東京は暖かかった
正月休み中に同僚の父上が亡くなられ、その告別式のために東京へ時間休をとって出かけた。昼過ぎからの葬儀に朝のうちに出かける。白馬方面の山々が美しく白く輝いていた。このところ毎朝、粉雪でうっすら白くなっている安曇野も今日は雪はなかった。もう一人の同僚が運転してくれる車に乗って長野道、中央道をひた走る。八王子ICで下りてからが長かった。車についているナビゲーションシステムと、私のiPhoneのGoogleMapの両方を駆使して、式場になった教会へ向かう。東京の道が同じ距離でも安曇野の数倍時間がかかるのは信号の多さのせいだ。とにかく、ちょっと行っては止まり、ちょっと行っては止まりを繰り返して、告別式の1時間前に目的地へ到着した。
ウールの分厚いコートを着ていったがいらなかった。一緒に行った同僚は安曇野生まれの安曇野育ち、そして安曇野暮らしを続けているのだが、春先みたいだ、といっていた。安曇野暮らしが3か月しか経っていない私もそんな感じがした。プロテスタントの教会の質素な葬儀が終わり、帰路につく。諏訪のあたりから夕暮れの北アルプスが見え出す。遠くに見える3つの山の塊とそこから深いキレットを挟んでつづく長い尾根とその先の尖った三角形は穂高連峰から槍の配置にそっくりだ。しかし、諏訪から穂高連峰が見えるのかどうかわからない。たぶん違う山塊なのだろうが、私の記憶にある穂高連峰とそっくりな気がした。どうすると調べることができるのか、ちょっと考えてみよう。
帰社後に仕事をするつもりだったが、今日は車に乗っけてもらっていただけなのに往復7時間近い行程にぐったりして帰宅。着替えてすぐに近くの温泉に行った。中房温泉の熱い源泉に近い状態で入れる、公共の宿のお風呂に入ってくる。44℃のお湯は心地良い。もともと長湯しないから、ぬるい風呂は嫌いで、熱いお湯でさっと茹であげて出るのがいい。この公共の宿は破綻しかけているようで、もうすぐ、官民共同経営になるらしい。古びた温泉宿なのだけれど、こういうところは残しておいてほしい。家の風呂は、「湯張りします」とか「お風呂が沸きました」と言ってくれるが、狭苦しい。八ヶ岳の家の風呂は足が伸ばせるがここは屈葬のような格好で入らないとならない四角いお風呂。だから中々入らないで済ませる癖がついてきたが、今日のような温泉に入ってくるとやみつきになりそうだ。カラスの行水をして400円払うといったら、FERMATAが、もったいない!と言ったが、たかだか400円で一日の憂さを晴らし、縮こまった体をくつろがせることができるのなら安いものだ。
それより家のすぐ近くまで出かけていって、家にFERMATAがいるのに寄って来れずに帰ってきたことのほうがもったいない気がする。
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コメント
地図を見てすぐに穂高連峰から槍なんかが見えるわけがないことがわかった。私が見えたような気がした場所からは奥穂が仮に見えたとしても北穂、大キレット、槍と縦に続くから蝶あたりから見るような横に並んだ山並みが見えるわけはないのだった。
ちなみに上信越道からは槍が見えるらしい。いずれにしても完全に雪で覆われたあの山並みは何だったんだろう。
投稿: EUGENE | 2009年1月 8日 (木) 12:29