音楽

2011年12月11日 (日)

iPhone アプリ

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 iPhone4Sにして、記憶容量が64GBに増えたこと、プロセッサがデュアルコアA5になり速くなったことで、最近購入するアプリが増えている。バンドルされているアプリでものすごく感動するものがないせいでもある。

 最近一番気に入っているのが、KORGのiKaossilator で、これは手のひらシンセサイザーのKaossilatorのアプリ版だ。Macintoshの時代から音楽系のソフトウェアには面白いものがあって、例えばJamsessionという曲に合わせてギターのアドリブを入れるソフトウェアで遊んでいたが、iKaossilatorはもっと楽しいアプリで、本家のKaossilatorよりいいんじゃないかと思う。こんなふうに音楽をiPhoneで楽しめるというのがすごいことだ。

 もう一つはまっているのが、MacにバンドルされているGrageBandのiPhone版である。これもMacより機能は制限されているものの、iPad版と同じで、iPhone上で曲が作れてしまうのだ。YouTubeで作例をいくつも見ることができる。

他のスマートフォンについては何も知らないが、こういうアプリは実に古くからのMacユーザーを喜ばせているはずだ。使いこなすところまでが大変だが、いじっているうちにだんだんわかってくるのがAppleのいいところだ。

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2011年11月29日 (火)

三大テノール世紀の競演

 1990年7月、ローマのカラカラ浴場で行われたコンサート。当時、LD(レーザーディスク)で買って、年中観ていた。年端もいかない子どもたちはつまらなそうだったが、きっと今この映像と音を聴けば記憶の底に残っているのを感じるはず。私はこの時以来、他のテノール歌手の歌を聴くことができなくなった。それくらい強烈な印象を残したコンサートだった。

 レーザーディスクプレーヤーは3台使ったが全部壊れ、新しいのを買いたいのだが今さらという気がして買っていない。LDの資産はとてつもない数になっており、その中には今では買えないセットがたくさんあるので何とかしたいが、どうしも観たいものはDVDで買い直している。

 さて、届いたばかりの中古のDVD、これも「Pavarotti&Friends」同様、こんなにきれいなままで売りに出す人がいるんだと驚くほどきれいな状態だった。定価よりも高くなっているのは「Pavarotti&Friends」同様廃番だから仕方がない。

 2007年にパヴァロッティが亡くなり、三大テノールではなくなってしまった。そういう思いもあってか、久しぶりに懐かしい3人の声を聴いて感動した。このあとワールドカップに合わせて行った三大テノールコンサートは94年のロスはLDで、98年のパリはDVDで持っているが、これらはもうあまり感動もしなかった記憶がある。結局一緒に歌うはずがないと思っていたこの三人が一緒に歌ったローマの記憶が大きいのだ。

 というわけで、まだAmazonで買えるので載せておこう。

 ちなみにこのDVDをiPhone用にエンコードするために、HandBreakを使ったがどうしてもチャプタ12で切れて、13から17までは別のファイルで作らざるを得なかった。これを結合するのはMPEG Streamで行うが、あるサイトに「Save as…」(別の名前で保存)をすればいいと書いてあるが、私の場合映像は結合できたが音が消えた。そこで「Export For MP-4」で再エンコードした。これはものすごく時間がかかり、画像も落ちるがiPhoneで観る限りは困らない。PC上のiTunesで観る場合は2つに分かれたままのファイルをプレイリストに入れるとつながって再生するのでいいが、iPhoneでは一つにした。まあ、これほどまでしてiPhoneで観るか?と言われそうだが、いえいえちゃんと何度も何度も感動しながらみているのである。

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2011年11月26日 (土)

Pavarotti&Friends

 前からずっと欲しくて中々見つけられなかった「Pavarotti&Friends for War Child」(1996年)。灯台下暗しで、Amazonで見つけてすぐに注文し、今、全部見え終えたところ。パヴァロッティが好きなのはもとより、クラプトンもライザ・ミネリもシェリル・クロウもエルトン・ジョンも良かった。でも、本当はこのDVDを探していたのはスーパーギタートリオの「地中海の踊り」が見たかったから探していたのだ。YouTubeで見ている限りはいいのだが、ダウンロードしてiPhoneに入れても画像は粗く、原盤が見たかったのだ。満足。1996年、今から15年も昔のコンサート。パヴァロッティも今はいないない。

