初雪
雨は夜更け過ぎに雪にかわった。ウィンタータイヤを履いて帰ってきてよかった〜
今日は朝からいいお天気で自転車日和。昨日のお昼に宅配便でY乃が送ってくれたデュラエースのペダルが今日の昼過ぎに届いたので、すぐにペダルを交換する。交換したペダルは1996年筑波夏の8耐の時にガリガリ傷ついたままだが(ということはもっと昔のデュラエースなのだ)、機能に全く問題なし。シューズのクリートも少し錆が出ているが問題なし。引き足が使えるのと使えないのとで、登りが全く異なる。

見た目もずいぶんそれらしい自転車になった。重たいという点を除けば、このLUPOという、ビアンキの中でも一番安い部類に入る自転車は乗りやすい。カンチブレーキは微妙な調整をしないとならなそうだが、それも楽しみにすればいい。
さて、本題に入ろう。道祖神巡りをするつもりだったが、安曇野市が出来る前、つまり合併前の穂高町が作った「道祖神めぐり」というガイドブックが売られていることをどこかで見たので駅前の観光案内所まで自転車で行ってみよう、と家をスタートする。両足が地に着く、ママチャリそのまま、という感じのFERMATA、駐車場内を数回回って、外へと出て行った。
安曇野でも山沿いの地域に住んでいるので、とりあえず出かけるのはいつも「鐘の鳴る丘」。

その後、車の多い山麓線から脇道へ入りどんどん平地へ降りていく。全くペダルを回さず、ほうっておいてもどんどんスピードが上がっていく。常念方面から有明山方向に夕日が当たって秋の初めの安曇野に空色の自転車が映える。

でもふと考えた。このまま穂高駅まで行くと帰りはずっと登りしかない。初ポタでこれはちょっと厳しいだろう。今日は、軽く済ませて次の機会に遠出をしようと、ほぼ平地におりたところで、大きく迂回し、家まで一直線の登り道を帰ることにした。途中で、カーブを切ったところでFERMATAのミニベロのチェーンが外れた。チェーンのかけ方くらい今夜指導しておこう。距離的には2Kほどの登りは、さすがにきつく、追い越そうとしたら、「押して歩いてもいい?」と聞いてきた。「ダメ!」と大きな声で先に登っていくが、途中で気になり、クリートの付いたバイクシューズをカチカチ言わせながら急な坂の一番きついところまで行ってみた。見えた、見えた!

偉い、偉い! ちゃんと漕いで登ってきた。

そしてゴール。「歩いた方がぜんぜん楽」と言いながら、いつか見たポーズ。

太ももには来てないという。それより膝とお尻が痛いという。サドルの位置を調整してやる必要があるだろう。でも1時間半の初ポタリング、膝をガクガクさせながら気持ちよさそうに仕上げのビールを飲んでいる。
検査を終えたFERMATAがまたまた新宿からあずさに乗って安曇野にやってきた。今日は一日天気がよかったが、さすがにFERMATAが穂高に着いた夕方はもう夕闇が迫ってきていて山はよく見えなかった。東京では半袖で平気だったようだが、夕方の安曇野はもう寒く、明日の朝も10℃を下回り、6℃くらいになるだろう。
さてFERMATAへの自転車への誘いは何とか成功し、私と同じチェレステカラーのミニベロになら乗ってもいいと言い出すところまできた。量販店でママチャリを買ってもいいのだが、さすがにそれくらいなら自転車に乗るという気が起きないらしく、ママチャリと格好は大して変わらないのだが、私と同じくミーハー路線を行くことにして、ビアンキを買うことにした。2009年モデルで直ぐに納車可能な店を見つけ、今注文をかける手前まできた。
昼間の暖かい時間帯に数え切れないほどの道祖神をめぐって歩く計画だから、冬になっても雪が降らなければ大丈夫だが、自転車には厳しい季節だ(とはいえ、安曇野でのシクロバイクの大会は冬に集中しているらしい)。この週末にお天気で、自転車も届いていれば近隣の道祖神を巡って走ってこようと思っている。
また、更新をサボってしまった。特に何かあったわけではない。変わったことといえば
1 山の洗濯機が壊れて修理したこと
9/12に東京から友人がこの安曇野にやってきたとき、彼の家の洗濯機が壊れたという話をしていて、やっぱりドラム式がいいとか、高いとか話していたら、その翌週山へ行ったら山のドラム式洗濯機が壊れていた。8月半ばに最後に山に行ったときはちゃんと使えていたのに、その日来る職場の若い人たちのためにシーツなどを洗っておこうと洗濯機をスタートしても、ドアが閉まっていない、という警告が出る。いろいろ工夫してみるがやっぱりダメで、修理を依頼。翌週の土曜日にまた山へ行って見てもらうと業者が用意してきた部品が原因ではなく、再度昨日また山へ行き、電源部分をそっくり交換。9月終わりから10月はじめにかけて落雷が何度かあったらしい。とりあえず、部品交換で一件落着。
2 山の家の外壁を塗装しなおしたこと
2002年の夏に建った山の家の外装、特に南側の塗装がまだらになってきて、デッキもかなり色がさめていたので、ずいぶん前から塗装を依頼していたが、昨日行ってみると分解した足場が庭にまだ残っていたが、塗装は終わっていた。もともと透明感のある焦げ茶色の塗料だったので、南側やデッキの色が落ちだしていた部分はまだらのまま残っているが、とりあえずきれいにはなっていた。
3 腰痛対策で自転車を買ったこと
もう手術くらいしか治す方法はないと諦めているヘルニアだが、どうしても痛みを常時感じ始めた原因をさぐるとランニングをやめて運動らしい運動をしなくなってからのことだった。背筋も腹筋も落ちて、足腰が弱っているのを自覚もしていた。基礎運動を家で朝晩すればいいのだが、あまりmotivationが高まらない。いっそ、せっかく自転車乗りにとっての憧れの地にいるのだから、昔みたいなロードバイクではなく、もう少しおとなしい自転車を買ってのんびり時間をかけてポタリングでもしたらどうだろうかと思った。ということで自転車を買った。ここ数日天気が悪く、まだ乗っていない。家の中で、サドルの高さやハンドルの高さの調整を机上の計算に基づいてしていただけ。これから乗りに行く。インプレッションは表のHPの方に載せるつもり。
【追記】午前中、家のまわりを「軽く」試走してきました。インプレッションというより、ここでも近況を書いています。
ちなみにFERMATAの自転車嫌いは、結婚前に自転車の練習をしていたときに、転んで「犬の糞」の上に倒れたことがトラウマになっています。でも、せっかく安曇野にいる間に二人で道祖神めぐりをして歩こうと今説得中です。
4 風邪をひいたこと
先週喉が痛くなり、微熱が出て体の節々が痛んだ。新型インフルエンザだと困るのですぐに医者に行き、検査をしてもらった。幸い、インフルエンザではなく、普通の風邪だった。東京で行きつけの医者がくれていたクスリと違って、飲んでも劇的には治らず、昨日あたりまで咳が出て、喉が痛かったがようやく治まってきた。
とまあ、こんなところ。FERMATAはずっとこちらに来ていて私が風邪をひいていた間も元気だった。FERMATAにも同じメーカーの女性用の自転車を買ってやるというのだが、結婚前まで乗れなかった自転車、今も乗り出すのは怖いという。
前回書き込んだ文章を改めて読むと自分でもよくわけのわかならない日本語を書いている。心にゆとりがなく、とにかくたくさんあった出来事が自分の中でも整理がつかずに慌てて書いたのがよくわかる。
で、今ゆとりができたかというとその後もゆとりはなく、土日と2日間仕事をして、日曜の夜に東京へ出張のために戻ろうと車を飛ばしていると、中央道30K、八王子本線10Kという渋滞表示を高速に乗ったとたんに見て、小淵沢ICで降りて山の家に行った。心にゆとりがなくなっていても山の家に行くとほっとする。気温は13℃。寒いが日曜日早朝から体を動かしたので眠くて、すぐにクスリを飲んでベッドに潜り込んだ。翌朝4時に起きて再び東京への道程を車で飛ばすが、山の空気の中で心の澱は少し取れていた。
1か月以上帰っていなかった東京の家は電線を覆い尽くすほどに伸びた木の枝が、木ごと切り払われ裸になっていた。樫の木やヒバの木など子どものころから愛着のあった木も、私がいないと管理しきれないので、植木屋に根本から伐ってもらっていた。
東京へ着いて一休みしてから東京での仕事に出た。あまり気乗りのしない仕事だったが、今日無事終えて、入院中のFERMATAの両親を見舞い、再び安曇野に戻ってきた。
この間、私はまた、もう買わないと決めていた万年筆を買ってしまった。丸善創業140周年限定バージョンの万年筆「檸檬」を6月の終わりに見たときから、気になっていた2006年にこれも限定バージョンで出ていたパーカーDUOFOLDクロワゾネが定価の半額でオークションに出ているのを見つけ買ってしまった。半額の理由は外箱に傷がついているというだけの中箱も万年筆本体も全くの新品なのに限定品ゆえの特価だった。こういうのを買う人は外箱の傷も嫌なのだろう。さらに言えば、本当の万年筆好きはパーカーにはもう目を向けなくなっている、という事情もあるのではないかと思う。私自身、パーカーのガチガチのペン先は好きじゃなく、なるべく腰の柔らかい万年筆を求めていた。なのに、クロワゾネ(七宝)と呼ばれる黄色い万年筆は格好だけで欲しかった。でもどう考えてもパーカーに7万(相場価格)も出す気はしなかった。それが4万ちょっとで入手できるとなれば買うしかない。だって、あっという間に完売してしまった「檸檬」が39900円もするのだから、それと比べたら、DUOFOLDの方がずっといい。黄色も「檸檬」は安っぽい黄色だった。丸善、という今はない京都河原町の本屋と梶井の小説「檸檬」以外に結びつきは何もない、実はセーラーのプロフィット(これはこれでいい万年筆なのだが)を買う気はなかった。
ということでクロワゾネを買ったのだが、ペン先はM(中字)で、ペリカントレドとかぶるニブサイズだった。つまりは、ガシガシ使うためのペンではなく、書く楽しみを味わうだけのペンだった。ところが出張の際に、これもオークションだったが、DUOFOLDのXF(極細)のペン先がこれも驚くくらい安く売られていた。首軸までの一体型のペン先だったから、着せ替え人形のように黄色いボディとキャップを付け替えると別の万年筆になるのだった。東京にいるうちにゲットしてしまおうと八ヶ岳にいる間に入札し、出張初日に落とした。すぐに振込をして、即日発送を出品者に頼み、昨日のうちに手に入れてしまった。あっという間に2本の万年筆を1本の通常の売値よりもはるかに安くゲットした。ちょっと心の中に遊びができた(下の写真の万年筆についているのが別に買ったXFのペン先、部品用のケースに入っているのが本来DUOFOLDクロワゾネについているMのペン先。ちなみにクロワゾネはMしか出ていないために、細字とか太字とかの選択はできない。そのために、上記のようなことをしたのだ)。

