるから返事もできずうなずくこともできず、ただ聞いているだけ。カメラが1m近く入って十二指腸あたりを見ている様子。「十二指腸にもポリープがあります。組織をとっておきましょう。」

 長かった、ように感じました。
 
 昨日に引き続きこの冬一番の寒さといわれた官庁街を冷たい風に吹かれながら歩きながら、もう検査のことは忘れていて、ああ都会は嫌いだなあとつくづく思いました。帰りにちょうど切らしたMoleskinの手帳を買うためにターミナル駅で降り、街を歩いていたときも、官庁街の冷たさとは違ううっとうしさを感じます。郊外の駅で降り、住宅街をぬって走る小さなバスを待っている間ちょっとほっとしましたがそれでもかつて私が若かったころ、向こうも今より同じ分若かった顔だけは見たことのあるおばさんがでかい買い物袋を下げて乗っています。となりでこういう町には不釣り合いな(と私が思っているだけで、うちの娘らも近いものがあるのだとは思います)ギャルが携帯電話でメールをうち続けています。職場にいればまだまだこれから一仕事も二仕事もあるはずの午後の日差しの中、帰宅してこうしてMacに向かっています。書き終えてシャットダウンしたら寝るはずです。もうぐったりしています。

 体力が落ちたなとつくづく感じます。山暮らしを本気で考えるなら、体を鍛えなければいけないとも感じます。その第一段階として不具合の修理をしておかないと。体はどこか、職人の作ったモノに似ていて、修理しながら丁寧に使うと長持ちするような気がします。反面、コンピュータのように突然クラッシュしてしまうこともある、とも思います。いずれにしても交換不能な私の生ですから、責任をもって最後まで使い続けないといけないと思って、寝ることにします。

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2005年11月10日 (木)

病院へ行こう

 6月にあった健康診断でひっかかっていた胃が、この秋のはじめに風邪をひいたことから(そのために売薬の風邪薬を飲み続けたこともあり)痛み出し、その痛みは今もときどき襲ってくるので近いうちに内視鏡の検査を受けなければならないと思っていました。しかし、仕事帰りはいつも遅く、時間さえあれば山へ行くのが優先で病院にかかる暇がありませんでした。今日、仕事の忙しさに谷間ができたので職場の医師から紹介状を書いてもらった大病院に行くことにしました。今日は検査ではなく、検査日を決めるための診察だけれど、電話で紹介を受けたことを伝えると、かなり待ちますが…と受付の女性がいいました。
 あらためて去年の手帳を繰っていると、今年の春亡くなった友人を去年の今日、やはり休暇をとって見舞いにいったのでした。と同時に私が今一番気に入っている万年筆が仕上がってきた日でもありました。亡くなった友人は去年のこの日、おそらくは私のために無理をしていたのかもしれませんが、一見元気そうでした。本人も病気については知らされており、「あと何年生きられるのか」と聞いたら「寿命よりかなり短い」と医者がいったよ、と笑っていました。そしてそれから数ヶ月で亡くなったのでした。

 一方万年筆のほうは、今、届いてから毎日書き込んでいるノートを見返すとはじめ細かったペン先がどんどんこなれていって今では太字の、貫禄の出てきた外観とともに、堂々とした万年筆に熟成してきています。

 せっかくの休みなのでお歳暮だの、M乃の大学の受験料の払い込みだの、いろいろと時間をうまく使って動こうと、ノートに行動表を作っています。できたら北欧の職人ハンスオスターの革製品をオーダーで作ってくれることで知る人ぞ知る銀座の裏通りにあるお店にも行ってみたい。これまでA乃に頼んでいて自分では行ったことがなかった表参道・青山にある万年筆のお店にも行ってみたい。おおむね大きな円を描くように動くとちょうど病院の診察をその真ん中に持ってくることができます。待たされることは覚悟のうえだから、読みかけのクンデラ「不滅」(再読)を鞄に入れていこうと思っています。

 山に行くと全然動かなくなるのに、やっととった平日の休みだからと貧乏性の私はあれもこれもと思ってしまいます。度が合わなくなってきた遠近両用眼鏡ももうひとつ買いたいのだけれど、こちらはお店が市川にあり、ちょっとここまで足を延ばすのは無理そう。具合が悪くて病院へ行くのに体力勝負のハードスケジュールです。今日の分は土曜日に仕事するので結局あまり休みをとったという感じがしないものの、朝一番に出勤しないでいいというのは心が安まるものです。

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2005年11月 8日 (火)