 レーザーディスクで持っていて何度も何度も見たカラカラ浴場での「三大テノール世紀の競演」も注文した。これから何度も繰り返し見るのはこっちの方だろう。

 私のiPhoneには「We are the world」のビデオが入っていてよく見るのだがこっちは1985年。マイケルジャクソンをはじめ、今はもう亡きアーティストも多いし、ビデオの中の彼彼女たちは当然なのだがみんな若い。

 音楽に限らず、最近、夫婦してチャップリンだとかオードリー・ヘプバーンだとか古いDVDばかり観ている。浪花節とか北島三郎が好きだった親父を馬鹿にしていた私は、今の若者からバカにされるようなものを見聞きしているんだろうか? 


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2010年8月12日 (木)

音を創造する、音と戯れる

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エレクトリックアコースティックギター(エレアコと略していう人が多いのだが略語が嫌いな私は略さない)を買ったのにずっと生音で弾いていた。先週山に来た職場の若者、あちこちでJAZZのセッションをしているかなりのつわもので、10kg以上もあるアンプと私のギターといい勝負のJAZZギターを持って来た。その重たいアンプに私のギターをつないで彼が弾いた。

自分のギターなのにうっとりしてしまった。そこで彼の推薦もあって、今年2月12日に出たばかりのローランドAC33という小さなアンプを早速注文した。これが小さいくせにふくよかないい音で、生音と混ぜ合わせて弾くという楽しみを知った。彼のAC60というアンプにはない機能があって、それは曲のバッキングを多重録音できる。自分でダビングしていったリズムパートをバックにソロの練習ができる。いい歳をしたおやぢはこの音作りとループする伴奏と戯れて時間の過ぎるのを忘れていく。

ストリートで演奏するわけではないので私には今のところ要らない機能なのだが、このアンプ電池でも駆動する。でかい音を出すためでなく、生音で表現できなかったふくよかさを愉しんでいる。エントリーアンプとしてはイチ押しのアンプである。

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2010年2月 9日 (火)

This is it !

 50歳とは思えない身のこなし。顔だのやせ方だのは「つくりもの」だが、活動量は「ほんもの」だろう。やっぱりこの男はすごい、と認めざるをえない。

 歌も踊りもすばらしい。5年前あれだけ動けただろうかと思い出してみると、あまりの違いに愕然とする。そのMJが、このMJが3日後に亡くなるなんて信じられないというのがこのビデオを観る者に共通する思いだろう。久しぶりに何度も見返すことになるDVDを買った、満足のいく1枚だ。

 胃潰瘍だの腰痛だのと言っている自分がちょっとさびしい。
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2009年7月21日 (火)

3つのチャルダッシュと2つのタイス

 iPhone3GS騒動の付け足しのようになってしまったY乃のコンサートについて書いておこう。今回はこれまでの大泉学園駅前のホールではなく、練馬区役所の裏、練馬公民館の中にあるホールで行われた。Y乃の本当の出番は最後の曲とアンコールピースの1曲目で、設定と充電を終えたiPhone3GSのビデオカメラで保存することがギリギリ間に合った。

 チャルダッシュはこれまで3回聴いた(2回目はCDに録音されたものだったが)。2回目の演奏はかなりピアノに引っぱられて面白くなかった、と感想をY乃に伝えておいた。1回目の音は表のHPの今年の前半のMonologueで聴けるようにしてある。このときの演奏はY乃が一人走りすぎていた。だから今度は表情の付け方にかなり注文を付けた。たぶん、そこそこの聴衆を前に演奏をしたY乃が気にしていたのは私だけだったと思う。素人の私は小さいころから何度も枕元でY乃にこのチャルダッシュを弾かせていい気持ちになっていた幸せ者なのだが、今回Y乃はこれまで私が何度も言っていた「EUGENEのチャルダッシュ」を弾こうとしていた。それは最初の弓がゆっくりと降りていったところで十分に私に通じた。すでに何とか弾けるという域は越えているのだから、あとは自分のチャルダッシュを築いていく時期に達していると親ばかながら思う。その前に私の思うチャルダッシュを弾いてくれた。小さなiPhone3GSをステージに向けながら私はY乃が私のために弾いているということを体中で感じていた。この曲は臭いくらいにこってりと弾くべきだと私は思っていて、そのとおりにY乃は弾き終えた。ありがとう、Y乃! と心で思った。次は君が自分で一番いいと思うチャルダッシュに仕上げて弾いてください、お父さんの存在を気にせずに… (ってムリか…)

