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2006年2月14日 (火)

ICHIZU

 思いこんだらなかなか後へは引かず、ひたすら前に進もうとする。そういう一途なところが娘らに共通している。これは決してFERMATAの血ではなく、私の血だ、と思っている。それは自ら自分にある方向性を課すことで、非常に苦しい生き方だ。でもそれを誰に反対されようが腐されようが、あるいは誠意を持って理知的に諭されようが、自分の道を変えることができない。融通無碍なFERMATAのような性格はむしろ賢いと思うけれど、面白くなかろうとも思う。自分を茨の道へ追い込んでいくマゾヒスティックな喜びは痛みに伴う快感がある。

 ICHIZUに生きていこうとYUDUMUGEに生きていこうとどちらでもかまわない。相田みつをのように「いちづ」がいいとも思わない。自分の人生だからどんな結末に向かおうとその道を歩いて行かなくてはならない。私が右というと右へ進み、左というと左へ進む子らでなくなり、クロスロードにさしかかり、さっと選ぶか、考え込んでしまうかの違いはあっても、自分の意志で頑固に歩いていく子らになってきていると思う。

 親としての私にも親としての一途さがあり、いくつになっても子らの選択に口出しをする。うざい親ではある。

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