ふんばる秋

 金曜から土曜日に日付が変わるころ山に着きました。宵の明星も三日月も西の空に沈んだあとで、空は真っ暗く、満天の星でした。気温はこの時期にしては寒いというほどではなく、水道やガスの元栓を開きながらしばらく家のまわりをまわりながら梢の間に輝く星を見ていました。そばかすだらけの顔といったらあまり表現がよくありませんが、空一面星だらけでかろうじてオリオンの真ん中の3つの星が識別できるくらいでした。度が弱くなった眼鏡で見ているのでややぼんやりしているのですが、斜めに傾いたオリオンのすぐ右隣に細かい星の塊が見えたような気がします。私は星雲の一つだと(違うかもしれないけれど)そう思うことにしました。さらに右側にひときわ赤く光る大きな星は火星に違いないとも思いました。

 翌日はものすごい良い天気で一日中秋の日差しが森の中を斜めに差していました。西の空に日が沈むころ、真っ赤な空と南アルプスの稜線がくっきりと見え、その左上に三日月が、そのさらに右上に宵の明星が輝いていました。

 今回はいつものジンクスとは逆に帰る日が雨。朝から温度が上がらず、静かに雨が降り続けました。森はすっかり晩秋の気配で、冬の到来に抵抗してふんばっているような感じです。それでもこうやって冷たい雨が降るごとに足早に冬がやってくるのだと思います。今回はM乃と進学について話をしました。私もFERMATAも仕事で遅くなることが多く、彼女の高校では私の高校時代のような(そしてたぶん普通の進学校では今もしているはずの)三者面談というようなものもなく、漠然としか彼女の希望を聞いてやる暇がなかったと話ながら思いました。長女は来年の春、ようやく学校を終えますが、二女は3年生、そして今度は三女のM乃です。少子化を迎え有名大学以外は学生集めに躍起で市場原理からして学費も大したことはないだろうと思っていたらこれが音大とあまり変わらないくらい高いのでビックリしました。もっと早くから準備をしておけばよかったのはM乃だけではなく、親の私たちも同様だと思いました。

 雨の降る窓の外を一枚、また一枚と色づいた葉が斜めに横切って行きます。給与の引き下げが今年も続く中、厳しい冬は私たちにも訪れようとしています。ただ、もう耐えきれずに散ってしまってもよかろうと思う木々の葉が濡れながらもしがみついているのを見て、親子ともどもふんばりどころだと思います。希望が叶えば来春からは親許をはじめて離れることになるM乃の希望は、叶えてやりたい反面、そばにおいておきたくもある、複雑なものです。今日は一日、来年からかかる経費について仕事中何度も電卓を叩いてはため息をついていました。でもかならず春は巡ってくるものですから、今から鬱々としていても始まらない、とつい先程、今後のことをもう一度M乃と話したあとに思いました。hunbaruaki

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2005年11月 4日 (金)

2週間ぶりに山へ行きます

 休日に仕事して、今日も仕事して、やっと自由の身になりました。これからおそらく氷点下近くまで冷え込んでいるはずの山へ向かいます。先週はY乃の演奏を聴くために山を休んだので2週間ぶりです。屋根も庭も枯れ葉でいっぱいだと思います。今月の中頃からまた帰るとき水抜きが必要な季節になります。今日は三女のM乃が山籠もりで勉強をするといってついてきます。
 さてそろそろ出発です。再読を始めてとぎれとぎれだった「不滅」を持って行きます。もちろん万年筆とノートも。このひと月ほど続いている胃の痛みが少しは良くなるといいのですが…

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2005年10月23日 (日)

珍客

chinkyaku05 帰る日はいつも晴れ、のジンクスは今回も。私は昨日も今日も寝てばかりで、ベッドから起き出すのはトイレとご飯のときだけ。朝のお散歩をして野の草や木の実を見つけてくるのはいつもFERMATAの仕事。私はトイレに飾られた秋の色を楽しむだけです。

 8合目半くらいまで雪をかむった富士山のピンぼけ写真や私が入っていかない森の奥の紅葉などをデジカメで撮ってきているようで、帰宅してMacに送り込みながら初めてみる画像も多いのです。着いた夜のあの不気味な鳴き声もぞっとしませんでしたが、今、FERMATAの撮った写真を見ていてぎょっとしました。以前ならわめきながら私を起こしにきたりするはずなのに今回は何も言わず、私は画面いっぱいに拡大して見てしまったのです。
 別に山の中で名も知らぬ動物と出会おうと変な鳴き声を真夜中に聞こうと全然怖くはないし、そういう自然にむしろわくわくしてしまいます。FERMATAも、例の鳴き声は「ぬえ」に違いない、鵺(ぬえ)の鳴く夜は怖ろしい!などと笑っていましたが。しかし、今回の珍客はちょっと嫌です。いえかなり嫌です。山へ来るようになってFERMATAはずいぶん強くなったな、と思います。