 アンコールピースはこれも2003年に高校の学園祭で弾いた「タイスの瞑想曲」。この曲もすでに何百回も練習してきた曲だろう。ムッチリと太ったY乃が弾いた2003年のタイスを私はビデオに撮り、何度も何度も見てきた。これを越えるとしても音程を外さないくらいだろうと思っていたら、これが全く違うタイスだった。オケをバックにしていたこともあるが、6年間という時間はY乃を痩せさせ、音を厚くさせた。ヴァイオリンが違うということもあるのだが、それ以上にタイスへの思いが深まっているのを感じさせる音だった。少しも焦ることなく、たっぷりとこの曲を弾ききったY乃に私の「ブラボー」が届いたろうか。

 親子の戦いはこれからも続くだろう。私は私の中に出来上がった音があり、リズムがあるから、それを彼女はまず乗り越えないとならない。そろそろ次の曲に行きましょうか、Y乃さん! 次の課題曲はバッハのシャコンヌです。よろしくお願いします。

(追記)2曲の音源を表のHPにアップしました。iPhone3GSのビデオカメラで撮った動画のファイルから音源をAACファイルで吸いだし、Macに入っているガレージバンドというソフトで前後切り取りの編集をし、再度iTunesに戻してmp3ファイルにエンコードして載せてあります。せっかくビデオで撮ったのですが、動画を載せる方法がわかりません。YouTube経由は嫌だし…

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2009年5月 9日 (土)

Ovation Custom Legend C869LX

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 もったいぶった書き方をしていてもしょうがない。今回オークションで入手したギターがこれ(正面からの見た感じ)。自分でも何枚か写真を撮ってみたがまだ上手く撮れていない。黒いトップにカメラのライトが反射してしまうのだ。だからこの写真はどこかのネット販売のショップから拾ってきた画像。同じカスタムレジェンドLXだが、C869LXではないだろう。私の買ったC869LXはSuper Shallow Bowlという薄べったいギターで生の音があまり出ないアコースティックギターだから、あんまり買う人は多くない。市場に出回っている数も少ないはず。アンプにつなげば大きな音が出せるエレクトリック・アコースティックだが、ストリートミュージシャンやLiveをやる人ではない、ごく普通の素人が家で音を増幅して弾くことはあまりないだろうから、たいていは生の音もそれなりに出るDeep Bowlを買うにちがいない(といっても最近はめっきり売れなくなっていることは昨日書いた)。

 ごらんのとおり実にキンキラした楽器で、Martin 000ー42と同様、アバロン貝のインレイがふんだんに施されている成金趣味的ギターだ。でも000ー42の時も感じたが、装飾に金をかけている分、使っている木や仕様は一番いいものが厳選されているから音も当然グレードが低いものよりもいい。今日明日は今週末の大仕事のために準備の仕事に出たが、途中で食事に帰ってきて食事もそこそこでこのC869LXを弾いていた。昨日も書いたように普通のアコースティック(ということは通常はMartinかGibsonが基準になっているのだが)寄りの変更がなされ、昔のOvationらしさを失いかけているという話をいろいろと聞くのだが、やっぱりリラコードと呼ばれるグラスファイバー製のギターでは木のギターの音は出ない。「昔のOvation」というのを未体験なので何とも言えないが、これはやっぱりOvationの音だとわかる。届いた楽器の弦を張り替えて弾いてみる。音量は想像よりはあるし、音の伸びもそこそこあるがMartinのふくよかさはない。ペケペケした音というのが1980年のセントラル・パークの時に感じた音だがやはりそちら系の音であり、むしろホッとした。だってこの音に30年間も憧れてきたんだから。
 