前に更新した書き込みの日付をみて、1か月の時間が過ぎてしまったのを「改めて」知る。この間、何人かの友人から、どうしたの?、というメールをいただいたりした。もう、ブログとかホームページとかに飽きちゃったわけではないし、どうにもそういうことに時間を割くゆとりがなかったわけでもない。仕事の上での心にのしかかる重荷はなくなることはなかったが、むしろ時間的にはのんびりしていた。土日を入れて4日半の夏休みもとったし、昨日今日と選挙以外に外に出ないでごろごろする時間はあった。
心配してくれた人の多くはFERMATAがらみだったのだと思う。だから、FERMATAの今について書かないで先に進めるのはうまくない気がする。家族の夏休みに入院が重ならないようにと予定を組んで、治療のために再入院をしたFERMATAは予定していた治療が出来ないことがわかって1週間で退院した。退院したその足で、また安曇野に来てもいた。今回の治療はタキソールというクスリを使う治療だったのだが、半日休みをとって朝、病院に送っていって私は安曇野へ戻り、FERMATAは検査後から治療に入る予定だった。予定どおり午後に安曇野に着いた私のメールに返事がなく、一緒に付き添っていったY乃も今頃点滴をしているはずだよ、と電話で答えたが、当の本人からメールも電話もなかった。夜、病院の就寝時間近くになって長めのメールが届いた。
私が帰り、その後Y乃が帰り、それからタキソールの点滴が始まって間もなく、アナフィラキシーを起こし、10分しないで点滴は中止されたという。アナフィラキシーなんて聞いたことがなかったので調べると、蜂などに刺されたときに急激に起こるアレルギー反応の強いやつらしいということがわかった。結局、点滴をストップして、すでに入った10分間分のクスリを緩和させる処置をしていて、私に返事を書く暇もなかったらしい。苦しんだのはそう長い時間ではなく、すぐに平常に戻ったらしいが、これで4か月間続ける予定だった治療は取りやめになった。その後の様子を見るために1週間入院は続いたが、退院の日にまた彼女はあずさに乗って安曇野へやってきたのだった。
全然普通で、入院中に飲み出したホルモン剤を飲み続け、先週いったん帰京した。
とそんなことがあって何だか私の方がちょっと浮かない感じだったのだ。この一週間FERMATAがいない一人暮らしを続けていた。疲れが癒される場がなくなってネットは見ているものの書く気が起こらなかった。物欲が頭をもたげ、たぶん全然要らない、でもカッコイイギターケースを買ったりした。今日はいやいや選挙に行った。これまで二十歳のころから一度も当選した人に入れたためしがなく、今回も私の入れた人は落選するだろう。インフルエンザが足下までやってきているので、次にFERMATAが来るときのためにN95仕様のマスクをネットで買った。さて、明日から9月。間もなく、安曇野に来て1年目の日がやってくる。

道祖神めぐりの旅行者が穂高駅前の貸し自転車で坂を登ってくる。男女双体の道祖神が多い。広大な北アルプスの麓の安曇野平野のそこかしこに古びた道祖神がある。必死に自転車をこいで坂を登っていると気づかずに通りすぎていってしまいそうな道祖神がたくさんある。長い時間をかけて雨に洗い落とされて図柄がよくわからなくなった道祖神の質素さと圧倒的な山の風景が似合う。
安曇野に来て何より先に目につく景観の一つがこの山並みと道祖神の対照なのだが、もう一つ、豊科のICを降りてすぐに目につくのが、スイス村のとんがり帽子の建物だ。ああ、観光地に来てしまったなというややこれ見よがしの建物である。ところが、中央道経由で豊科に向かって長野道を走っていれば豊科の直前に目に入ってくるはずのもっと柔らかなとんがり帽子の建物群が左手に見えたはずである。どう見ても何かテーマパークのように見えてしまう、しかし、その反面、観光地風のぎらつきがないその建物が「長野こども病院」である。実に穏やかな色合いで、その建築の意匠は安曇野の数多いとんがり帽子たちとどこか違う。そこで治療に励む子らをまずは建物が優しく包んでいる。

穂高駅から信濃富士と呼ばれるでっかい有明山に向かっていくと右手にこれもまた穏やかな色調のとんがり帽子が見えてくる。安曇野市立穂高西中学校の建物だ。遠目に見てもすごい建築物だが、近づくともっと凄いエントランスがある。中に入ると高橋節郎の壁画のような大きな絵が飾られている。とても普通の安曇野人からは想像できないセンスだ。
さらに山に向かっていき、山麓線という北アルプスに並行して走る道に入ると、通りすがりの人は見過ごしてしまう「鐘の鳴る丘集会所」という、あまりにも面白くない名前をつけられた建物の立つ丘へ入る小さな看板がある。これこそが、松本の女郎宿から穂高温泉宿を経て戦後の児童保護施設、少年院へと変遷を重ね、そして今は集会所と名づけられ、おそらくはあまり人々の目を引かない奥まったところにある、この町のシンボルである「とんがり帽子建築」の元祖だろう。穂高町だったころにここよりもう少し高いところから移築され、町の管理下に入り、今は安曇野市が管理している。最近は荒れ放題で、白いペンキはあちこち剥げ落ちている。

数値的にみたら費用対効果が実に低い建物群が安曇野には多い。都会の建築家が効率的で幾何学的なビル作りをする方向性とは全く逆の発想で、人間を優しく包み込む無駄な形と配置がなされている。しかし、無粋で威圧的な、まるでガンダムみたいな東京都庁のビルよりもずっとセンスがあって、かつ有効性を持っている気がする。音楽が好きで、マレットゴルフが好きで、老人も子どもも大事にされるこの町はおそらく古い時代のいのちを持ち続けている。「伝統を守る」と多くの保守政治家が声高に言うけれど、化石化した因習を後生大事にしていくことが伝統を守ることではなくて、本当の伝統は少しずつ形を変えながら、そのなかで自分の大切にしている「オラたちの生き方」を黙々と続けていくことだ。国を愛することを教育で義務づけても愛せない国を愛せというのは強要で終わる。自分のくらす土地を自分たちと、将来の子孫のために大事にしていくことが土地への愛の出発点であることを忘れた愚かな政治家たちのくそ暑い夏が始まろうとしている。
金曜日の晩、職場の飲み会を松本のビアガーデンでやった。松本城の前の松本神社のお祭りで道路が渋滞していたが予定の時間には着いた。大名通りにある小さなビルの屋上は昼まで降っていた雨も止み、そこそこの人がいる。北アルプスが見えるという謳い文句だが黒い雲に覆われている。半袖だと寒い。
この日初めてわかったのだが、長野のコンビニでATMがあるのはセブンイレブンだけだということ。そのセブンイレブンが見つからず、閑散としたハナ金の松本の町の中を歩いた。結局郵貯銀行のATMを見つけたので、ゆうちょの方を下ろした。神社のお祭りだったせいか、8時過ぎに花火が上がった。
松本駅へ向かう途中、どこにでもある居酒屋で2次会。大糸線の最終に間に合うように切り上げて駅へ向かう。数人で穂高に向かったのだが、途中の駅で仲間の一人がホームに突然飛び降りた。気分が悪くなったのだろう。当然、最終列車は彼を置いて走り出した。穂高駅前の1軒だけ開いている怖いオヤジの居酒屋で3次会をしながら、降りた仲間の携帯に電話した。何度電話しても留守電になる。2便に分かれて、1便は社宅へ戻り、私と若い人2人の3人で仲間の捜索に彼が降りた駅へ向かった。かなり松本寄りの駅で降りたらしい。半分くらい車を走らせたところで、社宅帰宅組から電話が入り、途中下車した人が帰ってきたという連絡。すぐにわれわれもUターンして帰路についた。途中下車した人は私より3歳年上で定年まであと2年。降りた駅は無人駅で、倒れていれば明日の朝まで発見されない。駅前にタクシーはない。幹線道路に出ればタクシーはなくはないだろうが、流しはほとんどない。
どうやって穂高まで帰ってきたかはまだ聞いていない。最後になって大変な暑気払いになった。
そうそう、今日は定時に退社して、近くの温泉に行ってきた。冬の間は週に1回は必ず行っていたのに、最近はめんどくさくて行かなくなっていた。久しぶりで気持ちよかった。温泉に入れる場所はごまんとあるのだが、私が決めているのは2、3カ所。条件は湯が熱いこと。
今日行ったところは湯温計は43度を示していたが、もう少し熱いだろうなという感じ。もともと早風呂で、体を洗う時間も含めて10分くらいで出てきてしまうから、温いと出てから寒いのだ。温いからゆっくり入るということができない。温くても熱くても3分ほどお湯に浸かればそれでもう十分。安曇野は競争が激しいから、八ヶ岳みたいに高くなく(というより八ヶ岳のは本当の温泉じゃないと思う。無理矢理掘って沸かしているのでコストがかかり、それを別荘族や観光客から回収しているのだろう)、300円〜400円。安曇野弁を聞きながら、どうして安曇野原人に禿が少ないのか、などと考えているうちにもう服を着て出てきてしまうのだ。
懲りずに… 明日にはこのブログのカウンターが80000になります。いつものアクセス数を稼げればですが。
今回も商品は出ません。90000番はズルしても自分で取ります。
ちなみにFTPアプリは全然ヒットしませんでした。やっぱり必要ないんでしょうね。ホームページを創る人はたいていホームページ作成ソフトを使い、それでFTPできてしまいますから。
私も古いMacのとき1度だけDreamweaverというソフトを使ったことがありましたが、OS XにしてからまたHTMLに戻りました。出来上がる画面を見ながら作るのが面白くないからです。ホントにアップ出来たんだろうかと思うほど同じ画面を見ているソフトが多いので。その点、Dreamweaverは作ってるなという感じが少し残っていました。でも、高いのでただでできる方法に戻りました。
FTPのこともそうですが、iPhoneには発展性があって、普通の携帯電話にない楽しみがあります。当然PCを持ち歩くことを考えると問題にならないくらい簡便ですし。でも、ホワイト家族がいないので電話は余程じゃないと使いません。出して耳に当ててということもほとんどしません。ヘッドフォンのボタンを押してあるかないかわからないくらいのマイクで話すだけです。知らない人が見たら独り言を言っている変な親父がこっちに向かってくるな、と見えるだろうと思います。
昨日、ここ安曇野と八ヶ岳の電波が非常に悪いとソフトバンクに報告しておきました。まだまだDoCoMoには敵いません。
先週を除いて今月になって3回FERMATAは安曇野にやってきている。ふだん無駄遣いしない人だから、ここに来たいという気持ちを経済的に制限する気もなく、自由に来させてきたし、いちいち交通費がどのくらいかかるのかなんて考えもしなかった。ところが、明日東京へ出張するので指定席をとりに駅に行って、何気なく、とくとく情報なんていうのを見ていたら、あずさの回数券を買う、という方法があったことに気づいた。6枚つづりで穂高・新宿間が30,600円。松本・新宿で27,000円。穂高まで来るあずさは下りは1本/日、上り2本/日だが、穂高までの回数券を買って、松本乗換えをしてきてもずいぶん安いことがわかった。松本乗換えをして来ることの方が多いが、穂高まで直通のあずさで往き来することもあり、そのとき精算するのが面倒だから、穂高・新宿間の回数券を買った。
明日、私とFERMATAが松本乗換えのあずさで東京へ行くのに2枚使い、明後日私がこっちに戻ってくるのに穂高まで直通のあずさに1枚使う。ずいぶん得になる。逆にいうと、これまでもう10回以上往き来しているからずいぶん損をしたことになる。
指定席もこの回数券でとれるし、これからはうんとこれを利用しようと思う。
行かなくちゃ
米を買いに行かなくちゃ
ジャスコへ車で行かなくちゃ
米がない!
なんて歌を歌ってる場合じゃないのだけれど、米がなくなった。一日二食しか食べない一人暮らしなのに米の消費量が非常に多い。おかずはなくても米がないと生きていけない。米で作った水はあるのだけれど、これも意識が遠のくほど飲んでも、最後に米は食う。そういう遺伝子が体の中にある。
米のうまい国に生まれてよかった、他のことでは嫌なことの方が多い国で自国が大嫌いなのだが、こと米に関してはこの国に生まれてよかったと、悔しいけど思う。パン食って腹の足しになる人間の胃袋が信じられない。蕎麦はうまい。ラーメンもうまい。でも半ライス付けないと食事をした気にならない。魚沼産コシヒカリじゃなくてもいい(その方がいいけど)。長野産コシヒカリでもいい。とにかく、米である。何を置いても米である。オシャレなレストランでライスかパンかと聞かれると、決まってるだろと腹を立てるほど米でないとならない。この前の日曜日に安曇野に戻るときFERMATAがいろんなおかずを即席に作ってくれてタッパウェアに入れて持たせてくれた。だから、おかずはたんとある。なのに米がない。これはもう死にそうである。
買いに行けば? 麦の水と米の水を先に飲んじゃって車でジャスコに行けないのである。出前とれば? 出前なんかないのである。ああ、出前があったら、レバニラ&ライスとか、中華丼とか、頼むのだが、この山の中に誰が出前をしてくれるというのだ。コンビニ弁当でガマンすればいいじゃない! コンビニまで4Km以上あるのだ。辿りつくまでに餓死する。
パスタの買い置きがないことに気づいたイタリア人みたいだ。
サイの生肉がないことに気づいたアフリカ人みたいだ(これは問題を醸す発言のため一行削除)。
というわけで、今夜は冷蔵庫の中のモノを腹に詰め込んであとはとっとと寝てしまおう。きっと、ぴかぴかと輝く白い米のみずみずしい炊きたての湯気と香りを夢に見るだろう。いや、必ず見る。
先々週、FERMATA写真館(2)をアップしてから更新が滞っていた。通勤治療が始まって二週目を終えた先週の金曜日、FERMATAが今度はお茶の水から新宿であずさに乗り換えて安曇野へやってきた。土曜日は私が仕事でいないというのに、部屋を片づけないとすぐに散らかすから、と理由をつけてやってきた(確かにたった一週間で部屋の中をものすごい状態にするのが私の特技だから)。
日曜日は仕事を朝のうちにさっさと切り上げて帰宅し、穂高川を上流に向かって山を登り、清流の上に架かる小さな橋を渡りに行った。