 さて、この珍客は何でしょうか?

donguri

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PAUの衰え

kouyou05 体調万全、ではなかったけれど、どうしても山の空気が吸いたくて夜の高速を飛ばしていつもの週末どおり過ごしてきました。
 今回PAUの衰えが目立ち、どうしても家への階段を上ることができず、何度も失敗して落ちました。そのうちあきらめてしまい、真夜中の森の中、すぐ近くで「ギャー、ギャー」というミミズクか鷹の一種か、私には特定できない、不気味でもあるし、滑稽な感じもする鳴き声がずっと響いている中、すわりこんでお休みの体勢に入ってしまいました。雲が多く、月明かりものぞめない暗い斜面の上に「ハァ、ハァ」というPAUの荒い息づかいが、くだんの鳴き声に照応するように響いています。何度か励ましたものの、もはや自力で立ちあがる「根性」がなくなっており、私はリードを車の中に取りに行き、首にかけてやりました。ふだんは、もう動きたくない!という感じになってしまっても、リードをつけると、「しゃあないなぁ」と腰を上げるのですが、今回は何回かのチャレンジでもういっぱいいっぱいのところまできてしまっているようでした。腰をもちあげてやると何とか動き出し、デッキ側より段数の少ない玄関側へ引っぱっていきましたが階段をみると拒否反応をしめしたので仕方なくまた腰をもちあげてやり一段一段上っていきました。家に入ると、よたよたといつもの場所までいき、音を立てて寝ころんでしまいました。
 そんな真夜中の山行きは腰痛の私にとってもPAUにとっても難行ではあるのですが、それでも、彼も山へ行きたいと思っているに違いないのです。金曜の夜、私より少し先に帰ったそそくさとFERMATAがいつものバッグにあれこれ詰めはじめると、上目遣いでそれを追いかけ、私が帰宅すると「さあ、行きましょうか」とばかりに玄関へ出てくるから。

 翌朝定時(6:30)には外に出たいと寝ている私たちに声をかけ、FERMATAといっしょに曇り空の中を散歩に出かけ、いつも会う黒のラブラドールと挨拶をして帰ってきました。ちょっと安心しました。

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2005年10月10日 (月)

ストーヴを焚く

siunten05 土曜日の朝まで仕事だったので今回は土曜の夕方から山へ向かう。天候は悪く、山はずっと雨。寒くはないが湿気で床がべたつく気がしてならなかった。初日の晩は同僚から北海道のお土産にいただいた北一硝子のグラスで、石巻の「墨廼江(すみのえ)」をいただく。ちょっと飲み過ぎたのか、風邪気味のFERMATAからうつされたのか翌朝から帰るまで頭痛がした(そして今も)。

 前述のとおり屋外は12℃、室内も20℃近くあり、ストーヴを焚くほどではなかったのだが、薄手のセーターだけではちょっと寒気がしたのと湿気を取りたかったので、造り付けのファンヒーターのスィッチを入れた。実は家を建ててからまだ2,3度しか使ったことがない。余熱に時間がかかり、石油臭い匂いがしだし、暖かい風が吹き出し始めた。しかし、10分もしないうちに不自然な熱風に我慢がならなくなった。

 やっぱりストーヴでなきゃ、と地下室に貯めてあった焚き付けの小枝や木の皮を取りに外へ出た。雨が静かに降り続く森は例年より暖かく感じ、まだストーヴを焚く気候じゃないなと思いつつ、今年初めて煙突掃除をしたストーヴを試してみたくて小枝を箱に詰めて部屋に戻る。室内は当然もっと暖かく、ストーヴ本体もきれいに磨かれていて炉内もきれいに白くなっており、汚すのももったいない気がしたが、燃え上がる火が見たくて試運転をした。すぐに赤々とした炎が上がり、ストーヴにつけた温度計は200℃近くまで針が動いた。高い金をかけてファンヒーターなんて付けるんじゃなかったとつくづく思った。

 頭痛は続いたけれど秋の夜長、ミラン・クンデラを2冊読んだ。

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2005年10月 3日 (月)

autumn2005

yamaguri 今年は春の初めからずっと気持ちのよい快晴に恵まれなかった気がする。精神的な理由もあったのかもしれないが、この惑星に異変が起き始めているのではないかというのが私の一番の思い。晴れていても上空の気流のせいか、水蒸気が上空に薄く膜をはっているみたいに遠方の山が霞んでいたし、夜、天空に広がる星の世界を見ることがなかった。

