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2006年7月23日 (日)

雨の森にて

060723 梅雨が明けずにいまだに雨が降り続き、東日本は各地に被害が出ている。周囲の人から「山は土砂崩れのおそれがないのか」と尋ねられる。このところ山へ行っても雨ばかりで確かに森は大量の雨水を吸い込んで、深い腐葉土の層は巨大なダム並の貯水池になっているのだろうと、庭先を歩いても感じる。庭には巨大なキノコがにょきにょきと顔を出し、PAUの墓に植えた草木は日射量が少ないせいか、枯れてしまっている。しかし、この山が、私の山荘のような侵略者に侵されているとしても、自然のままの程度が高ければ、容易に決壊しそうにないと思っている。
 
 ここに家を持った年、FERMATAとぴょっちと3人で、地図に出ている1250.4mの三角点を探して歩き回ったことがある。今、その三角点は意外なところにあることがわかっているのだが、そのときは全く見つけることができずに、恩賜林の看板のある森の中の、道といえるかどうかぎりぎりの小径を、三角点とは全く反対の方向に向かって緩やかな斜面を登っていった。地中に埋められた水道管の位置を示す、刻まれた文字が風化して判読しがたい石標をたどっていくと、視界が急に明るくなってアスファルトで舗装された林道に出た。明らかに地図の三角点の位置とは異なっていたので私たちはアスファルトの林道を下って戻ることにした。ほとんど使われていないその林道は谷に沿って作られており、林の中を切り裂いた唯一光の射し込む、照り返しが熱く感じられる〈非=自然〉の工作物だった。その林道が大きく左にふくらみ、再び右側へ回り込むそのカーブの頂点で、谷側の視界が急に開けた。谷底へ向かって、松も白樺もその他の雑木も根こそぎえぐり取られて谷底に向けて土が露出していた。それはおそらく林道自体が大きな水路と化して水が流れ、湾曲したカーブで方向を失い、白いガードレールもろとも谷に向けて滝のようにほとばしったあとに違いなかった。自然のかたちと人工のかたちが悪い状態で合致し、鉄砲水が谷側に落ち込んだのだ。もし、林道がアスファルトでなかったら大量の雨水も道と周囲の木々が吸収してこんな被害は起きていなかったかもしれない。

 ときにぬかるみ、水の通り道になった土壌がえぐられても、自然と歩調を合わせてできてきた山の中の小径は上手に水との共生をはかっている。舗装されたことで夏場は走りやすいこの林道も雪が降ると滑りやすく、森の中の日の届かない道の雪が緩みだしても、この道の根雪は春先まで融けず、アイスバーンになっている。

 整備の手が届いていない私の山荘のあるあたりは、だから、まだ安全だと思っている。庭もあたりの林の中も地面はフカフカで、人の力が作用していないから反作用も起こっていない。無理な力を加えられていない自然は力で反抗してこない。自然の仕組みに逆らうと人は自然に勝てないのだ。

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