橋を渡ってからさらに上流に向かうと激しい水の音が高まった。滝というか水が高低差のある場所を流れ落ちる場所はいくつもあるのだが、ここは明らかに音の質が違った。山道から獣道のような低灌木の間を抜けて川に近づくと人工(と思われる)まっすぐ垂直に落ちる滝があった。獣道を抜けて出た先は滝の真上の平らで静かな岩場でそこから、どのくらいあるのか、高所恐怖症の私はなかなか近づけないくらいの高低差で水が落ちていた。

そんな自然探索を終えて、県道に出、歩いて町の方へ向かった。道祖神を見たり、道ばたのリンゴ畑に実りだした小さなリンゴや花の写真を撮りながら、ときおり、襲ってくる座骨神経痛を前屈運動で散らしたりして歩いて行った。下の写真は大黒様の道祖神だ。

車でないと身動きがとれないような土地で、なぜ歩いたか。健康のために…では決してない。今さら生活習慣病予防のために走ったり歩いたりしようなどという殊勝な気持ちは全くない。十四代を置いている料理屋が私の住まいから4Kほど行ったところにある。一度宴会で行って、幹事からこんな高い酒は一杯だけにしてください、といわれながら飲んだことがあったので、ぜひFERMATAを連れていってやろうと思ったのである。車で行って運転代行で帰るという手もあったのだが、どうせ下りだから、のんびり歩いていって飲んだあとはタクシーを呼んでもらって帰ろうという魂胆だった。
実は時間が早すぎて店が準備中で入れず、月曜日の朝早くのスーパーあずさの切符を買っておこうとさらに3Kほど歩いて大糸線の駅まで行ったが、委託駅でカードが使えず、再びのんびり店の方に戻り、ちょうど「商い中」になった店に入った。その間も、たくさん写真を撮ったり、あたりの風景を見たりして歩いた。GW後におおむね田植えが終わり、稲がFERMATAの今の頭の毛ぐらいに生えてきている。ところが水が引かれず、何も植わっていない畑が点在している。FERMATAは休耕地だろうか、といった。私は、人手がなくて田んぼ仕事ができないのじゃないか、と言った。今日、地元の人と話をしていて聞いてみると、減反政策なのだそうだ。きちんと批判する知識も用意もないのだが、これはおかしい。こういうことが日本中の米作りの農地で行われているのだ。>フェルさん、そういうことだそうですよ。
そしてようやく辿りついた、鄙にも稀な料理を食べさせてくれ、十四代も飲める店について、その昔海の底だった安曇野の、うまい魚を頼み、十四代を注文すると、これが「ない」。十四代を飲むために山から歩いて下りて来たんだよ、と店員さんに言っても仕方ないこと(でも言ったけど)。納得して頼んだのは黒龍の大吟だけ。あとは勧められたお酒。写真もとったのだが別に書いたり、写真を載せたりするほどのお酒じゃなかった。と、私の非常に謙抑的なクレームを聞いた店主が冷蔵庫の前にしゃがみ込んで奥のほうにあった十四代の瓶を出し、斜めにして見ている。「これっぽっちしか残ってないのか」とまた仕舞った。最近耳は遠くなってきているのだけれど、こういうのはちゃんと聞こえる。で、くだんのお姉さんを呼んで、さっきマスターがこれっぽっちか、と言っていた「これっぽっち」でいいから飲みたい、と言った。ホントにこれっぽっちで、ビールグラスに2/3ほど。でも、うまかった。

十四代のお金は取られなかった。一人暮らしだとまず食べない魚ばかりを食べた。めばるの塩焼きもかんぱちのカマもうまかった。安曇野は太古は海の底だった。この土地の原住民族は海人だ。というのがここへ来て9か月かけて研究した結果である。だから、魚がうまいのだ、と思う。
先々週、草刈り中に飛んできた石が当たって傷ついたジムニーのフロントガラスの話を職場の人たちにすると、そのまま走っているとどんどん亀裂が広がってしまう、とか、高速の風圧で割れると脅かされ、今朝地元の修理工場を2軒回ってリペアが出来ないか聞いた。石が当たってえぐれている部分が大きいのでリペアはムリだと2軒ともが言った。仕方なく、交換をすることにして、見積もりを出してもらった。これが、ずいぶん値段が違っていて、説明を受けたがよくわからない部分が多かった。
結局、もう10年以上前の古い車だから安い方でいいやと、部品の取り寄せを依頼して帰ってきた。ここへきてちょっと痛い出費だが、足がないと生きていけず、高速を飛ばして山へ行ったり、東京へ帰ったりもするので仕方ない。それに来年の車検が通らなくなるし、今のままだと整備不良車になってしまう。ただ、傷の付き方からして、職場の人たちが言ったようなどんどん亀裂が広がり蜘蛛の巣のようになってしまうことはない、と言われた。
それにしてもガラスの傷はじっと見ているとペリカンのようで美しい。なんだか、このまま残しておきたい気もするくらいだ。
2日間の出張業務を終えて21時に安曇野に帰ってきた。昨日は朝から全体会議とそれに引き続く懇談会という名の飲み会があってくたくたになって東京の自宅に帰った。今日は個別折衝の時間が午後に割り当てられていたのだが、準備不足と無知のために大した収穫もなく、遅くまで粘ってもどうにもならないとさっさと切り上げて17時00分発のあずさに乗るために会議室を出た。どんよりとした天気も気分を暗くしたが、これから4時間かけて安曇野に戻るのかと思うとそれが苦痛だった。
列車の旅は昔は好きで何時間でも列車の中で平気だったのだが、腰痛のせいもあるが今日の4時間はつらかった。小淵沢で闇の中に裾野だけ見える八ヶ岳の姿を見たのが新宿を出てから2時間経ってからだった。松本で大糸線に乗り換えて穂高に着くまでの30分も長く感じた。ああ、もう出張はしたくないと思った。
結局報告書のための復習をあずさの中でする予定だったがそんな元気もなく、眠れぬ夜に我慢して目を閉じているときのような、ものすごくイヤな時間の過ごし方をしてしまった。
それにしてもFERMATAは病院を退院するといつもこれだけの時間をかけて私のところへやってきていたのだな、と感心する。ビデオチャットをしながら話すと、それだけを楽しみに病院で寝てるんだから、と言った。行動力だけ見ていると私の方がよほど病人みたいだ。
定刻どおり、大糸線直通のあずさ26号が穂高駅に滑りこんできた。蒸気が分厚く空気に膜をつくっているが、残雪の残る北アルプスの峰々は淡く見えている。今日は移動日で、仕事は明日明後日。この出張に合わせてFERMATAも帰宅する。
一緒にあずさに乗るのって初めてだね、と言う。そうだったろうか。結婚前後の山行きはいつもいまはない急行アルプスだった。超満員の深夜のアルプスに新宿から乗ったのだった。私が安曇野暮らしを始めてから、FERMATAは何回あずさで往復しただろう。
来月は定期券を買って土日以外通院するだけだから、毎週末来るなどと言っている。本気であずさの回数券でも買いそうな勢いだが、腰痛持ちの私にはあまり乗り心地が良くない。そうこう書いているうちに上諏訪まで来てしまった。
話は突然変わるが、久しぶりでiPhone 3Gでネット接続している。安曇野では全然使わない。第一、家でも職場でもアンテナが立たず、いつも機内モードに設定し、ありもしない電波探しをさせないようにしてある。おかげでソフトバンクへの支払いは3000円台で済んでいる。嬉しいことじゃないけれど。電話として使えないからということも大いに原因していると思うが、ついてきたヘッドセットが壊れた。安い割りに高音質だと言われているフィリップスのヘッドセットとリモコン、マイクのついたアダプタを買おうと思っている。
あっという間に、八ヶ岳が見なれた形になってきた。まだ家までは遠い。
重たい仕事を一つ終えて出かけていった八ヶ岳の家は心配していたほど荒れてはおらず、穂高より少し遅い新緑が霧の中の家を包んでいた。その辺のことは表のHPに書いておいた。
安曇野に戻ってくると、八ヶ岳の、特に私の家のある森の雑駁な感じの緑とは趣の違う、緑濃い景色がなつかしく思えるほど、たった2日間の八ヶ岳生活にどっぷりとつかってきたという感じがする。20時までに帰宅すると届け出ていたので、山を16時過ぎに出た。帰りに安曇野の家の近くの温泉宿で立ち寄り湯をして、ご飯を食べて帰ろうと計画して、その計画どおりに戻ってきた。FERMATAは頭がくりくりになってから初めて温泉に行った。「私はそういうの全然大丈夫だから」と言う。来月から放射線治療が始まると温泉には入れなくなるそうで、今日連れていってやってよかったと思う。
上手い蕎麦と、近くで採ってきたに違いない山菜の天ぷらと、なぜかこの辺ではモツ煮というと当たり前の馬のモツ煮込みを食べた。先に風呂から出てきた私はFERMATAに運転を任せるつもりで生ビールを飲んだ。肩の重荷を一つ下ろし、ようやく食欲も出てきた。希望したわけではないのだが、こうして北アルプスの麓に暮らし、わずか1時間半ほどの渋滞もないドライブで八ヶ岳に行けるという生活はものすごく恵まれた暮らしかもしれないと思う。いずれまた転勤の待っている身なので、いつまでも続けられる生活ではないから、FERMATAの病気という負の要素はあるものの、出来るかぎり今を楽しく過ごそうと思っている。