 土曜日、FERMATAが運動会から戻り、昼の間中眠っていた私は起きだし、山へ向かった。そのために月曜の今日、休みをとっていた。いつもより2時間以上早く家を出たので山の時間帯が2時間ずつ早く進んだ。着いた晩はまったく久しぶりの満天の星。そしていつもより2時間早く起きてベッドの中で本を読み出したときはいつにない青空が、まだ緑濃い木々のはるか上空に見えた。空の違いがこの二日間違うと感じたのは、空の青や木々の緑のコントラストがはっきりしていたためだけではない。雲がはっきりと白く空に浮かんでいたのだ。そう思ってみると真っ白な雲を今年はほとんど見なかったのだ。

dokusyo 秋の訪れもここに山小屋を作ってから一番遅いと思う。森に入ると涼しくてとくにこの惑星の温暖化を肌で感じることはなかったし、今回は着いてすぐにセーターを取り出してかぶるくらいに寒かった。なのに緑はいつまでも濃くて、秋の気配を探す方がむずかしい。去年大量にできた我が家の山栗は今年は全然実をつけていないようで、少しはなれた林の貧弱な木がたくさん実をつけている。

 今日の午前中、直射日光をさけてデッキで本を読んでいると白い筋の入った大きな黒アゲハが優雅に舞っていた。強いて秋らしさを探すと、アカマツに絡んだ蔦の葉が真っ赤に染まっている。読書と睡眠の繰り返しの2日間。これで娘らのうちのひとりでも一緒についてきてくれていたら… FERMATAがにらんでいる。
tuta

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2005年9月14日 (水)

秋の花と30000K

autumn05 9月最初の週末、標高1249mにしては暑い残暑の森の中で見つけた秋の気配。ワレモコウは今週末にはもう見られないだろう。3シーズン使ったストーブの煙突掃除を業者にしてもらった。きれいな乾いた灰がとれました、と写真入りの報告書が届いた。

 次の冬の薪はとうとう自分では作れなかった。職場で確保してある伐採後の丸太もかなりの数あるのだが、車に乗せて運ぶ元気が出ないで朽ちるままにしてある。薪割りだの丸太切りなど早くも4年目の冬を前にやる気が失せてしまっている。だから、昨年より多めにこの冬用の薪を手配した。結局山暮らしと言ったってこの程度か、と人に言われる前に自分で自分に言う。でも仕方ないじゃないかと山へ行くと休みなく眠っている。

 地球温暖化を一方で気遣いながら、往復300km超の道程を排ガスを垂れ流しながら走りつづけている。車は買って22ヶ月目で30000kmを越えた。当初の計算よりずっと少ないがそれでもローンが終わるころには90000km近く走りそうな勢い。デタラメな生き方を自分自身がしているから、本当は偉そうなことを何も言えない。そういう自分に嫌気がさして毎日ぐったりしている。
30000km

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2005年9月13日 (火)

Once Upon A Time

職場の若い友人から一枚のDVDを借り、二晩夜更かしをして観た。二日連族寝不足で仕事をした。
そのDVDが気に入ってすぐに買い求め、さらに二晩夜更かしをして観た。タイトルから想像がついた人もおいでと思うが、ロバート・デ・ニーロ主演の "Once upon a time in America" だ。暴力とSEXの横溢する230分もある映画。とても子どもらの前では観られない、大人がこっそり観る映画だ。

暴力とSEXは、しかし、人類の本性でもあると思う。清き一票を!と国民の意思を操った茶番政治劇だって大した変わりはない。不良少年の暴力や不良少女のSEXと政治家の策略と似たり寄ったり、踏んだり蹴ったり… 

なのに、古いギャングの横行するアメリカのこの物語は人間の弱さと強さを示しており、「昔むかしのその昔」と言った古さを感じさせない。今も昔も変わらない人間の姿の切片をちゃんと伝えている。現代のおつに澄ましたきれい事がいかに醜い茶番かよく分かる映画だった。

それにしても現実はなんてつまらないのだろう。国民はなんて愚かなんだろう。自分の中の暴力の根がうずく。薬の力を借りて寝る毎日、疲れ切って、しぼみきって、這うようにして仕事に行って、楽しいことが何一つみつからない。「世界」をいろいろ作るといいと徒然人さんはアドヴァイスして下さっているが、世界は一つしかないですよ。自分が連続する生を生きているかぎり、TVのチャンネルを切り替えるみたいに世界を切り替えて生きることなんか器用でない私にはできません。

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2005年9月10日 (土)

止まった時間

表のウェブサイトを中途半端なかたちでやめてしまい、ここもぜんぜん書かなくなった。夏休み後、山へは2度行ったが24時間のうちで起きている時間が数時間という状態で、寝てばかりいた。森にも我が家にもそして私自身にも目に見える大きな変化はない。

