東京から

2013年12月23日 (月)

久しぶりの東京

久しぶりに東京へ戻っている。連休をのんびり過ごすためではなく、家のリフォームをするための野暮ようのため。荷物を一度動かさなければならなくなり、これまで買い貯めた大量の本の始末。最初は残す本と売り払う本を分けるつもりだったが、大江健三郎の本以外は全部神保町の本屋に取りに来てもらうことにした。岩波が予約出版すると次々と買っていた全集や叢書類が主だが、好きだった著者の本は書き込みだらけのはずだがいちいち確認している時間もなく処分することにした。

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G乃と2回お風呂に入った。久しぶりに10数えて、「おまけのおまけの汽車ぽっぽ、ポーッと鳴ったらハイ出ましょ」を歌った。携帯大好き女子だが・・・ あのぅ、反対ですけどぅ。

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2013年4月 7日 (日)

FERMATA iPhone5ユーザになる!

 引越して1週間。東京に戻って、冬タイヤをオールシーズンに替え、G乃の顔を見て、あわただしい2日間を終えた。東京での一番のニュースはFERMATAがらくらくホンからiPhone5に乗り換えたこと。これでTeamのののは全てiPhoneユーザになった。ということでDoCoMoがいらなくなったので、私もFERMATAも高い解約料を払ってDoCoMo携帯をやめた。iPhone5は私の4Sよりもずっと早くて軽いが、やっぱり縦横のバランスが悪い気がする。それはともかく、当分FERMATAのオモチャができた。

 番号ポータビリティを利用したのでFERMATAの電話番号は変わっていません。逆に私はこれまで使っていたDoCoMoの番号を廃止したので、必要な方にはお伝えします。

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2010年11月13日 (土)

没後6か月

オヤジが突然死んでしまってちょうど半年が経つ。別にその日に合わせたわけではなく、お墓をどうしようというところから始まり、FERMATAの母親の死去を経、その後私の腰の手術があって、退院後とりあえず落ち着いたのが6か月目の明日だった。半年の間、骨になって実家の戸棚の上に鎮座していた骨壷のオヤジを明日、私が一応凝りに凝って作ったお墓に納めに行く。

今夜、オヤジと美味い酒を美しいバカラのグラスに注いで ( ^ ^ )/□■\( ^ ^ ) してきた。

「お前さんの腰は大丈夫なのか」とオヤジが言った。「もうだいぶ良い。年明けにコルセットが外せるよ」と妊婦のような腹をさすりながら私は答えた。「無理はすんなよ」とオヤジが言った。「わかった」他にいうことが見つからなかった。

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2010年6月 6日 (日)

コインケース〜Wildswans Cactus

2004年の冬、フルハルターから「Perikan Toledo」の仕上がりの連絡を待ち続けていたころ、FERMATAの母親はすでに慈生会病院に入院していた。当時職場が慈生会病院の近くだったから帰りがけ、何度も夕方から介護についていたFERMATAを迎えに立ち寄った。

先に病室を出て、駐車スペースの外の路上で煙草を吸いながら、大井町の森山さんに電話を入れたのを覚えている。

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FULLHALTERとWILDSWANSのダブルネームのペンケースを注文するためだった。3か月ほど待ってペンケースが出来上がった。5年の歳月が流れた今もペンケースは細かい傷以外ダメージはなく、新品の美しいコバを輝かせながら、毎日Big Toledoと一緒に持ち歩かれて、万年筆を保護している。

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壊れたヴィトンの小銭入れの代わりに目をつけたのはWILDSWANSの小さな馬蹄形のコインケースCactus。前からずっと欲しかった。普通にネット販売しないので、置いてある店を探すことから始めないとならなかった。フルハルターに問い合わせたらありそうだったが、とりあえず昨日新宿へ出たついでに高島屋に問い合わせるとかCactusはないと言う。伊勢丹メンズ館へ行ってみた。CactusはあったがCrampとのダブルネームで、革はステアハイド。出来上がってから染織をした本家のCactusとは全く違うものだった。ガチガチのコードバンを使った本家より使いやすそうではあったが、どうしてもペンケースの革のイメージがWILDSWANSらしさだと思えたので買わなかった。

