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2005年12月26日 (月)

賢者の贈り物

asahi O・ヘンリーの作品のことではありません。娘たちがまだ学校へ上がる前の話。

当時から彼女たちはお互いの誕生日やクリスマスにプレゼントをしあう習慣があったな、とクリスマスイヴの晩の買い出しで賑わう大きなマーケットで小さなブッシュ・ド・ノエルを買いながら思い出していました。おこづかいをもらっていなかった彼女らはお金を出して何かを買うということはできるわけもなく、自分たちの持ち物(それらはたいていが私やそれ以外の誰かからもらった絵本や安物の人形のようなおもちゃの類でしたが)の中で気に入っている物を、これもそれまでにもらい、大事にしまってあったプレゼントの包み紙やリボンで包んで、手作りの、ということは拙いということですが、カードをつけてやりとりしていました。年下の者から年上の者へ、やっと字を覚えた子ども用の「のんたん絵本」だったり、あるいは前の年に別の者からもらい一年間大事にしたものだったり、つまりは三人が三人ともによく知っている物が交換されあう「贈り物」ごっこでした。もらった者はくれた者へ心から喜びを表し、贈った側も贈られた側もそれなりにお互いが幸せな気分に浸れるということをちゃんとわかっていたのでした。

お金で買った物を交換しあうという習慣がいつごろから彼女らに身についたのか覚えていませんが、「賢者」たちは「ただの人」になってしまいました。

2001年のクリスマスを前に私は家族を集め、何度も家族で出かけていてよくわかっていた村(当時はまだ村でした)にお家を建てようと思うと宣言しました。それがその年の我が家のプレゼントでした。寒い冬のある日、約束していた不動産業者に案内をされ、その日に今の土地を買おうと決めました。買えるかどうかの目算もなく、いきあたりばったりでスタートしたのです。年が明けてから月に何度か通い、建物について検討を重ね、春の風の強い日に長女と二人で建前の儀式に参加し、その年の夏休みのちょうど中頃にプレゼントが形をなしてわたしたちの手元にやってきたのでした。「賢者」というには無謀な、無計画な行動だったと今は思います。

しかし、賢者かどうかはともかくも「贈り物」は家や土地自体ではなく、ここでの「生活」だと私は思っています。それが「賢者」の贈り物かどうかはもっとずっとあとになって彼女らが私たちから引き継いで何年もたってわかることだと思います。2001年のクリスマスから今年で4年の歳月が過ぎ、彼女らはそれぞれのクリスマスを過ごす人たちになりました。私とFERMATAは山の番人のような気持ちでこの家を守り、そのことに幸せを感じています。いつか娘たちが、この家での「生活」をあり合わせの包み紙とリボンで包み、それぞれの記念の日に互いに繰り返しプレゼントしあう、そういう時代がやってくるといいなあ、と幼かった彼女らの面影に重ねて思うのでした。

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コメント

サン アントニオを車で通過した時
オー ヘンリーが生活した小屋とタイプライター机を見ました。当時のベッドや家庭用品なども展示されていてその空間に入るとタイムスリップしてしまいます。
人が少なくなると係の人が 椅子に座ってもいいと すすめてくれました。

残っていた紅葉の葉が今日は全部雨に散っていました。垣根の蔦の葉は緑のままで紅葉をしません。バラの実が真っ赤になっているのを集めました。お正月用 玄関の飾りにします。Eugeneさんご家族の『賢者の贈り物』私の家族に似ています。流行とか、おつきあいを離れて 贈り物を考える事が出来るのは なかなかの事です。賢者になるのは 家族の考え方と本人の考え方が 大切ですね。
嬉しく拝見いたしました。

投稿: takako | 2005年12月27日 (火) 12:04

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