時間について考えていた。過去の哲学者たちの書いたものをいくつか読んでみた。どれもすんなり納得がいかない。過去の実態はすでになく、未来はまだきていない。あるのは現在だけなのだが、その現在というのが曲者で「時間」という通常私たちが感じている容量のある実態があるわけではない。「今」は次々と過去の中にたたみ込まれていって私たちはどんどん死に向けて進んでいる。懐かしむところの過去は記憶で、時間ではない。夢みたりおびえたりする未来は、今の私の感情にすぎない。つまり、どこにも時間というものがないのだ。しかし現に私は時間を感じている。

そんなことをうつらうつらしながら考えていた。あるときわかったような気がした。時間という概念は人が作ったもので、実態としてあるのは次々と生まれては消えていく「今」という容量のない「生」の運動だけなのではないか。つまり、時間は私たちが自分をとりまく状況の変容や、夢や期待というもの、一定の長さの状況につけた名前にすぎない。時間という概念は幻想だ… そんなことを森へ行くと考える。そして、帰らなければならない「時間」があっという間にやってきて、あわてて「数時間かけて」帰宅していくのだ。

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2005年8月 9日 (火)

止まった時計

natsuyasumi05 着いてすぐに外した機械式時計は1日を表示したまま止まっていました。予想したより渋滞はひどくないようなので日付が変わらぬうちに帰宅する予定が早い夕食後にまた寝てしまい気づいたら8日になっていました。山を下りたのは午前2時。車載の温度計は17℃を表示していました。

 結局前月30日の晩、夕食を山で食べられる時間に着いてから目一杯休みを山で過ごしたことになりました。去年の秋から今年の春過ぎまで雑木林化していた森はこんもりとした森になり、荒れ放題の庭も家の前の私道も車のボディで草木をはねよけながら走る状態でした。この休日の間、外へ出たのは草刈りをしたのと、ゴミ出しがてらミミズの様子を見にいくのと、買い出しに3回下界におりただけでした。おかげで17年前に買って、何度か読み出して途中でストップしたり、途中を拾い読みなどしていた分厚い評論1冊を一気に読み終えました。あとはこれもボストンへ初めて行くときに買って読んだ18世紀の小説1冊といつも近くに置いてあり数節ずつ読みかえしていた日本の作家と海外の作家等の往復書簡集をまとめて読みかえしました。昭和から現代に至る日本の歴史と世界の情勢についての記憶を整理し直すことができました。ただ最近物忘れが激しいのでまたいずれ新しい本を読むように開かざるをえないかもしれませんが。

 上空の大気が不安定だったせいか、一度も周辺の山々をくっきりと見ることがなく、午後2時前後には激しい驟雨が雷鳴とともに森を通り抜けました。軒の深い家なので、開き戸をしめなくとも雨が吹き込むことはなく、トタン屋根を打つ雨音と森に降り注ぐ雨の生の音をステレオのように聴くという日々が続きました。雨が去ると追いかけるように夏の日差しが戻り、濡れた緑を輝かせ、避難地から戻ってきた野鳥の声が森に響き渡ります。東京では激しい通り雨が始まる瞬間、埃臭い匂いがたつと子どものころから感じていたのですが、山の驟雨が森に近づくと濃い緑の匂いが立ち上ります。東京に残してきた娘や実家の老人たちと電話で話をすると東京は連日35℃を越す暑さが続いたようですが、山は日中の平均気温が25℃前後で、亜熱帯化した下界へ下りる気が起きませんでした。何回かは元村役場近くの図書館へ下りてPCをいじってこようと思っていましたがわずか250mほど標高を下っても「真夏」の人のいる場所へ下りて行く気が起きませんでした。

 時計をギュンギュン振ってゼンマイを巻き、日付を合わせ、山を下りて帰宅して数時間後から仕事に就きました。やっぱり逃走の手段を考えないと、といつも山での少し長い逗留のあとさきに考えます。

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2005年7月29日 (金)

夏休みに入ります

いよいよ夏休みに入ります。次の土日まで9連休です。欧米からみれば大したことはないし、最近の日本の大手民間会社でももっと長い休みをとるようですが、私のところのような中小はこれで精一杯です。わずか4人で会計業務を全てこなさなければならず、4月から始めたばかりの私などは抜けても判子だけおいていけば何とかなりますが、他の人の負担が増えるのは確かです。月末の報告の準備を先の三連休の最後の日に終えて、決裁の必要な支払は私が夏休みを終えるまでなるべく控えてもらうよう手はずを整え、ようやく夏休みに入りました。