春から夏になったり、冬に戻ったり。このところの天候は確かに尋常ではない。新たなインフルエンザが世界中に広がりだしている。S・キングの小説みたいだ。化学療法の4th kur を送っているFERMATAは回を追うごとにきつくなっている様子が250K離れた安曇野の地にいてもわかるほどだ。化学療法を否定する見解に思わず与したくなるような気持ちになる。毒をもって毒を制す… まさに薬という名の毒を大量に体に入れているのだと、端から見ていてわかる。でも、彼女は彼女なりに考えて選択し、今、苦しいのをがまんしている。だから私には触れることの出来ない距離を隔てて「想う」しかないのだ。
5月はいつだって青い空気が流れて、気の重い桜の花が散って若葉が吹き始め、心が清々しくなる月だった。これまでの54回の5月はたぶんたいていそうだった(気がする)。55回目の5月は、まずは仕事で息が抜けぬまま駆け抜けないとならない、無酸素運動のような、来て欲しくない月だと思い続けてきて、とうとうやってきてしまった5月だ。55年前の明日生まれたなんて信じたくないようなストレスの高調しきった状態。連休を仕事で潰されることなんかいいのだ。やればやった成果のあがる仕事ならば。目に見えないゴーストが迫ってくるのを、どこから来るんだ?とやきもきしながら耐える仕事。あまりの量に何からこなせばいいのかわからない仕事。何層にも重なった仕事の波が覆い被さってくるのをただ待つ5月。
生活が苦しくなってもいいから、仕事辞めて、FERMATAと一緒に八ヶ岳で貧しくのんびりと暮らしたいな、と思う。誰よりも喜んでくれて、賛成してくれるのはFERMATAだろうな…

東京を4:30amに出発して、安曇野へ戻る。東京滞在時間は28時間。明けるのが早くなったとはいえ、勝沼を越える当たりまでは車のライトを点灯して走る。予報では東京、山梨は曇り/晴れ。まさにそのとおりで、八ヶ岳に近づくと赤岳が雲の動きで見えたり隠れたりしている。ところが同じ予報で同時刻長野は雨。嘘みたいに富士見を越え、長野県境の標識を越えると雨が降り出した。
8:00過ぎ安曇野に着く頃はときおり日差しが差す天気になったが強風が吹いた。最近ブログをリニューアルした岡山のMさんのところを読むと岡山も強風が吹いているらしい。建て付けのせいか、私の家は鉄筋3階建ての3階にあるのだが、ときおりドンという音がする。全ての部屋のアルミサッシをがっちり閉めているのに、部屋を仕切るフスマがバタバタと風に煽られたときのような音を立てた。
金曜の夜まで一緒にいたFERMATAが帰ってこれからまた1月弱一人暮らしが始まる。GWを挟んで一番仕事が忙しくなりそうな気配が濃密に漂っているから、ひとりの方がFERMATAに気をつかわせたり、自分が気をつかったりすることがなくていいかもしれない。今夜は職場の若い(娘らと同い年くらい)人と一緒に旨いという評判のトンカツ屋に行って夕食を済ませてきた。とうぜん、自分の作るヒレカツが勝っていることを確認してきた! 私は今の息の詰まるような仕事を辞めて、ヒレカツ屋をやったら絶対に流行ると、自分では思っている。しかし反面、もう新しいことを始める気力もないくらい消耗しきっている自分を感じる。
※写真はFERMATAが先週、自宅近くで撮ったボケと思われる花。八ヶ岳の庭のボケは地面を這うようにして生え、色は朱色なのだが。

明日一日、束の間の安曇野暮らしをしているFERMATAがさらに束の間の外出をする。場所は東京。そのまま、家に帰って次の入院まで東京にいたら?と言っても、明日中に安曇野に戻ってくると言い張る。何回言っても言うことを聞かないで、戻ってくると言う。そういうわがままを言って、それが叶うのが免疫力を高める、とどこかで聞きかじった理論をぶつけてくる。
明日の午後からたった1時間弱のY乃の演奏を聴きに中野まで行って、演奏が終わったらまたあずさに乗って帰ってくると言う。Y乃が年に何回かやっている老人ホームでのボランティア演奏会なのである。私だったらそういう疲れる東京出張はイヤなのだが、FERMATAにはそれが息抜きになるのかも知れぬと思って仕方なくのむことにし、往復の指定券を手配した。聞いただけで疲れる、と感じる私の精神のゆとりのなさのほうが問題かも知れないと思いつつ…
「安曇野に春が来た」と表のHPに書いた。月曜日にほぼ咲きそろいだした桜はFERMATAが火曜日の午後に来てからはずっと雨か曇りの日が続いたせいで、今日もまだ満開で、今日が一番の見頃という感じだった。ポカポカ陽気の安曇野一帯は草も花も、そして猿たちも一斉に躍り出たという感じだった。

これはFERMATAが撮った桜で、女性はこういう目先の映像をとらえるのがうまい。次の写真もFERMATAが私のいない間に家の前で撮った写真。私にはこういう視線がない。

こういうのが私の得意な写真。地面に這うようにしてそうっと撮った。

こいつは大胆な雌でカメラを向けても動じない。

遊んでる小猿も可愛い。

ものすごい数の猿たちだからよりどりみどりで撮れる。森の中で撮ったのもたくさんあるがこれくらいにしておこう。

とにかく、人間の心の余裕も考えずに季節は着実に動いている。

中央道から槍(北アルプス槍ヶ岳)の見える地点があると去年から聞いていて、地図を見、実際に中央道を走って、その間、何度も確認したが真相をつかめなかった。ところが…
新年度になって松本駅方面へ挨拶回りをしていたとき、車を運転している地元の人に「もう死ぬまで槍ヶ岳なんて見ることはないだろう」という内容の話をしていたら、「あそこ、常念の左肩の下の方、あれ、見える? あれが槍ですよ」と言われた。中央道からだって見えてますよ、ということ。
まず私がイメージしていた槍ヶ岳は
「常念の後ろに見える」←(当たり!)。
「常念の頂上と並んで見えるくらい高い位置」←(ハズレ)。
「常念の右側に見える」←(ハズレ)
だった。常念の左側かなり下の方に尖った小さな三角形が見え、それが槍なのだそうだ。「そうだ」といういう言い方が半信半疑なのだが、そういわれたらそうかな、という感じでしかない。でも理屈的に考えると確かに遥か後方にある高い山が見えるとしたら手前の山より低く見えるのだろう。
理屈がわかってほっとした反面、なあんだとつまらなくもなった。でも次にFERMATAがこっちに来たら松本近辺から見える槍ヶ岳を見せてやろうと、今の住居から完璧に見える地点までの道筋を頭に入れた。
読めない人が最近は増えたろう。少なくともうちの長女と次女は読めないだろう。もしかしたら現役大学生の三女も危ないかもしれない。
みちぶしん。そのままの意味なら道路工事のことだが、ここ安曇野では道路清掃のことをそう呼ぶ。なかなか味わいのある言葉遣いである。早朝から鋤やスコップやネコ(一輪車)を持った人々、多くは高齢者たちが集まってくる。中房川に架かる大王橋の前後、急な坂道に沿った道路の側溝には冬の間に落ちた枯れ葉や泥が詰まっている。これを鋤やスコップで掻き出してネコで林の中に運んで捨てる。実に地道な作業なのだが私のような軟弱な体と違う鍛え上げられた老人たちはせっせと要領よくゴミをネコに投げ込んでいく。私はヨタヨタとしながらいっぱいになったネコを押して、林へ有機ゴミを捨てに行く。
側溝が埋まったままだと大雨が降れば側溝に水が逃げずに坂道に水があふれ出すから、人々はもう雪も終わりのこの時期に道普請を毎年続けているのだ。それは単なる行事ではなく、ここで生きるために必要な重要な仕事なのだ。
側溝がきれいに片づくと安曇野市推奨ゴミ袋を持って林の中に目を向けながら歩いていく。中房川からそれた清流が道路の下を通って林の中を下っていくその音が清々しい。けれども清流のそこかしこに明らかに人間の残したり投棄したりしたゴミが落ちている。苔のむした岩を伝って下りていくと、家庭ゴミから車載用スピーカ、ホイールカバーなどが捨てられている。それを一個一個拾って袋へ入れて歩いていく。周囲の林は長野県の森林税(一戸あたり500円が課せられている)を使って始まった間伐の最中で、倒された若木がたくさん転がったままだ。これを細かく切って回収されれば林は元気な状態に戻る。森林が荒れ果てると治水のための力を失う。風通しのよくなった林は再び水を吸収し、ちょうど良い間隔で生えているアカマツは元気を取りもどしていく。崖崩れや地滑りを防止して安心して人々が暮らしていくためにどうしても必要な作業なのだ。
他の集落からも集まったゴミはゴミステーションになっている物置にいっぱいになった。缶や瓶やゴム草履やいろんな物が入った袋の中身をきちんと分別してしまい、今年の春の道普請は終わった。高齢者の使うこの辺りの方言が飛び交う中で私もあいさつをして帰ってきた。この老人パワーがなくなったとき、この部落で誰が道普請を続けるのだろうか。
今日の最高齢は、歯がなくて何をしゃべっているのか半分はわからないがこの半年で仲良くなった満多十郎さん。これは姓名ではない。名前の方だけだ。たぶん「またじゅうろう」と読むのだろう。とっても可愛いおじいさんで87になる。お酒が好きで、寄り合いなどではだれも話し相手になってやらないので私がいつもお相手をしている。こういう人が道普請に出てきてくれて、40代以下はほとんど出てこない。これが日本の実情なんだろう。
走るのをやめてから、ランニングシューズに対する要求の方向が変わり、スピード重視の軽い靴から、クッションのいいスニーカーを求めるようになった。去年スティーヴ・ジョブズも履いているからという理由だけで買ったニューバランスの992を履いてからこの靴が好きになった。
底が厚くて履き心地が絶妙なのだ。ランニングを始めたころに勝ったサッカニーのシューズも弾力がある靴だったがニューバランスの992の弾力の付き方はこれとは全然違うのだ。試しに日本製のニューバランスを一足買ってみたがこいつはだめだった。毎日職場でも、町でも922ばっかり履いていた。で、もう一足買っておこうと探し出したら、もう次の製品MR993というのが出ていて、992はなくなってしまった。ほとんど気づかない程度のデザインの変更なので、993を買った。色はジョブズカラーのグレーである。たかがスニーカーとしては非常に高いが改まった出張でもしないかぎりはこれで通そうと思っているから、高級な革靴を買うと思えばまだ安い。安曇野近辺では売ってないから当然ネットで買う。992で試し履きはしてあるから、別に合わせて買う必要はない。頼んで2日目には職場に届いた。想像どおりの履きやすさで満足している。
先日のiPhone OS3の発表にもジョブズは出てこなかったが、次にジョブズが現れるときはきっと新しい993を履いているんじゃないかと思う。黒のハイネックシャツは同じものを300枚持っているという噂だが、靴は991から992へと変わったときに新しいのを履いていたから、今度も新しい993を履いて出てくるだろう。まさか靴まで買い溜めして300足は持っていないだろう。