いっそ直営ショップに聞いてみようと思い立ち、銀座に電話した。応対してくれたのはK's Factoryの鴻野さん(たぶん次男の方)で、店頭にはないが、火曜日までにアトリエから取り寄せてくれるとのことだった。私は月曜の夜には安曇野へ帰る予定だったので、そのことをお話しすると、月曜の午後5時過ぎには入れて置いてくれると言ってくれた。色はペンケースと同じチョコにしてもらう。たぶんヴィトンの古い小銭入れを使い慣れているから、使いにくいだろう。味が出てくるのにかかる時間と同じくらい馴れにも時間が必要だろう。

時が経ち、2004年の冬にあった慈生会病院もそこで暮らした義母も今は存在しない。通夜の日にもう「存在しない」などと言っているのをFERMATAの兄弟姉妹が聞いたら怒るだろう、と思いつつ物欲にこだわり続ける唯物論者がいる。

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小銭入れ

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30年間使い続けてきたルイヴィトンのキーホルダー付き小銭入れのチャック部分の布地が破れてきた。毎日使い続けてきたので、もうほとんどモノグラムも全体が飴色になり、さすがの頑丈な表皮にもクラックが入っている。このチャック部分は過去に1回交換をしている。

もう現役引退させようかとも思ったが、この小銭入れはFERMATAの父親がフランス旅行中にパリで買ってきてくれたものだから、もう一度修理に出そうと思っている。そして治ってきたら、山の家の鍵類を入れるキーケースにしようと思う。ヴィトンのキーケースの方も何度も修理して使っているが、こちらの方が傷みは激しく、ほとんど使わない山の家の鍵類が束になっているので、これを外して負担を軽減してやろうという計画だ。このキーケースもすでに25年くらい使っている。

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どちらも私の老いと一緒に同じ歩みを重ねてきているので捨てることができない。

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2010年5月18日 (火)

TimeCapsuleと親父

 14日金曜日、腰の診察を安曇野で終えて、午後から東京へ戻った。最近心臓のあたりを痛がって夜眠れない様子だった親父がかつてステントを入れた病院に入院していた。今回はステントを入れた心臓大動脈のカテーテル検査を行い、その前に見つかっていた腹部大動脈瘤の手術をするためだった。iPhoneのヘッドセットを着けて長野道から中央道に向かう私にFERMATAから検査の状況が伝えられてきた。夕方府中国立ICを降りて病院に直行したときは無事検査も終わり、結果は良好で、塩分のほとんどない病院食をまずいといいながら、それでも我慢してよく食べていた。腹部の手術は24日か26日に行う予定も立ち、入院を続けていくことになっていた。

