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2007年8月23日 (木)

作庭術を学ぶ〜八ヶ岳倶楽部から

作庭術を学ぶ〜八ヶ岳倶楽部から

 観光客でにぎわう柳生博の「八ヶ岳倶楽部」で食事をし、彼がいくつもの本で自慢している原生林に連なる店の下の庭を見てきた。自力のガーデニングだったり、造園屋の手によるガーデニングだったり、見る気がなくても目に入ってきてしまう庭がいたるところにあって、それはそれできれいだと思うものもなくはないのだが、心のどこかに「作りもの」への反発があり、加えて庭の手入れという作業自体がめんどくさくてたまらない性分のため、草茫々でどうにもならなくなるまで放置するのがいつものことだった。ところが八ヶ岳倶楽部の裏庭は私が勝手に思い込んでいたガーデニングとは別物だった。土地の傾斜に合わせた枕木の遊歩道はちょっとだけあざといけれど、しかし嫌みさはない。それよりいちばん感心したのは木々の間の小さな草木の自然な、しかしかなり手の込んだ手入れのあとだ。木々も草木もこの林の中で生まれ育ったもので、色とりどりの花が咲いたりはしていない。ホームセンターに売られている外来種の木や花は一つもなく、どれも私のうちにも生えている雑草ばかりだった。気をつけて見ないと見過ごしてしまう白や薄紫の小さな小さな花がわずかにあるばかりなのだ。私のうちの庭先と違うのは熊笹や萩といった比較的勢力の勝った草木と一緒くたに放置されているのではなく、力の強い熊笹などは丁寧に生えるべき場所が選別され、いずれもが穏やかに自己主張しながら共存しているのだ。それはガーデニングなどという舶来の名が似合わない「作庭」だ。
 ふと林達夫の作庭術に関するエッセイを思い出す。八ヶ岳倶楽部で食事をした日の朝早くに、この店の前を通ると、デニムの作業服姿の小柄な、一九分けの白髪をした柳生さんが農機具の前にいた。あのように自然に方向性を与える作業をしながら時間をかけてあの庭は育っているのだろう。

 私たちが赤い境界を示す棒で区切られた小さな土地の下草刈りを始めたのはいうまでもない。

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コメント

初めまして、トラックバックの許可ありがとうございます。
イマイチ使い方を把握していなくて、お礼が遅くなってしまいました。^^;

週末は都会の喧騒を離れ、時間を感じながら過ごしているEUGINEさんが羨ましいです。そして庭造りは生きた芸術ですよね。
私たちのログハウスは11月下旬に完成予定なので庭造りは来年になりますが、チェルトの森という山林なので木がいっぱいあります。庭の奥にロード・オブ・ザ・リングのホビットのような隠れ家を作れたら、と思っています。

投稿: のっぴ | 2007年8月29日 (水) 13:05

のっぴさん,ようこそ!

蓼科高原はちょうど私のところとは反対側になりますね。私のところは別にただの原野で半径100m以内に家はありません(測ったわけではないのでもっとかもしれません)。甲斐大泉にしようというのは娘たちがまだ小さかったころからこの地に毎年来ていたので決めていました。土地探しに来たとき,今は倒産してしまったデベロッパー会社の人にあちこち別荘地らしいところを連れ歩かれ,どこも気に入らず,浮かない顔をしていたら,どういうところを想像しているのですか?と尋ねられ,人気のない山の中,と答えました。なるほど,という表情で,連れてこられたのが今の土地です。植生はそちらとよく似ています。たぶん冬の気温は私のところよりそちらのほうが低いと思いますが。

 隠れ家という言葉は非常に魅力的です。実際,私のところも私に先導されて一度来たくらいだと二回目にやってくるのはかなり困難だと思います。それでも,周辺は小切りに分筆されて売りに出されています。私の家の前を通過して崖に向かう突き当たりに土地を購入し,森を開墾し始めた方がいます。どうもご自分で建てる気なのか,木材が積まれたまま,そろそろ1年が経ちますが,まだ着工していません。だから今のところは周辺の森全部を独り占めにした気分でいます。

 これからもいろいろと情報交換できたらいいですね。
 よろしくお願いします。

投稿: EUGENE | 2007年8月29日 (水) 20:09

 うろ覚えだった林達夫の名前を出してからずっと気になっていたエッセイを読んだ。大学生協の書籍売り場で、著作集をまとめて買って紐で縛って帰ってきたんだと赤茶けた本を引っ張り出しながら思った。実物を知らない私の記憶の中で林達夫といえば、鵠沼の自宅の木にのぼって剪定鋏を使っている姿が一番に浮かぶ。彼は庭いぢりが嫌いだと書き出しながら、その理由を日本庭園の凝ったこじんまりさが嫌なのであるといい、古い英国式の作庭がしたいと書いている。古い英国庭園がどういうものか知らないのだが、私は林の感性を私流に刷り込んでいたから、八ヶ岳倶楽部の裏庭を造った柳生博の庭とどこかで重ね合わせたのだろう。いずれにせよ、理屈先行の私の「作庭記」が書かれることはないだろう。なぜなら私は林達夫と違って本物の庭いぢり嫌いだからだ。

投稿: EUGENE | 2007年9月15日 (土) 00:59

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