治療の2ndクールを終えたFERMATAの退院と私の東京出張の最終日が一致したため(本当はFERMATAがお医者さんに頼み込んだせいもある)ふたりで安曇野へ戻ってきた。初夏に近い陽気がここ安曇野でも相対的に気温を低めただけで、やっぱりひと月前にFERMATAが来たときとは全然違う。安曇野の春ももうそこまで来ている。
東京での3日間、ラクダの下着を着ずに過ごしたまま、風呂上がりの今も半袖のTシャツで凍えることがない。すっかり瀬戸内寂聴のようになったFERMATAは青々とした可愛い頭でニコニコしている。月末に3rdクールに入るがそれまでは私の世話が出来る。それが楽しくてしかたがないのだろう。
私の主治医をしてくれているG先生がメールで書いてきてくれた諏訪中央病院鎌田實院長の文庫本を4冊買い込んで、ふたりで読んでいる。「がんばらない」「あきらめない」… へそ曲がりの私はこの本が流行ったころ見向きもしなかったのだが、人間状況が変わるとすっかり彼のとりこになっている。諏訪中央病院で最期を迎えるために八ヶ岳山麓に別荘を買う人もいるという話は、山の家をつくったころに聞いた。私の山の家は八ヶ岳といっても山梨側で、病院のある茅野とは反対側だが、そう遠くない。今の安曇野からもそう遠いという感じがしない。信州と甲斐に関わりを持った私は何だかこの病院が自分の庭先にある病院のように感じる。できれば病院には世話になりたくないけれど、そろそろあちこち壊れ出したり、疲れてきたりする年ごろだから、そういうことも考えておくべきか、とこれらの本を読みながら思う。
でもとりあえず今はひと月を二つに割って、半分ずつの生活をしているFERMATAに、私の身の回りの世話をするという楽しみを与えることに専念しようと思う、

腕時計のカレンダーを進めていなかったので、今日が3月3日であることにしばらく気づかなかった。先週帰った東京は梅が満開だったが、比較的暖かかった2月の安曇野は3月に入ってグンと冷え込み始めた。そして昼過ぎからぱらつきだした雪はあっという間に地表を覆い尽くし、今も降り続けている。
軽い雪を踏みしめながら、家に帰ってきて、今夜こそ早く寝ようと晩酌もせずに、FERMATAが作りおいていってくれた小分けしたおかずをレンジで温めて食べている。もう布団も敷き放しになっているから、適当に本を読んで、眠くなったら布団に潜り込むだけだ。
我が家の三人官女はどうしているのだろうか。こっちが雪だと東京も、と錯覚して、自転車で雪道を走ったら危なかろうなどと思ってみて、梅の咲いていた東京の状態をすっかり忘れている。
土曜日,FERMATAの職場へ行って,デスク回りと教室と更衣室の片づけをして,荷物を引き上げてきた。休みの学校は閑散としており,片付けはスムースに進んだが,とてもわびしい感じがした。当のFERMATAはどう思ったかわからないが。
日付が日曜日に変わってから東京を出た。中一日でとんぼ返りするのはさすがに疲れる。道はもう慣れてしまったし,天候も曇っていたが悪くはなかったので難なく走れたが,淡々と続く安曇野への道はやっぱり遠いなと思う。FERMATAのことも,私自身の仕事のことも考えれば気が重く,ひとりまたあの部屋で暮らすことを考えると安曇野の住居に戻るのがとてつもなくわびしく感じた。
今日は曇りがちだが穏やかな日で,休日だから人もおらず,ぼんやりとすごしている。休みのうちに片付けておくべき仕事は山ほどあるがなかなか手が出ないでいる。『巨匠(マエストロ)のラストコンサート』を開くが,なんだかこっちにも集中できない。明日治療の2ndクールに入るために入院するFERMATAのことを考えると,自分のことのように鳥肌が立ってくる。休みを取りたくても容易に休めない今の立場が心をいよいよ重くする。
こんなことじゃいけないな。来月の終わりに再びFERMATAが安曇野にやってくる日を待ちながら,淡々と仕事を片付けていこう。
夕べ、近くの公民館で「土砂災害危険地域説明会」があった。山麓のこの地域は土砂災害の危険が大きい土地で、周辺の民家も含めてかなりの範囲が警戒地域に該当するという県と市の説明会だった。もともと地形的に土砂災害は起こりやすい土地であることに加え、温暖化の影響で前世紀の終わりの10年間の倍の回数の豪雨があり、危険性はこれからもまだまだ上がるとのことだった。これは、ここ安曇野に限らないことで地球のあちらこちらで現に起こっていることだ。
9時過ぎに説明会を終えて、外へ出ると、曇り空のすきまに星も見えていたのだが、今朝起きると、ズボンの膝下まで潜るほどの雪が積もっていた。どうも午前4時ころから降り出したようで8時過ぎまで降り続いていた。温暖化の影響で「今年は暖かい」、「雪が降らない」と土地の人々が声を揃えて言っていたのにこの雪。単なる山沿いの地域だからという問題ではなく、これも温暖化の表れの一つなのだろう。
日曜日、職場で地域の人々が集まって合唱の一大コンサートが行われる。400席以上の会場を作るのだから、その規模は素人が行うものとしては大きい。そのために出演者、来場者のために、職場敷地内の除雪をしておかないとならず、半日かけて積もった雪をどかして回った。腰の悪い私はちょっと手伝ってはデスクに戻り、しばらく休むと外へ出て、を繰り返していた。
そこへ、FERMATAからメールが入った。治療の1stクールが終わり、こっちが勝手に予定していた退院が1週間伸び、ようやく退院の許可が出た。退院と言うよりは外出許可みたいなものなのだが、「退院!」とタイトルがついたメールを送って寄こしたFERMATAの喜びようは私にも伝わってきた。もっと早くに、つまりこちらが予定していた退院日に退院していたら、この週末はこちらに来て、上に書いた一大イベントを観る(というか会場全員が参加者でもある)のを楽しみにしていた。昼休み、私は何とか彼女をこっちに呼ぶ方法はないものかと考えていた。A乃の彼氏のtちゃんに車で連れてきてもらうというのを考えたが「今日の明日」だから難しい…
退院=帰宅→安曇野、という図式で考えるからダメなんだと気づいて、病院から直接安曇野に来てしまえばいいと、列車を調べてみた。ちゃんと良い時間の特急があった。時刻表を写してメールした。すぐにY乃が指定席を手配した。私は明日午後3時過ぎから仕事関連で出かけなければならないのだが、それに十分間に合う列車だ。FERMATAから全ての手続(主治医への確認、私の実家への連絡等々を含めた退院=安曇野行きの手配)を済ませた旨のメール「行きます!」が届いた。
また、来週は入院なのだが、荷物を病院に預かってもらうわけにもいかず、荷物は今日のうちにY乃が持って帰ってくれた。明日は朝一番にY乃が病院から新宿まで付き添い「特急あずさ」の臨時列車に乗せてくれることになった。
そこで慌てているのが言い出しっぺの私なのだ。この寒い住まいはもう一月以上片づけておらず、退院したばかりの人間が住める状態ではない。何でもないときなら、FERMATAがやってきて半日以上かけて、片付けと掃除してくれるのだが、明日は家に着いたとたんに休めるくらいの状態にしなくちゃならない。片付けとか掃除とかが大嫌いな私が、生まれて初めて喜び勇んで掃除する気になった。といっても今夜は雪掻きで疲れたから一杯やって風呂へ入って寝るが明日は朝一番に掃除を開始することにした。雪掻きと同じくらい疲れそうな重労働だがどちらも目的がハッキリしているから頑張れる。
地元の人たちの話によれば例年になく暖かい(暖かすぎる)冬だという。近くにあるゲレンデはリフトでかなり上の方に上がっていかなければもう滑れない状況だという。11〜12日、まとまった雪が夜の間に降ったが、翌12日の日中は暖かくどんどん雪も解けていった。ふだんよりも早い春の陽気は昨日から本格的になり、夜間相当量の雨が降ったが気温は下がらず、今朝も太陽の日差しが降り注ぐ中、暖かい雨が降り続けた。
朝方、仕事を終えて交替して帰宅しようとすると霧のかかった有明山の中腹やや下あたりから、虹がたちのぼり、山の中腹を越えたあたりでボワンと消えていた。東京へ帰る予定の私はすぐに車に乗り込んで山を下っていった。何度か振り返ると虹はまだ出ており、中国の水墨画にComputerGraphicsを重ねたような美しいと言うよりは奇妙な景色が目に入った。
中央道を上っていくとどんどん気温は上がっていき、帰宅する直前に車載コンピュータの車外温度表示は25℃になっていた。簡単な昼食を家で済ませて、眠たいのを我慢してA乃、Y乃と3人で電車でFERMATAの病院に向かった。しばらくぶりに会ったFERMATAは痩せて見えた。事実数Kg体重は落ちているらしい。それでも近くの店でY乃が作ってもらって持ってきたたサンドイッチを美味しそうに食べていた。
結構冷静に彼女を観察し、彼女の話を聞いてはいたが、即座に反応することが出来ず、ぼんやりとしていた(そう見える)態度を続けていた私の靴下を脱がせ、直前に見舞いに来てくれたFERMATAの妹の施してくれたフットマッサージを私にしてくれるのを痛気持ちよく味わっていた。
虹が持つ文化人類学的な解釈は地域ごとに様々で、縁起を担ぎ出すと大混乱を起こしてしまいそうなのだが、そういう場合は自分に都合良く解釈するのが一番いいに決まっているので、私もそのような心持ちを保つようにした。正直いって、転勤してから仕事の負担も責任も一気に増大した今、ふらふらするくらい疲れているのだが、かといって安曇野の自宅で休みをゴロゴロ過ごした夜の気の重さよりはマシだから頑張って車を飛ばしてきている。明日は早めに言って、きちんと話をして、安曇野に帰っていこうと思っている。
外泊後2日間ほど毎朝目覚まし電話をくれていたのだが、治療が始まって3日目あたりから、メールがやっとになり、ベッド脇の小さなテレビジョンでやる占いの結果を伝えてくることもなくなった。けさもそのことを気にしてか、私を起こすためか、短いメールをFERMATAはくれた。
今日はFERMATAの誕生日。同学年の私たちが同い年になった。すぐに「誕生日おめでとう」のメールを返した。「のんびり治療を楽しむから」と言った本人の治療前の言葉を書いてやった。これまで誕生日に仕事ということは何度かあったが、今回は状況が違うので気の重い一日になりそうだ。山積みの仕事の一つを片づけるごとにメールを送ってやろうと思っている。