 病院を出て帰宅するとY乃が「今朝8時半ぴったりにインターネットができなくなった」という。iPhoneの電源を入れるとWi-Fi接続が出来なくなっているので原因はTimeCapsuleにあることはすぐにわかった。私のいない間Y乃がレッスン室に使っている私の部屋へ上がってTimeCapsuleを確認すると電源ランプが点いていない。iPhoneで同様の故障について確認すると同じ状況になっている人がたくさんいた。そして、自分で修理した人のサイト2つ見つけ、それにならってTimeCapsuleを開腹すると電解コンデンサが膨らんでいた。
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 15日土曜日、飯田橋の病院に入院中の義母を見舞うついでに秋葉原へ電解コンデンサを2本買いに行った。秋葉原は見違えるような駅になっていたが線路下の古くて小さながらくた屋のような店々は昔のままあった。コンデンサを専門に売っている店で2本の小さなコンデンサを360円で買って飯田橋の病院に戻り、挨拶をして、小平の親父の病院に向かった。田無を越えたあたりで母と一緒にジージのところへ行っていたA乃が「今どこ? 病室から一人で出てきたジージがデイルームでお茶を飲んでいた私たちのところに来たとたん倒れちゃった。とにかく早く来て!」と電話をかけてきた。何が何だかよくわからなかった。親父はすでにCCUに入っていた。脈拍や血圧を示すモニタを見ると微細動の細かい波形が流れていた。終わったな、と思った。取り乱している母に「もうダメだと思う」と伝えると余計に取り乱した。それから小一時間同じ状態を続け、最後には小さな波打ちを続けていた信号が直線に変わった。何が起こったかはわかるのだが、どうしていいかわからなかった。親父本人は何が起こったかわかる瞬間があっただろうか、それもわからない。腹部大動脈瘤が破裂したと思われると主治医から聞いた。
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 とにかく病院にいてもどうしようもないから自宅へ連れて帰ってやらなければとすぐに手配して実家に戻った。全然苦しんだ様子もなく、今にも起きてきそうな様子で寝ている親父に「飲むかい」と話しかけながら、好きだった芋焼酎のお湯割りを飲みつづけた。そのうち朝が明けた。火曜日が友引だというので日、月ですべてを済まさないと全部のスケジュールが2日ずれることになる。それは耐えられなかった。葬儀については親族だけでやることにした。宗教色を抜いた。ミサだのお経だの一切なく、先日義父の葬儀で賛美歌を弾いたY乃にヴァイオリンを弾いてもらい、親父をみんなで見送ることにした(それでも父が生前面倒を見ていた少年剣道の子供たちが今はもう社会人になっている子まで含めたくさんの人が斎場にきてくれたが)。納棺まで時間があったので自宅へ着替えに帰ると、開腹したままで放置してあったTimeCapsuleが気になって、酔いと眠気でぼんやりした頭でコンデンサを交換した。半田ごての焼ける臭いを嗅ぎながら親父のことを忘れた。新しいコンデンサに交換した電源部を再びケースに収め、ビスを戻した。これでTimeCapsuleが生き返らなかったら親父をほおっておいてこんなことをしていた自分が情けなくなると思った。かといってTimeCapsuleが生き返っても親父が生き返るわけもないこともわかっていた。

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 黄色いランプが点灯し、しばらくして緑のランプに変わった。これで親父も許してくれるだろう。

 いわゆる通夜も告別式も滞りなく終わったが実感がない。私の葬儀の計画は十分に時間をかけて練って残しておかないと残った者が困るだろうな、と思った。

 TimeCapsuleに詰め込んだ親父への思いをいつか開けるときがあるのだろうか。TimeMachineに乗って親父に会いに行くことはできるのだろうか。無宗教の唯物論者の足下がちょっとふらついた。

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2010年5月15日 (土)

NB MR&WR967マルチカラー

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ニューバランスのkanpei モデル第2弾967が2足届いていた。最初の3カラーも十分派手だったが、今度のブルーとレッドはFERMATAが「寛平ちゃんの頭の中みたい」と言うように、もうめちゃくちゃな色づかいで、みんなで大笑いした。

靴としての出来はクッション性が今履いている992や993と性格が違う。967の方が前寄りにクッションの高い部分が集中しており、ゆっくり沈んで行く。靴紐通しの位置や数がこれまでのランニングシューズと異なっていて(計算された科学的なものかどうかは走ってみないとわからないが)、履いた時のフィット感は99xが街履きのスニーカーだったことを痛感させる。

靴紐がレッドとブルーでは全然違いこれはデザインのための違いというより、どちらかの在庫処分の問題じゃないかと感じる。ブルーにはレインボーカラー、レッドには濃い紺に派手なラメが入っている。私はラメ入りの方が良かったので、FERMATAの紐と交換した。

レースではコスプレして走る市民ランナーが多くなっているので、これくらいの靴は別に恥ずかしくないと思うが、街履きのスニーカーとして履くには勇気がいるかも。

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TimeCapsule 電源落ちる

昨日の朝、Y乃曰く、8:30ちょうどにWi-Fiがつながらなくなった。帰宅後、二階の私の部屋(私がいないのでY乃がレッスン室にしている)に設置した TimeCapsuleを調べると電源が入っていない。中のデータも大事なのだが、Wi-Fiが使えないのも痛い。

Appleのレヴューを見に行くと同じ状態になっている人がわんさといた。この週末、電源コンデンサを秋葉原で調達してきて、TimeCapsule の開腹手術をしようと思う。久しぶりにハンダごてを持つことになった。ダメ元でやってみるが、結果は後で報告したい。