毎年のように海外旅行を含めた家族旅行を続けていたころはお盆周辺はツアー料金が一番高くてなるべく避けていた夏休みですが、山に家を建ててからはそう易々と旅行にも行けず、そのかわりいつでも山には行けるのでみんなが避けるお盆に取っていました。でも今年はお盆に夏休みをとりたいという人がいて、私は一足先に休みに入ることにしました。子らはあれこれ予定があって長女のA乃は来ないし、Y乃は遅れてくるし、M乃は早めに帰京します。家族全員で歩き回れたころが懐かしいですがこれも仕方ないこととあきらめています。

昨日入院し、今日、心臓のカテーテル検査を行った親父は場合によってはもう少し大がかりな手術が必要かもしれず、母親の方も手術後1月経ったばかりで通院が続いているのですが、悪いけれどつきあってるとこっちがダウンしそうなので山へ行きます。休暇簿には「静養のため」と書いてきました。このクソ暑い東京から逃げ出したら楽に養生できるだろうと思ってオヤジたちも誘いましたが、あんな山奥は嫌だと簡単に断られました。まあ親子でも体は別々だし、こっちももう若くはないし、自分の命の洗濯が大事、と割り切ります。

きっとあっという間の夏休みだろうと思いますが涼しい高原の風に吹かれながらたっぷり眠ってきます。明日、親父の退院の手伝いをしたら夜から山籠もりです。インクを全種類もって、林達夫全集か何かをカバンに詰めこんでPAUとトラを連れて出かけます。

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2005年7月24日 (日)

暑さと人間の体

パウが暑さで参っている。今月の初めに行ったきり山へ連れて行っていない。とうとう今月中は行けなかった。今週の後半は親父の検査入院があったりして行けないので、8月に入ってから1月ぶりに行くことになる。

パウも辛そうだが東京のこのじめじめとした暑さは人類にとっても決してよいものではないように思う。勢いエアコンの世話になる。そして地球の温暖化が進む。もう後へは引けないどんづまりの状態だ。山へ行くと生き返るような気がする。寒さは衣服を重ねていけば何とか耐えられるが暑さは裸になっても耐えられない。日本はすでに亜熱帯化している。

一昨日、さいたま新都心へ行った。実に人工的な駅で巨大なパビリオンのようだった。都心部の官公庁は今この町へ移転が進んでいる。毒を東京の外へ広げていくのだ。さいたまの住人はこの「発展」を喜んでいるのにちがいないが、いつか東京の二の舞を踏むことになる。画一化均一化した街に人々が集中する。ぞっとする未来が待ち構えている。

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2005年7月15日 (金)

古い物と暮らす

 物を大事にするということは物をとことん使うことだと考えている。今仕事の時に私が履いている靴はすでに20年位履いている(正確に言うと走っていた時期にランニングシューズしか履かなかったからその分を引くと10数年でしょうか)。当然1足ではなく数足あるけれど何度も踵を取り替え、靴底を張り替えた。そのたびに安物の靴が1足買えるくらいの修理代がかかるのだが。重たくて硬い革の今風では決してない靴だけれど、大事に履いていると何年でももつ。前にどこかで書いたけれど、ルイ・ヴィトンが好きなのだが、(自分では)いわゆるミーハーのブランド好きとは違うと思っている。大事に使うと何年でも使えるのだ。今使っている小銭入れは結婚したころにFERMATAの父親のお土産でもらった物だからもう25年くらい毎日使っている。一度ルイ・ヴィトン・ブティックでファスナーを取り替えたけれど、どこにも傷みがない。学生時代から使っていて、途中からFERMATAが使った小さなボストンは先日これも修理して今三女が使っている。

毎日肌身離さず使うことで愛着が増し、壊れたら直して使う。山で使っているロッキングチェアは叔母が使っていてその後もらった物で、今回山へ持っていくことにして、座面と背もたれの生地と中身を椅子の修理屋さんに頼んで直してもらった。新品同様になったがもう30年以上使っている。

そうしてみると電化製品は一定の期間が来ると壊れるように作られているという話を聞いたことがあるが本当のようだ。それ以前に陳腐化する。日本車もそうだ。長持ちもしないが、数年経つと古くさくなる。ボルボのメーリングリストで近頃30万キロを越えたという人の話が出ていた。そういう、物の使い手になりたい。今私が愛用している物の大半は大事にすれば私の死後も使い続けられるはずだ。そういうものを子どもらにも買い与えようと思っているし、余裕が出てきた何年か前からはそうしている。ただ、彼女らが自分で選んで買ってくる物をみると安物ばかりで、すぐに壊れ(壊し)、すぐに買い直している。でもたぶん彼女らがもう少し大人になり、物の善し悪しがわかってきたら私の行き方がボディブローのように効いてきてそのような人になってくれると思う。

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2005年7月10日 (日)

