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2005年9月10日 (土)

止まった時間

表のウェブサイトを中途半端なかたちでやめてしまい、ここもぜんぜん書かなくなった。夏休み後、山へは2度行ったが24時間のうちで起きている時間が数時間という状態で、寝てばかりいた。森にも我が家にもそして私自身にも目に見える大きな変化はない。

時間について考えていた。過去の哲学者たちの書いたものをいくつか読んでみた。どれもすんなり納得がいかない。過去の実態はすでになく、未来はまだきていない。あるのは現在だけなのだが、その現在というのが曲者で「時間」という通常私たちが感じている容量のある実態があるわけではない。「今」は次々と過去の中にたたみ込まれていって私たちはどんどん死に向けて進んでいる。懐かしむところの過去は記憶で、時間ではない。夢みたりおびえたりする未来は、今の私の感情にすぎない。つまり、どこにも時間というものがないのだ。しかし現に私は時間を感じている。

そんなことをうつらうつらしながら考えていた。あるときわかったような気がした。時間という概念は人が作ったもので、実態としてあるのは次々と生まれては消えていく「今」という容量のない「生」の運動だけなのではないか。つまり、時間は私たちが自分をとりまく状況の変容や、夢や期待というもの、一定の長さの状況につけた名前にすぎない。時間という概念は幻想だ… そんなことを森へ行くと考える。そして、帰らなければならない「時間」があっという間にやってきて、あわてて「数時間かけて」帰宅していくのだ。

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森の生活」カテゴリの記事

コメント

「時間」という概念の中で生きると、ときたま苦しくなります。
一つの「世界」という概念で生きようとすると、その中では苦しいのですが、
「世界」が沢山あれば、その場その場の世界でフワリフワリと生きてみるのもいいかも、と思います。
そうすれば、ちょっとは楽になるかもしれません。
要は居心地のいい「世界」を沢山作ることです。(^^)

投稿: 徒然人 | 2005年9月11日 (日) 23:26

コンポストを始めて、自分で土を作り、自分で自分の野菜を作りました。
始めはまだ compost microorganismsと自分を区別していましたが、、、
私の話は人に役には立たないと思うのです。人はひとりひとり同じではないから、、、精神と身体のバランスをとって80歳になっても海を渡って冒険をしたいです。だから、自分を取り戻したい。今 外が暗く成っても庭で土を作っている人にレポートを作ってあげました。一人一人は違う経験をしますから、それが面白い。
PS:
線で描くドロウイング始めました。グニャグニャとペンを走らせて、シェープを作り出す遊びをしました。次は、コンテを折って横に3センチくらいの幅でシリュエットをつくります。それから肉付き骨のありかをやって行きます。芯が解ってくると線が少し変わって来ました。十分眠ったらおきだす人だから、睡眠が必要な時がある。私は冬眠した事がありました。あとで考えると人はそのとき冬眠が必要なだなと思います。冬眠も無駄にはならないです。考えたり、身体が弱たり、繰り返しながら人は生きているもの、身体と心がバランスをとろうとして抗体をつくっている。今は。一人一人の今。他の人と同じじゃない今。

投稿: takako | 2005年9月12日 (月) 04:42

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