写真は元旦にFERMATAが安曇野で撮った初日の出。
晴れた夜空に星がたくさん煌めきだして綺麗だなと思いながら帰宅し、もう夜も遅いし、食事を作る気もなくなったから出かけようと思った。気温はぐんぐんと下がっている。今、−6℃。防寒着を着込んで、車に乗って、さてエンジンをかけようとすると、我が愛するポンコツ、AZUMINO EXPRESSのバッテリが上がっていた。寒さのために小さな、そしてたぶん古いバッテリは放電してしまったのだ。同じようなことはMacBook Airにも起こっていて、前日満タンに充電しておいたのに翌日の夜に開けてみるとバッテリはほとんど残0状態になっていることがある。
Macならすぐに充電し直せばよいのだが、もうすっかり遅くなった(都会ではまだ宵の口だろうけれど)、凍てつく夜にブースタ直結してくださいと頼みに行く人もなく、職場に戻り、当直勤務の人に話をするとすぐに自分の車でやってきて、バッテリをつないでくれた。とりあえず今夜の食事はコンビニエンスストアで弁当を買おうと7Kほど離れた(それでも一番近い)コンビニエンスストアへ行き、エンジンを切らずに車を駐車場において、急いで弁当を買って帰った。明日、日中にでも近くの(数キロ離れているが)修理工場でバッテリを交換して来よう。安曇野に限らず、山奥の寒村(貧しい村という意味ではなく、Coldな村という意味)で暮らすというのはこういうことなんだなと思う。八ヶ岳でこういうことが起こったらもっと悲惨だったろう。我が家の近くの林道でよその車に出逢う機会などまずないのだから。いずれにしても、備えあれば憂いなし。ちょこちょこ修理工場に持ち込んで、コンディションを見てもらおうと思う。
今年一番の冷え込みは今夜から明日の朝にかけて更新されるだろう。明日、室内外温度計のMAXとMINIMUMのデータを見るのが楽しみだ。
昨日降った雪が今朝の気温を下げた。歪んだ大きな月が朝日を浴びて西の空、有明山の脇で光っていた。日中は温度が上がったが、それでもコンクリートの上の雪は解けずに、かといって凍みずにさらさらのままにざくざくと歩くと音を立てた。夜になると、風が吹き始め、温泉に出かけていく途中、買い物をするためにコンビニエントストアの駐車場で車から降りると強い風に煽られた。
45℃の温泉にざっと浸かって帰ってくる途中、車の中はあっという間に体から立つ湯気で窓が曇った。
今、外を見ると昼間雪かきをして綺麗になっていた駐車場に雪が薄く積もっている。車ももう色がわからないくらいに真っ白になっている。こうして雪を日常生活の一部にして最初の冬も半分近くが過ぎたのだろう。それでもまだ慣れずに、心躍らせたり気を重くしたりしている。純白の雪は常緑の木の枝に積もるとそのまま解けずにいつまでもクリスマスケーキのデコレーションのように、あるいはイミテーションのクリスマスツリーのように白と緑のコントラストが綺麗だ。
午後から急に雪雲に覆われて、綿の塊のように降り出す雪は心にも湿った重みを与える。ところが夜に、量的には大したことはないのに、ひたすら舞い続ける雪が世界を徐々に白く変えていく様子は、何とも譬えようのない秘密裏に企てられた陰謀のように人に悟られないようにそっと積もっていく。東京だったら絶対に積もらないはずの細かい雪が着実に辺り一面を白一色にしていく。様々な雪の様態を見ながらまだ感動したり幻滅したりしている旅人の私がここにいる。

安曇野は朝から小雪がぱらついたり、ちょっと強くなったりの状態が続いていて、積もるというほどではない。この連休を含め今週の長期予報を見ると毎日雪が降ることになっていた。金曜の夜に、FERMATAとA乃を乗せてtちゃんが車で来ることになっていたが、金曜日の明け方から結構雪が降っていたので、車で来るのをやめさせ、FERMATAだけが金曜日の午後のあずさに乗って穂高へやってくることになった。雪のせいでダイヤが少し乱れ、FERMATAの乗ったあずさは1本後のあずさの到着時間と変わらぬ時間に松本に着いた。そのおかげで30分近く待つことになっていた大糸線にすぐに乗れ、穂高に着いたのは予定とあまり変わらなかった。
そのころはもう雪もやんでいて、車で来れないこともなかったか、と感じるほどだったが、連休中の雪の予報に変わりはなかったので、A乃とtちゃんの来訪は次回ということにしようと話していた。穂高に着いたFERMATAを家に連れて帰る途中に温泉に入りにいった。翌日、三連休の初日は東京も安曇野も晴れていて高速も空いていたので、FERMATAの帰りのことを考えて、A乃に二人でドライブしてくるように言ってやった。途中で買い物をしてきてもらい、まだ明るいうちに安曇野の家に二人は着いた。その日もその足で温泉に入りに行き、暖まった体でビールを10缶以上空け、酒も1升空けた。
昨日は三九郎にみんなで参加し、煙たい匂いのついた体を洗いにまた温泉に行った。そして、雪の降り出した今朝、なるべく早いうちに帰京した方がいいと私が判断し、みんなで蕎麦を食べに行きがてら温泉に入りにいき、その足で3人は東京へ向かった。FERMATAは今回4回温泉に入っていった。
人気のなくなった家に戻ると石油ファンヒータは燃えているもののどこかうっすら寒く感じる。ああ、三連休も終わってしまったな、という感じ。明日からまた安曇野での日常が始まる。忙しい案件がたまっているのだが、温泉呆けした頭ですぐに対応できるかどうか。

正月休み中に同僚の父上が亡くなられ、その告別式のために東京へ時間休をとって出かけた。昼過ぎからの葬儀に朝のうちに出かける。白馬方面の山々が美しく白く輝いていた。このところ毎朝、粉雪でうっすら白くなっている安曇野も今日は雪はなかった。もう一人の同僚が運転してくれる車に乗って長野道、中央道をひた走る。八王子ICで下りてからが長かった。車についているナビゲーションシステムと、私のiPhoneのGoogleMapの両方を駆使して、式場になった教会へ向かう。東京の道が同じ距離でも安曇野の数倍時間がかかるのは信号の多さのせいだ。とにかく、ちょっと行っては止まり、ちょっと行っては止まりを繰り返して、告別式の1時間前に目的地へ到着した。
ウールの分厚いコートを着ていったがいらなかった。一緒に行った同僚は安曇野生まれの安曇野育ち、そして安曇野暮らしを続けているのだが、春先みたいだ、といっていた。安曇野暮らしが3か月しか経っていない私もそんな感じがした。プロテスタントの教会の質素な葬儀が終わり、帰路につく。諏訪のあたりから夕暮れの北アルプスが見え出す。遠くに見える3つの山の塊とそこから深いキレットを挟んでつづく長い尾根とその先の尖った三角形は穂高連峰から槍の配置にそっくりだ。しかし、諏訪から穂高連峰が見えるのかどうかわからない。たぶん違う山塊なのだろうが、私の記憶にある穂高連峰とそっくりな気がした。どうすると調べることができるのか、ちょっと考えてみよう。
帰社後に仕事をするつもりだったが、今日は車に乗っけてもらっていただけなのに往復7時間近い行程にぐったりして帰宅。着替えてすぐに近くの温泉に行った。中房温泉の熱い源泉に近い状態で入れる、公共の宿のお風呂に入ってくる。44℃のお湯は心地良い。もともと長湯しないから、ぬるい風呂は嫌いで、熱いお湯でさっと茹であげて出るのがいい。この公共の宿は破綻しかけているようで、もうすぐ、官民共同経営になるらしい。古びた温泉宿なのだけれど、こういうところは残しておいてほしい。家の風呂は、「湯張りします」とか「お風呂が沸きました」と言ってくれるが、狭苦しい。八ヶ岳の家の風呂は足が伸ばせるがここは屈葬のような格好で入らないとならない四角いお風呂。だから中々入らないで済ませる癖がついてきたが、今日のような温泉に入ってくるとやみつきになりそうだ。カラスの行水をして400円払うといったら、FERMATAが、もったいない!と言ったが、たかだか400円で一日の憂さを晴らし、縮こまった体をくつろがせることができるのなら安いものだ。
それより家のすぐ近くまで出かけていって、家にFERMATAがいるのに寄って来れずに帰ってきたことのほうがもったいない気がする。
前から知っていたものの、なかなか買うに至らなかった室内と室外の温度を測る温度計を買った。たった1280円の中国製だから精度の方は保証できないが、とりあえず温度とか湿度とか体脂肪率とか体重とか血圧とか…その手のものは絶対値をとろうとは思っていないので、相対的な変化を知りたいためなので、これはこれでいい。こんな安物でもとても便利だし、室内室外の温度が同時に計測できているので、そういうことに興味のある人、興味ある土地に住んでいる人にはとてもいいグッズである。いや、夏の都会を考えると東京だって結構、便利だと思う。
私はアマゾンから買うのを待てずに、近くのホームセンターでかってしまったのだが、アマゾンの方が安い。プライム会員だから送料もいらないし、明日届くのだから、そっちへ頼んだ方が安上がりだった。とりあえず一個買ってみたので、八ヶ岳の家の分はアマゾンで仕入れようと思う。
ちなみに、いま、安曇野は室内17.6℃、室外1.1℃を示している。
AZUMINO EXPRESSこと、前世紀から走り続けている我がジムニーが今日、東京から安曇野に向かう途中で30000Kを越えた。10数年前に作られた車としては異例の低走行距離だが、私が所有してから半年足らずで7000K乗ったことになる。高速で飛ばしていると左側のドアミラーが風圧でだんだんおじぎをしてきて、路面しか写さなくなる、リアのウィンドウォッシャが効かない、などいくつかの点で問題もあるが、今のところ重大な問題は何もない。高速を110Kで平気で走る。ただし、燃費は非常に悪くなる。
まだ、大雪に見舞われたことがないのだが、何度か4駆にして走った。このときもあっという間に燃料計が減っていった。八ヶ岳のオフロードも跳ねながらぐいぐい走っていくのは頼もしい。でも、240Km、3時間あまりのクルージングは疲れる。穂高の町を走っていると、私のジムニーの一世代前のジムニーを本当によく見かける。まだまだどのジムニーも元気。いよいよ冬の本番を迎える季節。どこまでがんばれるか楽しみだ。


午前中はのんびり過ごし、午後から買い物に行った。ホームセンターの駐車場から西に傾いた日を浴びた白馬が真っ白に輝いて見えた。今日はちゃっとカメラを持ってきた。今日も車に積み込めるだけ買い物をした。
帰り道、夕飯までの空腹を保たすために蕎麦屋へ行こうと思ったが、このあたりの蕎麦屋は月曜定休の店が多く、行こうと思っていた店は2軒とも閉まっていた。結局、一度入ったことがある温泉にも入れるドライブイン風の店に入った。ここの蕎麦は有明神社の鳥居脇にある、いつも混雑していて、有名人のサインがたくさん飾ってある「くるまや」という店よりも数倍うまい。というよりは「くるまや」がまずい。信州に来て蕎麦を食べるのなら、今日入った店くらいの蕎麦屋が普通でないと困る。安さで売る「くるまや」には行かないほうがいい。蕎麦はそれなりにいい値段がするものである。
美味しい蕎麦を食べて帰宅したが、お目当ての蕎麦屋に向かう途中(その店は山麓線沿いからかなり入ったところにあり、見つけにくいところにある)、林の中で、猿の群れを見た。カメラを取りだして撮ろうとしていたら後ろから車が来てしまったので写真は撮れなかった。Y乃の小さなカメラでは撮ったがMacBook Airに移せないのでアップできない。とりあえず、私の年内の休日は今日で終わりで、明日明後日と仕事。明後日A乃がやってくる。
昨日目覚めると、前夜の忘年会のお酒が残っていてぼんやり頭が痛かった。23日から25日まで戻っていたばかりの東京へFERMATAとY乃、M乃を迎えに行く予定だったが、なかなか出発できなかった。よし、と朝青龍みたいに顔をバシバシ叩いて安曇野を出たのはもう11時近かった。晴れているのに小雪が舞っている。
東京へ着いたのが2時過ぎ。夜中に東京を出ようかと思ったけれど、このまま休むともう車を運転する気力がなくなりそうだったので、車を代えて荷物を積み込み、トラとPonzとShilasも乗せ、大晦日にバスでやってくるA乃を残して、4時少し前に家を出た。家を出るときに、夏みかんの木を見上げると、去年同様大きな黄色い実がたわわになっていた。