自分の時間が欲しい

 今週も三連休の来週もその次も、とうとう今月は最後まで山へ行けない。一応、来月の頭には行くつもりだけれど、本当に休養に行くつもりなのでだれも呼ばない。私自身のためにのんびりする。といっても長い休みはとれない。またすぐに仕事。子らも来るのか来ないのかわからない。来たくないならこなくてもいいと思っている。彼女らも自分の時間が欲しいんだろう。私が人に気を使わない自分の時間が欲しいように…

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2005年7月 3日 (日)

森の営み

simotukeso梅雨の合間に時折日差しが差し込む森の中で野鳥が喧しい。寝室から見える北側の森の木々にもたくさんの鳥たちがやってきて急降下してはまた舞い戻っていく。今年は鳥がやけに多いなあと夥しい数の鳥たちを見ながら、天変地異の前触れではないかと心配してた。

ところが今朝方、デッキの手摺りに干しておいたPAUの寝具としてして使っているラグの上に降り立った一羽の小さな鳥が自分の体よりも大きな束にしてPAUの毛を嘴いっぱいにくわえているのを見て気づいた。気温の低い山間部の鳥たちは今繁殖期を迎えているのだ。先週も今週もうるさいくらいに聞こえる鳥の声は求愛の歌だった。

ふと雛鳥たちがPAUの白い毛のベッドで育っていく場面を想像した。自然は自分らのペースで着々と「生活」を営んでいるのだ。きっと私の目が捉えていない無数の場面で彼らは彼らの森の営みを続けているのだろう。

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2005年6月27日 (月)

蕎麦打ち

kinsoba04 素人の趣味と言いつつ、蕎麦打ちに賭けるひたむきさは半端じゃない。たいていのことにかけては負けるものかと闘争心をもつ私は、作務衣に着替えて、水回しを始めた金ちゃんを見て、すぐに戦意を失った。親父がNHKの通販で買った蕎麦打ち道具はどれも素人仕様で金ちゃんはかなり苦労していた。それでも、工夫しながら麺玉が捏ね上げ、延ばし、切っていく。
 直射日光を浴びると真夏の暑さを感じるけれど、木陰に入ると森の乾燥した冷涼さが心地いい土曜の昼下がり、黙々と蕎麦打ちをつづける姿を見ていて、このひとのひたむきさはいったい何なんだろうと思った。タイムはともかくも長距離走者の持久力と前に進むしかない生き方を金ちゃんも共有しているなと思う。なにをするにも片手間にはできないのめりこみかたは私の走る友人、お師匠さんみんなに共通している。鳥の声を聞きながら森の中で「生活」をしていると、まだ楽隠居を決め込むのは早すぎるなと思った。


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2005年6月12日 (日)

トイレの花子さん

dodan冬の間アカマツの枝がささりぱなしだったトイレの花がかえられた。今が盛りのどうだんツツジ。このどうだんは更紗どうだんというそうで、質素な赤と白の縞模様の小さな花が鈴なりになる。どうだんは「仲の悪い夫婦のようだ」と言われるが、花と葉がお互いそっぽを向いている。

こうして小枝を切って飾ってしげしげと見るとなかなか可愛い花なのだが森の中に咲いていると花が咲いているとはぜんぜん気づかない。レンゲツツジが真っ赤なスポーツカーのような色で咲き乱れるのと対照的にこちらは大人しく慎ましやかだ。洗面所にはグミの実と稚児百合の花が活けられたがこちらも気をつけて見ていないと気づかない小さな花たちだ。
dodan_up tigoyuri

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2005年6月 5日 (日)

森にさす光

bedroom寝室の北側の窓から眺める森の景色が好きだ。背の高いカラ松の間に、ナラや栗やミズキが点在し、夏になると暗く日翳が増えるのだが、高い木立の上から射し込む光が木や葉に当たり茶色や緑の、静かな陰影を際だたせて輝いてみえる。ベッドに横になるとちょうど見える「一枚の繪」だから、来客はこの繪を堪能する機会がない。私は寝たきり老人のように2個立てかけた枕に肩から上をもたれかけさせて、日長、本を読んだり何かかいたりコーヒーを飲んだり、下手をするとそこで簡単な食事をとったりもする。
 
直線距離にしたら50mくらい先にうちから最も近いお宅があり、冬の間はそのお宅の屋根か壁か光を反射して白く見えるのだが、若葉のころからだんだん見える部分が減っていき、今は完全に視界から消えている。