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2010年4月26日 (月)

カタコンベ

 義父の納骨をしに金曜日の夜東京へ帰った。安曇野と同じくらい寒い雨が降っていた。翌日、納骨の日は季節違いの言葉ながら、小春日和といった感じだった。府中市の住宅街にあるカトリックの墓地。義父はそこの教会ごとの共同墓地に納められた。お金持ちのお墓1個分くらいの土地に1つの教会の共同墓地が作られている。蓋の御影石を外すと暗いカタコンベがあって梯子で降りていくとそこには表面から見たら想像できない位の広さと復活の日のキリストの像があるらしい。曖昧な書き方をするのは兄弟のうち2人が地下に潜って写真を撮ってきたからである。

 一戸建ての豪邸に死んでから住んでも意味のないことで、どれほど金をかけても3代も世代が代われば無縁になる墓だから、訪れる人が途切れることのない共同墓地のほうがいいかもしれない。パリのカタコンベには行かなかった。墓好きでどこへ旅行しても墓地回りばかりして子らの顰蹙を買う私もさすがにカタコンベは行きたくなかった。その代わり、サルトルとボーボワールが並んで眠るモンパルナスには行った。それくらいがちょうどいい。

 このところ、ニュースサイトをよく見るのだが、昨日アラン・シリトーが亡くなった。『長距離走者の孤独』は中学のときに読んだ。私の中にあるアナーキーさは彼の「非体制」的な「怒り」が染み込んでいるのかもしれない。その後も、当時の「怒れる若者たち」(現代中国の「バーリンホゥ(八〇后)」みたいなものか)の作品はいくつも読んだが、ほとんど忘れた。でも今でも私は「怒れるおやぢ」である。「イカれたおやぢ」ではない。かなり頭がイカれてきていることは自覚しているが、本当に「怒っている」のである。

 昔読んだ本を再び読み返すことはかなり少ないのだが(漱石は別である)、この間亡くなった井上ひさしの笑いながら怒っている小説群をもう一度読みたくなった。うちにあると思って今回探したが見つからなかった『吉里吉里人』はたぶん四女のところにあるはずとFERMATAが教えてくれた。そうなってみると別に読まなくてもいいか、と思ってしまう。あの長大な小説は、道州制だの大阪独立宣言だのといったレベルを超えた小説だった。と、それだけ覚えているからそれでいい。トマトと豚を掛け合わせて作ったトマトンとか、吉里吉里人の使うドイツ語「イッヒ オシタオーシンテン メッチェン ウント イッヒ ヌガシタッテン パンティッヒ」とか「大事なところ」は覚えているから。

 井上ひさしの訃報を聞いた前後に天声人語でふれられていた谷川俊太郎の『二十億光年の孤独』は家に帰って、古いアンソロジーをさがすのが待てなくて、Amazonで買った。

 文庫でいいのが約五分の一の価格で出ているがどうしても初刊時の装丁を模したこの愛蔵版が欲しかった。18歳の少年のリリシズムは3倍の年齢になった私が読むといささかゾッとしない部分もあるがそれにしてもこの感性は凡人の私には悔しいくらいにない。もう本なんか買わないと決めていたが、この本は買ってよかった。ちなみに『二十億光年の孤独』は私が生まれる数年前に刊行されたもう還暦を迎える詩集なのだ。

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2009年12月25日 (金)

東京に戻る

久方ぶりに東京に戻る。暖房を使わなくてもこっちは暖かい。仕事を終えてからオンボロジムニーで高速を飛ばしても11時になってしまう。FERMATAの父親が老人ホームから病院に移され、ずいぶん経った。毎回これで最後かなと思いながら見舞いに行っている。

年末は31日まで仕事があるので日曜にはまた安曇野に帰る。FERMATAが一緒だと東京よりも安曇野のほうが暮らし易くなってきた。八ヶ岳の家のほうがもっと落ちつくけれど、出かける時間がない。正月の三が日は山でボンヤリと過ごす予定である。とにかくこの土日は私の実家とFERMATAの両親の見舞いで終わりそうだ。

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