渋滞はなく、夕日の中に浮かぶシルエットの富士を調布からずっと見ながら快調に走った。ところが、車を代えてジムニーのKeyをうちへ置いてきてしまった。そのキーホルダに安曇野の部屋の鍵をつけていたことを思いだしたのはちょうど甲府昭和のあたりまで来たころだった。住居の管理をしている部署に電話を入れてマスターキーがあるかどうかFERMATAに尋ねてもらうと、休み中なので人がおらず、出てきた人に「探してみます」と言われたという。ないわけはないのだが、一応ダメだったときのことを考えて、家に電話してA乃にクロネコ速配便で送ってもらうことにして、私たちはいっぺん八ヶ岳の家に向かった。八ヶ岳の家のすぐ近くまで来たところで、もう一度電話を入れると「予備鍵、用意してあります」とのこと、雪の残るー2℃の八ヶ岳から、再び中央道へ向かう。小淵沢でもう一度中央道に乗り、長野に向かった。8時にホームセンターについて、車に乗るだけの布団と毛布を買って、無事安曇野に到着した。
一人だとだた広く感じた家の中がちょうど良い人口密度になって暖かかった。気分の問題が大きいのだけれど。明後日の午前中にA乃が来て、全員揃う。クリスマス・イヴもクリスマスも全員揃わなかったので、年末年始は家族で過ごせるのがうれしい。信仰するものを持たない私だけれど、有明神社へ初詣に行こうと思っている。
※ただいま、安曇野ライブカメラ日和です(8:00AM現在)
表のホームページに安曇野市のHPのライブカメラにリンクを貼った(左側のフレームの一番下)。今日は天気が良いので、北アルプスが一望できる。自分でも楽しめる。安曇野の平野を挟んで今私がいる旧穂高町のあたりの反対側からとった北アルプスの景色を山好きな人はゆっくり楽しんでください。
夕べ、乗ったタクシーの運転手さんと話していて、最近の温暖化が問題になった。「以前はー20〜30℃は当たり前だった。今年は暖かい。もう降ってもらわないと。スキー場はどこもまだ滑れないですよ」と言っていた。
電気カーペットとカーボンヒーターだけじゃ、この冬越せそうにないと、今日は気の進まないストーブを買いに行くつもりの私は特に寒がりなんだろうか。実は、だんだん、この辺の人が寒さと共存していけて、私がえらく辛い思いをしている理由がわかってきた。考えてみるとなあんだ、という種も仕掛けもない当たり前のことなのだが、寒さ対策が違うのだ。東京で私は手袋をすることなどなかったが、手袋も帽子も、そして防寒着もしっかり着込んでいる。私の格好はもこもこしては見えるのだが、実は防寒の用をなしていない厚着なのだ。生活様式をその地に合わせることから始めないと、その土地で生きて行きにくい。人間関係も同じことだ。
快晴で気温は10℃と暖かく応援には最高の河口湖マラソンだったが、ランナーには暑すぎたかも。河口湖マラソンは昔から出る度にコースが変わるのだが、今回も私がかつて走ったコースとは全く違うコースになっていた。
で、A乃の彼氏であるtちゃん(tは頭文字ではない。単位である)は5時間はおろか、新しいレギュレーションの完走制限時間6時間たっても帰ってこなかった。FERMATAは伴走してやろうと最後の給水所の先まで迎えに行ったが最終ランナーが通りすぎてもいなかった。収容車に乗っているものと思って探したがいない。もしかしたら向こうもこっちを見つけられずに駐車場へ行ったのかもしれないと私だけ駐車場に戻ってみるがそこにもいない。
ゴールが撤去され、物寂しくなった船津のゴールラインの後に彼は30分以上遅れて帰ってきた。「どうもすいません」と申し訳なさそうにいう彼にかける言葉は「よく帰ってきたじゃないか」しかない。いったん、八ヶ岳に戻って温泉に入った。夕焼けの中に富士が遠く輝いていた。90Kg以上あった体重が今日一日で89Kgに減った。もうそれ以上増やすなよ、といいながらぬるい露天風呂の湯につかった。そして山の家に帰ってから、彼が着て走ったTシャツにマジックインキで「KAWAGUCHIKO 42.195K FINISHER 2008.11.30」と書いてやった。
3連休の初日、FERMATAとA乃が安曇野にやってきた。南小谷行きのあずさで穂高まで新宿から直行。前の夜から雪がぱらつき、標高700mから駅まで下ってきた私の車には雪が残っており、西側の山はクリスマスケーキの飾りのように木々が白くなっている。一日、家の片付けをFERMATAはしてくれ、もともと丸いA乃はホットカーペットの上でさらに丸くなって、私は布団の中で丸くなって寝ていた。FERMATAの片付けが終わって温泉にでも連れていってやろうかと思ったが、そのまま八ヶ岳に向かった。八ヶ岳の家のほうも心配だったから。八ヶ岳の家のほうが標高がさらに高いので気温は低かったが、なぜか暖かく感じるのは借家と自分の家の違いだろうか。
ストーヴを焚いてお酒を飲んでゆったりと日曜日を過ごし、連休最後の月曜日(昨日)、いつものように渋滞をさけて、早いうちに山をおりて東京に戻った。東京も結構寒く、午後から雨が強くなった。家の中ではPonzとShilasが丸くなって寝ていた。