 プロが使ったギターとはいえ、使用感はあまりなく、むしろプロはこうやって大事にギターを扱うのかと思うほどの手入れの行き届いた美しいままのギターだ。定価のほぼ1/3、標準小売価格の半分で入手した。さっき、その方から、まだまだ弾き込みの足りないギターだからうんと鳴らしてやってくださいというメールをいただいた。といっても素人は時間がないから大して弾けない。Paul Simonを見ていると70近い歳になると彼ほどのテクニシャンがこの程度、という秤が見えてくる。ということは私はあと10年間弾き続けられるか… たぶん無理だろうな、できたとしてもギリギリだろうな、と思う。新しいモノを追いかけ、昔から欲しかったモノを追いかけ、今あるモノを大事に使う。お財布も生活時間の配分も苦しいところだがそうやって生きてきたし、これからもたぶん程度の差はあれ、同じような生き振りしか出来ないだろう。その中でこのギターといかに幸福な時間を過ごすか。今はとても幸福だ。


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2009年5月 8日 (金)

「LIVE 1969」

 先日出たばかりの Simon & Garfunkel のLive CD。先行予約中は1600円くらいだったのが、発売になってすぐに買いにAmazonへ行くと2000円強になっていた。すぐに聴きたかったがあわてても仕方がない。そのうち安くなるだろうと思っていたら、案の定すぐに安くなったので購入。Live盤では「The Paul Simon Songbook」、「Live From New York City, 1967」、「The Concert In Central Park」、そして、「Old Friends」と出ているが、どれも味があっていい。今回の「LIVE 1969」はいくつかのLiveの寄せ集めらしいが評判は高い。今、日本に来ているのかな。連休中に丸の内線に乗ったら古いアルバムジャケットの写真をたくさん貼り付けた、素人が作ったみたいなセンスのない車内広告を何度も見かけた。「Old Friends」の時からさらに歳を重ねたふたりはどんなステージを見せるのか。正直言ってあまり見たくない、と思った。

 そうか、来日に合わせてLive盤が発売になったのか。合点がいった。昨日頼んだら今日の昼に着いた。でも、よく考えたら安曇野では聴けないのだった。CDプレーヤがないのだ。Macに録り込んで聴きたくても、私のMacにはCDを入れるスロットもない。というわけで、当分お預けだ。どうも間の抜けた話ではあるが、しかし、安く入手できたからよしとしよう。

 そうだ、今夜はオークションで手に入れたギターも大阪から届いた。このギターのメーカーは一時ブームを起こすほど、たくさんのミュージシャンが使っていたが、今ではギター屋の町、お茶の水でもめっきり見かけなくなった。連休のときにFERMATAの病院に行ったついでに楽器店巡りをしたが、1店だけ小さなコーナーに数本置いてあったが、触っていると店員が「○○よりもっといい、安いものがたくさん出てますよ」と言った。大きなお世話をかけられて気分を害してすぐに店を出た。あの若造の店員は間違ってないと私も思う。今さらね、という感じがするのだが、1980年のSimon & Garfunkelのセントラル・パーク・コンサートを視聴した(録画したビデオでだが)私の目と耳に焼き付いたあのギターの特異さはまだ色濃く残っているのだ。今回買ったのはポールが弾いたモデルではなく、数年前に下火になったメーカーがここのギターの音の特異性を思い切り払拭するために手を入れ、余計に売れなくなったきっかけのギターである。ルックスはカッタウェイである点を除くとそっくりであるが、音は普通に近づいたと今回のオークションの出品者であるミュージシャンはメールで書いてきた。オークションの出品者が個人である場合、本人については落札後でないと情報はほとんど得られないのだが、私は夜な夜なネットサーフィンをして、数少ないこのモデルについて書かれた通販サイトでない普通のブログやHPを見て歩いた。そうしたら、見つけちゃったのだ。有名ではないがAmazonでCDも売られており、海外でも演奏をしている人だった。そこでこのギターを売ることにしたと書いていた。すぐにメールをすると「見つかっちゃいましたか」と返事がきた。その後何度かメールのやりとりをして、このギターについていろいろ質問に答えてもらい、実際に海外で演奏をしているときの映像が出ているビデオも見せてもらった。だから、オークションだったけれど心配はしていなかった。
 非常に美しい楽器で、音もきれいだ。ケースは送る前にかなり磨いた様子だが、海外旅行のときに張られたカーゴのシール跡がわずかに残っていた。結婚したばかりの頃の思い出のギターの末裔を今自分のモノにした。早くFERMATAにポールの曲を聴かせてやりたい。そのFERMATAは来週早々に退院して、その足でまた安曇野にやってくる! 