低灌木についた若葉はやっと届いた光の残りでわずかに輝き、森の中を静かに吹き抜けていく風=空気の流れに揺れている。斜めに開いた細長い窓から高い梢を渡る風のざわめきと甲高い鳥の声が聞こえてくる。太陽の移動にともなって光を反射するカラ松が1本ずつずれていき、いつの間にか夕暮れになる。気がつくと幾頁も読み進んでいない本が顔の上にあり、開いた頁の真ん中に鼻やおでこの脂染みがうっすらとついている。眠っている間に家内が窓を閉じてくれてあるが、カーテンは開いたままで暗い森を見ることができる。そして、単純なフォルムのスタンドを灯したとたんに森は消えてなくなる。と同時に今度は明かりをめざしてやってくる蛾や虫たちがはめ殺しの窓にあたって音を立てる。

北東の角に位置するこの部屋は、更地だったときに地鎮祭の祭壇が作られた場所だ。神仏を信仰しない私は、工事にたずさわる大工さんたちのためにどうしてもしてほしい、と説得されて、その意見に従ったのだが、もしも神々が宿るとしたらその基地は私の横たわる枕元にあるはずだ。私はそれらの神々が神道のそれではなく、森の精霊であったりヤモリであったり…と想像している。

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2005年5月28日 (土)

森に帰りたい!

3週間連続で山へ帰れない。月末の報告が迫り、先月はみんなに助けてもらってなんとか切り抜けたが今回はあまり助けてももらえない(といっても若い同僚たちはうるさがるくらい質問をしているけれど)。今日も昼から職場にでて、ひと月の書類を整理していた。何だか最初は言葉の意味すらわからなかったことが少しだけ見えてきた気がする。部署を異動して2ヶ月、多分リストラにあってまったくこれまでと違う職場に飛び込まざるをえない人はこういう感じなのだろうなという疎外感と無力感に苛まれた。

歩調は遅いけれど少しずつ前進している自分を見ていてそれはそれでうれしいのだけれど、山へ帰れないのはとても苦しい。町の空気は肌に合っていない。山も森も逃げはしないのだけれど、私自身の時間が逃げていく。新しい万年筆のインクを入れ替えて、若草色にした。とっても爽やかな緑で楽しくなるのだが書いている最中も書き上がった文字を見ても淡すぎてよく見えないのが難点。SAILORのインクだが蒲田駅の近くの万年筆専門店で調合した、そこでしか買えないインク。山の長椅子で寝ころびながらMoleskinのノートにいたずらがきをする… ああ、早く森に帰りたい!

でも明日も仕事…

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2005年5月15日 (日)

雨の森

woods_in_the_rain清々しかった昨日とうってかわって今日は雨の降る静かな森の朝。鳥の声も聞こえない。雨の中、外のミミズにゴミをあげて止水をして山をあとにする。朝の日差しを斜めから浴びて風に揺れる新緑もきれいだが雨に濡れているのも風情があっていい。このように寒暖の差と晴雨の繰り返しの中で緑もその他の生き物たちも夏に向けて成長していく。

GWに小猿くんが枝落としをしてくれた栗の木にはたくさんの細い枝が伸び、若葉が芽生えだした。兄猿くんと父猿さんが組み上げてくれたベンチは雨に濡れて丸太の色が鮮やかになった。

ゆっくりしたいのは山々だけれど人はいろんな事情で動かなければならない。山を下るとすぐに雨は止み、すぐに我慢がならないほど暑くなった。かんかん照りの中央道を飛ばしながら気づくと、ズボン下とコーデュロイのズボン、厚地のワークシャツにセーターで運転していた。隣でうつらうつらしているFERMATAはセーターの上にコートまで着ていた。

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2005年5月10日 (火)

やればできるさ!

kozaru山猿一家の小猿くん、栗の木の枯れ枝を小さなノコギリで伐ってくれた。ふうふう言いながら途中で何度もくじけそうになったけれど、がんばってやり抜いてくれた。ほんのちょっとずつでも苦しいのを我慢してノコギリを動かしつづけると、いつかはちゃんと伐れます。途中でやめたら体が苦しいことから逃れることはできるけれど仕事は片づきません。サッカーの試合で活躍できたのは辛いときにがんばることができたからだとおじさんは思っています。

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2005年5月 8日 (日)

新「森の生活」

ホームページ上で続けてきた「森の生活」を終了してから時間が経った。その後生き方を変えたり、考え方を変えたりしたわけではないから、連載をやめようと思ったときから何も変わっていない。なのにまだまだ書きたいことはたくさんあるような気がする。同工異曲、同じことの繰り返しになることを怖れずに新しい思いを日記風に書きつらねていこうと思う。

世の中の変化に、自分自身の肉体の変化に、そして何よりも心の変化に目を凝らしていこうと思う。

標高1249mの森の中では静かに、そして迅速に、遅い春が始まっている。仕事の内容が一変した私の生活も少しずつ落ち着きはじめている。今もう一度「森の生活」をスタートするいい機会だと思う。

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