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2011年11月20日 (日)

山で Steve を読む

 2か月ぶりで山の家へ行った。このところ、休みがなく、身動きが取れない状態だった。金曜日の晩、車にギターとMacBook Airと届いたばかりの雑誌を積んで山へ向かった。たったの1時間半しかかからない距離なのに… 前回はまだ濃い緑が作る日陰が心地よかったのに、今回は管理会社が水抜きをしてくれていて、着いてすぐに通水作業から始めなければならなかった。熱い湯をはったバスタブに浸かって、ホッとする。プレミアムモルツが沁みる。

 それでも思ったより寒くなく、ストーブを焚くとすぐに家の中は温かくなった。土曜日は一日雨。窓から外を眺めると落葉樹ばかりの林は向こうが透けて見える。今年6月に再刊された「WIRED」のVol.2、Steve Jobsの追悼号を読む。知っている内容ばかりだが、書き手の思いはそれぞれで興味深くよめるところが多かった。布団の中ではiPhoneで買った電子書籍版「Mac People」の、これもSteve Jobs追悼号。こちらは知っていることの再確認といった感じだったが、初めての有料の電子書籍の体験をする。テキストを表示させる青空文庫などと違って、雑誌をPDFにしたものだから、iPhoneだとさすがに読みにくい。iPhone4SのRetinaディスプレイは3GSから乗り替えたばかりだから、くっきりと鮮やかで小さな文字もちゃんと文字が見えるが、さすがにそのままでは読み切れず、拡大して、画面を動かさないとならないのが面倒だ。ちなみに私が購入した理想書店のMac用ブラウザはまだLionに対応しておらず、MacBook Airで読むことはできなかった。

 それにしてもSteve JobsのいないAppleに不安を感じるのは私だけだろうか。改めてAppleとのつきあいを調べて見ると、1993年のMacintosh Color Classic以来だから20年前のことだった。でも当時、JobsはAppleから追放された後だった。屋根裏に上がって、本棚から、分厚い彼のアルバム集のような本をとりだして眺めていた。ぽっかりと空いた穴はますます拡がっていくばかりだった。彼のkeynoteも全部落としてあるので飛ばし飛ばし見た。もうこのプレゼンテーションも見ることができないのだ。「私が目指すのはボールの向かう先であって、それがあった場所ではない」 どっちにボールが飛ぶべきか、今までは彼が決めてくれた。そこに引きずり込まれていれば私たちは幸福になれた。Apple教徒と呼ぶWindows派がいるがその言葉を素直に受けようと思う。Windows派だって、Appleよりは少し遅れてだが、コピーされた幸福に浸れていたのだが、これからさき新しい物語を書いてくれる人をApple教徒ばかりでなく、すべての人が失ったのだ。そのことをアンチApple教徒は認めないだろうが。

Jobs_iphone4


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