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2009年3月 5日 (木)

『ディヌ・リパッティ』

 『巨匠(マエストロ)たちのラストコンサート』(中川右介・文春新書)はカラヤン派の著者が書いた本だが、カラヤンの音楽はいい、というだけで反カラヤン派の好きな指揮者を認めないという頑なさがないところがいい。カラヤンをいいと感じるところが、「ん?」という感じではあるのだが、そう感じる私の方が頑ななのだろう。けど嫌いなものは嫌いなんだから、あの音を聴くと鳥肌が立つんだから仕方ない。
 
 この本は指揮者に限らず、ピアニスト(グールド、リパッティ)、歌手(カラス)、チェリスト・指揮者(ロストロポーヴィッチ)、さらにはおまけでモーツァルトまでとり上げられていて、暇つぶしに読むにはちょうどいい。大事にとっておく気はしないがもう書き込みがいっぱいだから、売り物にはならない。
 
 さて、この本から得るべき知識はあまりないが、リパッティの章で紹介されていた『ディヌ・リパッティ〜伝説の天才ピアニスト〜夭折の生涯と音楽』(畠山陸雄・ショパン)はすぐに読みたくなって注文してしまった。ブザンソンでのラストコンサートのCDはまさに息苦しくなるほど胸に迫る一枚で、聴いているといつも目頭が熱くなる。そのライナーノートしか読んでいないから、彼の33年の人生を綿密な取材を重ねて書かれたこの伝記はどうしても早く読みたかった。私はAmazonのプライム会員だから、ここ安曇野から昨日の朝注文し、今日の昼休みに職場に届いた。新しい本を入手するとすぐにする中表紙の上に入手した日付と場所を入れる儀式を済ませただけでまだ読んでいないが、今夜は途中まで読んだ『巨匠たち…』を後回しにして読もうと思う。

 ちなみにAmazonのリンクには本の写真が載っていないので自分で撮った写真も載せておこう。

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 ついでに、私が胸を詰まらせて聴くブザンソン音楽祭でのCDも紹介しておこう。ショパン好きにもオススメの一枚だ。ただし、聴いていて辛くなるショパンではある。

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2008年12月27日 (土)

ギターの調整〜ウルフの発生

 弦高を下げる誘惑は楽器好きにはなかなか抗いがたい誘惑で、下げたときに良いな、って思っても、次第にもうちょっと下げるともっと弾きやすくなるかもしれない、と連鎖が始まる。アジャスタブルロッドを少し回すくらいなら大した問題はない(たくさん回して回しきれば終わりになってしまうが)のだけれど、いろいろなHPを見ているとみんな自分でブリッジを削って調整したりしている。

 実はブリッジを削るというのは、1979年製のD-28ではもう経験済みだったから、あまり抵抗感なかった。ブリッジを外して、底の部分を平らに滑らかに削り戻せばいいのだから。失敗しても新しいブリッジに戻すこともできる。ということで、3mmから2.5mmの間を行ったり来たりしている弦高を2mmまで下げてみようと挑戦したのが半月ほど前。2mmまで落として、体感上わずかに弾きやすくなったし、心配していたビビリや、音量の減少も気づかない程度なので、よしよしと思っていた。

 ところがつい最近、ウルフが出ていることを発見した。今回の調整が原因かどうかは、わからないのだが、6弦の9フレットを押さえて2弦の開放弦を鳴らすとうなりというかカサカサというか、とにかく弦が何かに当たっているわけではないのに倍音が共鳴して異音が出ることに気づいた。チェロのときにも、クラシックギターのときもあり、楽器屋さんで通称ウルフと呼ばれる現象だということは知っていた。クラシックギター(ホセラミレス)のときは、アストゥーリアスという曲の中にウルフが出てくる部分があって気づいた。今回の押さえ方は今のレパートリーの中で出てくることはまずないのでそのままにしてあるが、この音響学的に避けられない音の振動が創り出すウルフがちゃんと出てきているのだ。プロに頼めば再調整は可能なのだろうが、もういいや、という感じで、このオオカミと仲良く付き合っていくことにした。まあ、素人が手を出すのなら自己責任でということの症例みたいなものだ。お気をつけて!

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