A乃がデートで出かけたのでネットで買うのを待ちきれず、ほぼ日手帳をロフトで買ってきてもらう。お任せで頼んだら、ヌメ革の高いやつを買ってきた。まだ何も書いていないが、手帳自体は紙が薄すぎて手帳らしい重みがない。厳選した紙らしいから、万年筆も大丈夫なのかもしれないが、うーん、イメージとはちょっと違った。見ないで買う方が悪いし、たぶん見てもとりあえず買っちゃいそうなのだが。まだ真っ白なヌメ革が色づくまでは、買いたてのVuittonのバッグが恥ずかしいようにとっても恥ずかしい。天日に干したりして熟成を早める人もいるみたいだが、そこまでする必要もないので、のんびり使っていこうと思う。蝶番式のペン差しがペンを入れることを強制しているが、これはいいアイデアではある。
ネットで道路状況を見ながら安曇野への帰宅を図りながら、馬鹿でかい液晶テレビを観ていたが、経費が余りかかっていないことが明らかな、面白くないゲーム風の番組が終わって、ドラマが始まったのでFERMATAが用意してくれた小分けした食糧をジムニーに積み込んで家を出た。調布がちょうど10時。今年の雪は安曇野でもかなり早いらしく、お馬鹿なボルボでは心配でならなかったから、昨日はジムニーをとりに東京へ帰ったようなものだった。ところが、中央道に乗ってまもなく「岡谷・豊科間チェーン機制」の電光掲示。豊科がいったんは松本になり更埴に変わる。チェーン機制というと中央道の車を一台一台止めて道路公団の職員が検査する渋滞を思い浮かべたが、豊科まで何もそういう検問はなかった。雪もそれほどではなかった。それでも、諏訪PAで車から降りてハブをロックし、買ってから初めて4WDのギヤを入れた。燃費が急に悪くなった。それでも安曇野の住居近くは雪が積もっているのではないかとそのまま走った。気温があがってきていたのか、止まっている車は真っ白だったが道はびしょびしょと水が流れているだけで、高速上のほうがもっと雪煙が舞っていた。ということで、4時間以上かかって帰宅した。あともう何時間も寝る時間はないが、余り眠くない。明日からまた重たい仕事が山ほど待っているというのに… 今2:40、室内8℃。手帳を眺めているうちに眠くなるだろう。
先週の土日、雨のぱらつく東京へ職員旅行で行った。主たる目的地は浅草! ま、しゃないか。
よしもとに行って漫才を見て、何年ぶりかのご開帳で混雑する浅草寺を見て、雨の東京湾クルーズ"屋形船”。その後、幹事をねぎらってまた飲んでホテルに帰り、「普通の」マッサージのおばちゃんを呼んでうっとりして、翌日新しい鉄道博物館へ行き、記憶に残っている懐かしい列車や電車を見て、子どものころ、欲しかったHOゲージの電車が走るパノラマを見た。寝台列車「みずほ」か「あずさ」の古い列車か、新しいハイブリッドの「小海」のHOゲージがあったら買おうかなと思ったが売ってなかった。小学校低学年のころ「夢の超特急」と言っていた「こだま」はあったがさほど欲しくなかったから買わなかった。その足で川越の小江戸を歩く。何度も来ているから別に見るべきものはなかったのだが、昔からずっと欲しくて買わずにきた木製のコーヒーミルを買った。えんじゅの木の方にしたが、それが唯一の東京見物土産になった。安曇野一人暮らしじゃ使う気がないので、八ヶ岳の家に持っていって、のんびりした時間にガリガリやってうまいコーヒーを飲もうと思っている。木のあとりえという店で、ずいぶん前からネットでチェック済だったがあんまり東京の家から近いので、つい買いそびれていた。高かったけれど木目が素敵だったので買った。きれいに包装してあるのでミルの写真はお店の写真を見て欲しい。
その前に。これも何度も出かけている喜多院の五百羅漢を塀の外から覗いた。ちょうど目の前に酒をついでいる二人の羅漢さんがいた。
まさに小さな貸し切りバスの中の私たちの情景みたいだった。
一昨日、鹿島槍、白馬に雪が降ったというニュースがあったらしいが、私の住む安曇野から遠望できる常念の峰々にも雪がふったようだ。いつも伝聞調なのは私の行動範囲が狭く、それも朝から晩までデスクワークをしていて外に出る機会がないから、職場の人の話を聞くだけだからだ。近隣の山々が八ヶ岳とは全く違う紅葉の仕方をするのを目の当たりにしてはいるが、山に入って山を見ず、ではないけれど奥の北アルプスはここからでは見ることができないのだ。八ヶ岳の家も遠くの富士や南アルプスは見えるけれども、赤岳などの連峰を見たいと思えば駅近くまで下りないと見ることができないのと同じだろう。
山に雪が降るようになると、安曇野は温度の変化が激しくなる。今日も朝は寒かったがすぐに暖かくなり、気持ちのいい午前中を過ごしたが、午後から急に冷え込みがひどくなり、明日の朝は4℃と予報が出ている。とにかく寒いのは嫌いで(暑いのももっと嫌いなのだが)、先月の終わりからタイツをズボン下にはいている(そのくせ夜寝るときは暑がりで薄い羽毛宇布団一つで、なおかつ足先は布団から飛び出させているのがおかしい)。こうなると、何の冬支度もしないで引っ越してきてしまったので、現地調達しないといけない。というわけで、まずは、暖房機具。先日、昔からの友人から電気カーペットをもらった。これは確かに本格的な冬になったら必需品なのだろうが、もとより冷え性の症状とは逆の膝から上が寒いくせに、足先はいつも火照っている私はいまのところよほどのことがないとつかっていない(でもきっと使うからね。>しいのん)。
ところが換気の悪い鉄筋住宅ではすぐに結露して家の中がジメジメすると聞いていたので、なるべく環境によいと言われている電気暖房器具を選んだ。それが、前から何度も書いているオーガニック・カーボンヒーターというやつだ。これは電気ストーブの電熱線をカーボンで作った(?)パイプに熱を通して反射板を加えて熱を空気中に伝導させる器具だ。いつものとおり、Amazonで買ってすぐに届いた。
さてこれが暖かいか、というと暖かい。たぶん、部屋を全部閉め切って使ったらもう少し部屋の空気も暖かくなるに違いのだが、今置いている部屋は、14畳分の板の間で、かつ、その空間につながる和室の襖を全部開けているから守備範囲は30畳近くになるので家の中の空気はあたたまらない。でもこれは使い方が悪いだけで、スイッチを入れるとすぐさま暖かい遠赤外線が伝わってくるから、ハズレではないだろう。要は使うべき用途と使い方をきちんとすればそれなりの暖房器具にはなるはずだ。おかげで家の中は結露も最小限で済んでいる。熱の感じは、点けたばかりの薪ストーヴの前にいるようだ。悔しいのは1週間前に7000円で買ったのに、今リンクを作りにAmazonへ行くとさらに一割安くなっている。売れてないのかも。結構いいと思うんだけれど。消費電力が非常に少ないという触れ込みだが、まだ電気代の請求が来てないのでわからない。これと先の電気カーペットだけで安曇野の冬を越せるかどうかも、わからない。
さて、冬を越すということとは直接関係はないのだが、部屋から出ない傾向がさらに強まりそうな私にとって必需品のもう一つが今日届いた(これもAmazonで昨日の昼に申し込んで、今日の昼間に届いた)。オーディオアンプである。テレビが嫌いなのはここにいても変わらず、この家にもテレビはない。ところが音楽は聴きたい。この一ヶ月余り、iPhoneとMacBook Airの音だけで過ごしてきたが、どうしてもステレオの音が聴きたい。特に冬をこの部屋で過ごすなら音楽なしにいられるわけがない。もう、第九の季節が近づいている。というわけで、悩んでいたアンプを買った。スピーカは結婚した頃に買ったティアックの小さなものだが当時の「ステレオ」誌で、安物の中で一番評価が高かったもの。東京のステレオで使って、八ヶ岳に持っていって4スピーカの+2として使っていたもの。これを今度買ったアンプにつないで、アンプとAirMac ExpressをつなぐとMacBook AirからiTunesを使って音を飛ばせる。CDは一枚もいらない。そういう使い方をするアンプだから高級品はいらなかった。最後までマランツの一番安いやつとどっちにしようか悩んだ。マランツも価格コムの最安値よりAmazonの方が安かった。で、いつもはブランドとか格好で選ぶ私がONKYOのUSBアンプを買った。USBでは使わないのは前に書いたとおり。本当はリサイクルショップか何かで誰かが捨てたアンプを買おうかと思ったが、アンプのボリュームの故障は古くなると必至みたいだから、新しいのを買った。これがいい音かどうか、まだ、部屋の中のスピーカの設置に悩んでいる最中だから正確に書けない。悪くはない。低音も高音の響きもいいが抜けが今ひとつ。でも、音源がiTunesのファイルだからそのせいもあるのかも知れない。問題は鉄筋住宅の下の部屋に響きそうな気がすることだけ。
ちなみに、ロック系はよい(スピーカの性能も小さい割によいこともある)。クラシックは少し弱い。高音が今ひとつこもる感じ。それでもこの値段のアンプなら許せる気がする。リモコンも単純きわまりなく、非常に便利である。Amazonのクチコミに誰かが書いていたが、パソコン用のアンプとして使うのではもったいないという感じは私もしている。
曇りが多い、とぼやいたせいか、今日は雲一つない快晴が3時頃まで続いた。そこから雲が出始めるのはやっぱり山の天気、というやつだろう。昼間は暖かかったが、夜になってゾクゾクしてきた。実は昼間も、15℃前後で全然暖かくなんかないんだけれど、このところの気温をならしてみると、平均的には暖かかったといえるだろう。
安曇野での暖房をどうするか考えている。実は、ここ20年以上、石油ストーブとか石油ファンヒーターとか使ったことがない。東京の家ではエアコンのみ、山の家では薪ストーヴのみ。さて、安曇野ではどうするか考えたが、石油をポリタンクに入れてもらって3階まで運ぶのがいやだ。それにあの匂いがいやだ。となると電気に頼らざるをえない。集合住宅でまさか薪ストーヴは設置不可能だろう。薪ならいっぱい落ちていそうなのだが。
でも夏、まず使うことがないエアコンを設置に高い金をかけてつける気もしない。どうせ、長くて2,3年でまた転勤になる。なんか安くて安全で電気をあまり食わなくて、とここまで条件をつけると、暖かさは二の次にしてというしかなくなるが、そういう暖房器具はないかと探した。オーガニック・カーボンヒーターというのが目についた。どうもこういうのに弱い。実際、その効果を試したことはないので、この厳冬期には氷点下になる土地で使い道があるのかどうかわからないが、とりあえずものすごく安いので注文した。最近はもっぱらAmazon。ヤマダは15Kmくらい行くとあるからそこへ行けばすぐに持って帰れるが、Amazonも2日も待てば届くから、ついAmazonでばかり買い物をしている。というわけでオーガニック・カーボンヒーターのインプレッションは来週あたり書けるだろう。
何という気なのか名前は知らないのだけれど、毎朝、色が鮮やかになっていく。安曇野の今朝は有明山が大きな台形でデンと居座った形で見えていたが、あっという間に雲に頭を隠してしまった。前の土日は八ヶ岳の方へ行っていたのでわからないのだが、私が安曇野暮らしを初めて一ヶ月。とうとう一度も雲一つない快晴に出逢っていない。常念を見たのは2,3度でしかない。雪にはまだ少し時間があるようで、手前の山並みの後ろに蒼い山脈が連なってみえるのを心待ちにしている。
私の家にはまだ暖房器具がないので、布団に潜り込んでiPhoneのビデオを見ているか、新しく買った万年筆画の本を画集を見るようにして見ているかしかすることがない。おそらく気づけばもう冬がすっぽりと私の一人暮らしを包み込むのだろう。それが待ち遠しい気と鬱陶しい気とが半々。来週、再来週も東京へは帰れない。八ヶ岳の家にも行く暇、というか、体力がもうないだろう。…と、微妙な心境であっという間に冬支度を始めなければならない日が近づいてくる。
テレビもなく、インターネットをしていてもニュースは見ず、職場に置かれている新聞も読まないから、世の中の出来事を何も知らずに過ごしている。テレビは嫌いだったが、東京にいるときはNHKの定時ニュースは見ていた。それが今はなくなり、さっぱりした!とさえ感じていた。
AmazonからのダイレクトEメールが来て、DVDの広告が出ていた。2点買うと30%offというのに惹かれて、結婚する前かした頃かに観た「明日に向かって撃て」(2枚組特別版)を買った。その話をFERMATAと電話でしているとポール・ニューマンも死んじゃったしね、と言うので驚いた。もう1組は「真夜中のカーボーイ」(2枚組特別版)で、これも私の好きな映画だった。でも、ポール・ニューマンの話を聞くと、「ハスラー」にすればよかったか、と思った。いずれ、「スティング」も買うだろうから、そのとき一緒に買おうと思う。
今、日本では「おくりびと」というのが流行っているらしいが、どうも予告編を観る限りはあまり観たくない映画だ。私は葬式も葬儀屋も大嫌いだ。伊丹十三のおちょくりが私の気持ちと似ている。死んだ者より生きている者のほうが大切だ。死は無であり、生きている者は死に直面しても生きていかなければならない。なのに、私は墓が好きだ。世界中どこへ行っても著名人の墓へ行く。私が見ているのは墓ではなく、ましてやその下に眠る故人でもない。私が墓前で見ているのは、生きていたときの彼または彼女が書いた作品であり、音楽であり、絵である。それは今もそして将来も厳然として私たちの前にある有だ。それをなぜか墓の前で鑑賞するのが好きなのだ。当然、私の心に焼き付いた作品を心の中で鑑賞するのだが。
死んだといえば緒方拳も死んだとFERMATAから聞いた。公式ホームページを見ると、9月30日までのブログが書かれ、毎日のように食事のメニューが並んでいる。それは、彼の映像作品と変わらない、もしかしたらそれ以上の「生」を証す写真たちだ。
安曇野生活を始めて5日間たったが、実質的に仕事をしたのは木、金の2日間だけ。金曜日の晩に東京に舞い戻って、今日未明にまた安曇野にFERMATAと二人でジムニーを駆ってやってきた。一方、水戸から遠路M乃が常磐線、山手線、高速バス、大糸線と乗り継いでやってきた。明日、私は仕事だけれど、FERMATAは休暇をとっており、M乃は夏休みが続いている。明後日は秋分の日で一日こっちで過ごして夜二人は「あずさ」で帰京する。
今日の安曇野は小雨が降り、近くの山々の稜線が見えているのに里山のあたりには雲がかかっていた。上に掲げた写真は今日ではなくて、先週の水曜日、八ヶ岳経由で赴任してきた日の夕方で、天気がよく、信濃富士と呼ばれる有明山が一日見えていた。
たった3日間の生活、それも家財と言えるような物が何もない私の住居は散らかり放題で、FERMATAが片付けをしてくれた。私は…、留守の間に届いていた光通信用の端末とAirMacを接続し、インターネット環境を作る仕事に追われていた! M乃は乗ったバスが雨による速度規制と松本ICを出た後の渋滞で遅れ、予定していた大糸線には乗れずに、次の列車を待つ間、松本城を見てきたという。その間にこちらの光ネットは無事開通し、駅から「着いたよ」と連絡をもらってから、FERMATAと二人で駅まで迎えに出た。
私の住むリゾート地にはニホンザルが出ると前から聞いていたのだが、迎えに出る途中、道ばたでタクシーを待っている酔っぱらいのような真っ赤な顔をした猿に遭遇した。ホントに昼間から酒を飲んだような顔をした、上野Zooにいる猿と同じのが、別荘やホテルの建ち並ぶ赤松林から出てきて道路であたりを見回していたのだ。カメラを持っていなかったので写真は撮れなかった。
夜、東京の自宅に帰っていた残る二人の「の」「の」とビデオチャットでしゃべった。向こうはトラやPonzをMacBook内蔵カメラの前に連れてきて挨拶をさせ、こちらは、がらんとした家の中をMacBook Airを持って内蔵カメラで写しながら見せて歩いた。これはいいですね。MacではiChatというソフトを開いてメンバーに指定してある相手を呼び出し、東京のほうもiChatを開くと即座に映像入りのおしゃべりが始まる。これは実におもしろくて、便利で、お金がかからない。車で4時間以上の距離を瞬間的につないで、まさにそこにいるように顔を見てしゃべることができる時代になった。
今日は16〜18℃と寒い一日で、道路沿いに何気なく植えてあるリンゴは赤みを増してきている。少しずつ紅葉も始まっていて、常緑樹の赤松の森に黄色や赤色の木々が見られるようになってきている。仕事はまだよくわからない状態で、右往左往することが多いのだが、今週末は、まだ、毎日のルーティンも覚えていないのにさっそく大仕事がある。気が重いというほどではないが、何が起こるか計算がつかないのでちょっとビビっている。というのがこの週末の出来事だった。
明日は、FERMATAとM乃は近くの立ち寄り湯のできる温泉に行ってくるといい、と言ってあるのだが、FERMATAは彼女なりに私のこれからの生活環境の調整する予定があるらしい。私はとにかく夕飯に悩む必要がないのがいい。といっても一人だとまともな夕食を摂取していく気は起こらず、白い飯に手のかからない、インスタントもののおかずを食いつないで、当分生きていくつもりなので、ありがたい。
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